信じない
キエリを見送った次の日から、フェリクスに異変が起きた。
朝、いつもの様に執務室で仕事に勤しんでいると、書類にサインしていたフェリクスの手が止まる。
(彼女‥‥キエリは、無事だろうか)
一人で旅立っていった小さな妖精への心配が頭には浮かんできて、しかし、自分がどうこうすることはもうできないじゃないかとその考えを振り払う。
ぼーっとしたり、小さくため息をつくフェリクスを見て、仕事の補佐たちや使用人たちが何かあったのかと顔を見合わせた。
夕刻、フェリクスにとって大事な時間がおとずれる。
仕事場を終え、夕食をとるために部屋に戻る。
オレオール王国の王族は夕食は常に一人でとる。
運ばれてきたのは、人間が食べるごく普通の少量の食事と通常のものより半分ほど小さいワインボトルだ。
「こんなに血をくれた人間の誰かさん。ありがとう」
フェリクスは、お礼を言ってワインボトルからグラスに注ぐ。
赤い液体はワインではなく、血だ。
フェリクスは、人間の国の王子でありながら、吸血鬼の血を受け継いでいる。
そのため、月に何度かは血を飲まなければいけない。
血は吸血鬼にとって重要なもので、摂取しなければ衰弱してしまう。
(こういう時は、パートナーのいる吸血鬼が正直うらやましいな‥‥新鮮な血を直接飲めるんだよな)
フェリクスは、ふとキエリのことを思い出してしまい、首を大きく横に振って考えを振り払う。
「昨日の今日でキエリのことを思い出してしまうな‥‥早くいただこう」
グラスに口をつけ、血を一気に飲んだ。
(ゔっ!?)
フェリクスがある違和感を感じ、せっかく飲んだ血を吐き出しそうになったが、こらえて飲み込んだ。
「っつ!? はぁ、はぁ‥‥なんで‥‥?」
違和感が本当かどうか確かめるため、執事のアリアスを呼ぶ。
(アリアス! すまないが来てくれ!)
(はっ! すぐに参ります)
吸血鬼同士であれば心で直接会話することも可能で、遠くに相手がいる時も便利だ。
執事のアリアスはすぐに来てくれた。
「失礼いたします。殿下、いかがなさいましたか?」
「この血を飲んでくれないか?」
「かしこまりました」
アリアスは何の疑問を挟むことなく、別のグラスに血を注いで飲んだ。
「どうだ?」
「そうですね。選別されたものだけあって、美味しゅうございます」
「お、美味しいのか?」
「いかがなさったのですか?まさか、この血を美味しく感じない、とか‥‥」
「あぁ、そのまさかだ」
アリアスは、驚いたように目をぱちぱちとしていたが、にっこりと微笑んだ。
「さようでございますか。最近、どなたかの血を直接飲まれたのでしょうか?」
フェリクスはぎょっとしてアリアスを見る。
「俺が運命の相手を見つけたとでもいうのか?」
「その可能性は高いと思われます。以前までごく普通に飲むことができたのにもかかわらず、その血が美味しくはない感じるということは、吸血鬼によく起こる『運命の相手をみつけた』という状態なのではないでしょうか?」
「運命の相手」は吸血鬼たちによく起こる、人の血を飲んでその血が今まで飲んだどの血よりも美味しく感じ他の血はまずく感じてしまうため、最悪の場合飲めなくなる。
血乏状態になった吸血鬼は最悪衰弱死する。
ここまで聞くと「運命の相手」というのは呪いのようにさえ思えてくる。
しかし、吸血鬼の本能とでもいうべきか、運命の相手を見つけられればこの上ない幸運に感じるし、不思議なことに相手もその吸血鬼に惹かれることが多く、大抵恋仲になる。
フェリクスの周りにもそういったカップルのお手本はおり、吸血鬼である父と人間の母もだし幼馴染たちもそうだった。
彼らを見ると万が一自分も相手を見つけた時にもっと頭がお花畑になるかとフェリクスは思ったが、今のところそうでもないので、そんな考えがうかばなかった。
「その方の血をもっとも美味しく感じ、他の血など見向きもできなくなるような‥‥まさに恋のお相手! ついに、そんな方が殿下にも現れてくれるとは‥‥このアリアス、至上の喜びで涙がでてきます!」
感極まったアリアスは本当に涙ぐんでいて、ハンカチで目元を拭っていた。
一方、フェリクスはそんなことは受け入れがたいと顔が真っ青になる。
「いやいや、ま、まさかそんなことっ!」
「不思議なことではございません。血の相性というのは、吸血鬼にとって非常に重要なことですから。人間で例えると夜の相性に同じような‥‥」
「っ! 誰も聞いていないかと、そんな例えをする必要があるか‥‥」
フェリクスは、ある人と想像してしまったが、物理的に無理がありすぎてすぐにそんな妄想は消えた。
(っと、というか俺は何を考えているんだ! くそっ、アリアスにからかわれている‥‥)
「それで、その幸運なお嬢様はどのような方でしょうか?」
にっこりと笑ったアリアスはフェリクスが頭を抱え込んでいるのも構わず質問してきた。
(思い当たるとしたら、彼女しかいない‥‥しかし、彼女はもういない。彼女のことを話してしまえば、父上と母上なら国中を探して結婚させようとしかねない。そんなことになれば、せっかく身を隠して静かに暮らそうとしているのを邪魔してしまう。いや、逆に正直に話せば、諦めるのでは? 彼女とは‥‥子はできないのだから)
(なぜ、俺はもう彼女が好きだと認めようとしているんだ!? いやいやいやっ、そもそも話したのもほんの少しで、どんな子かもわからないというのに)
フェリクスは悩んだ結果、口を噤んでしまうことにした。
質問攻めはくるだろうが、自分さえ答えなければいつか諦めるだろう。
それに、運命の相手とて、思い込んでいるだけで実際しばらくしたら、元に戻るかもしれないという一縷の望みにすがりたかった。
「喜んでいるところすまないが、期待しているような人物はいない」
「さようでございますか」
アリアスは、意外にもあっさりと引き下がった。
フェリクスは、そのアリアスの様子に嫌な予感しかしない。
「‥‥‥あっさりと引き下がるんだな」
アリアスは、穏やかににこりと微笑む。
「いいえ、殿下がいないとおっしゃるのでしたら、いないのでしょう。それに、もしいたとしたらそのうちに分かりますから‥‥殿下もご存じでしょう? 運命には抗うのは実に大変だと」
フェリクスは苦虫を嚙み潰したようにぐっと顔が険しくなる。
むすっとしながらワイングラスに血を注いで、一気にぐっと飲み、先ほどより強い苦みが喉にとどまったが、意地になってその後も空になるまで飲み干した。
それを目を丸くしながらアリアスは見ていたが、またにこにこと笑顔になる。
「お見事な飲みっぷりですね。おかわりをお持ちしましょうか?」
「‥‥‥‥いい」
フェリクスは小さい声でおかわりを拒否した。




