第91話 青天の霹靂、妹からのSOS。狼狽する姉と竹中の献策 美人で完璧なスタイル、文武両道の成績、
美人で完璧なスタイル、文武両道の成績、そして何より、圧倒的な存在感。
放課後の教室で、薔薇ノ宮礼子はいつものように扇子片手に、クラスメイトの女子である千道りり華に、唐突な質問を投げかけた。
「――ねえ、あなた」
「は、はい。なんでしょうか、礼子さん」
りり華は、真面目を絵に描いたような、地味だが芯のしっかりした女子生徒だった。
いつも図書室で参考書と睨めっこをしており、将来は社会福祉士を目指して受験勉強に励んでいるという、クラスでも優等生として知られる存在だった。
「もしや、あなたのお姉様は、民自党の国会議員、千道るる奈先生ではありませんこと?」
「――っ!」
りり華の肩が、びくりと震えた。
(な、なんで、礼子さんが、るる奈お姉ちゃんのこと……!)
りり華は、学校では意図的に姉が国会議員であることを、一切公言していなかった。
(……でも、ここで誤魔化すのも、なんだか、変な感じだし)
りり華は、少し考えた後、素直に頷いた。
「……はい。その通りです。 千道るる奈は、わたしの姉です」
「ま、まあ!やっぱりですのね!」
礼子は、パッと表情を輝かせた。
「あの、礼子さん……。姉のこと、どこで知って……?」
「あら、深い意味はございませんの。ちょっとした、興味本位ですわ」
「……興味本位ですか」
「それより、りり華さん!国会議員のご家族というのは、実際どのようなものなんですの? やっぱり、ご自宅でも、政策論議とか、そういうお話をされたりしますの?」
「い、いえ……。姉は、家では仕事の話を一切しません」
「あら、そうなんですの?」
「はい。 『家まで仕事の話持ち込みたくない』って、いつも言っていて……。議員になってからも、それは変わりません」
「……まあ、案外そういうものなのですのね」
礼子は、少しだけ残念そうな表情を浮かべたが、すぐに気を取り直したように頷いた。
(家庭は家庭、仕事は仕事、ということですわね。それはそれで、当然というものですわ)
礼子は、あっさりとその話題を切り上げた。
この時の礼子は、まだ知る由もなかった。
この何気ない談話が、りり華にとって、静かな悪夢の始まりになることを。
数日後。
教室の隅、休み時間の喧騒の中で、りり華は三人の女子生徒に囲まれていた。
愛、舞、美依――。
クラスの中でも、特に発言力の強いグループだった。
「ねえ、りり華さんってさ、あの国会議員千道るる奈の妹なんでしょ?」
愛が、にやにやとした笑みを浮かべながら、りり華の机に手をついた。
「……」
りり華は、答えずにうつむいた。
礼子との会話が、いつの間にか教室中に広まっていたのだ。
「闇金議員の妹が、うちのクラスにいるとか、マジウケるんだけど」
舞が、けらけらと笑いながら言った。
「テレビで見たよ、あの人。なんかエッフェル塔の前でヘラヘラ写真撮って炎上してたやつでしょ。エッフェルるる奈とか、いうやつ」
「知らない、そんなの……」
りり華は、小さな声で反論しようとしたが、すぐにかき消された。
「闇金とか反日議員の妹とか、逆に有名人じゃんね。サインでも書いてもらって、クラスのみんなに配りなよ」
美依が、わざとらしい猫撫で声で言った。
「エリート様の妹さんは、やっぱ違うよね〜。偉いよね〜、こんな一般人と同じ教室にいてくれてさ〜」
その言葉には、隠しきれない棘があった。
褒めているようで、実際には嘲笑と侮蔑を込めた、典型的な褒め殺しだった。
その時、りり華の教科書は、いつの間にか机から落とされ床に散らばっていた。
誰がやったのか、はっきりとは分からな勝かった。
だが、拾おうとして手を伸ばした瞬間、誰かの足がわざとらしく、それを蹴飛ばした。
「あ、ごめんね〜。わざとじゃないよ〜」
愛が、白々しい謝罪を口にする。
その口調には、まるで悪意を隠すつもりもないほどの、明け透けな嘲りが滲んでいた。
その日の夜、りり華のグループLINEには、何十件ものメッセージが押し寄せた。
『闇金の妹』
『反日一家』
『エリート様様』
スタンプで送られてくる、揶揄と侮蔑の言葉の数々。
りり華は、スマホの画面を見つめながら、唇を強く噛みしめた。
(……お姉ちゃんは、何も悪いことしてないのに)
りり華は、姉が過去に闇金から借金をしていたことも、エッフェル塔騒動も、すべてニュースやSNSを通じて知っていた。
だが、それでも姉が国会議員として、不器用ながらも懸命に仕事をしている事を、家族として誰よりもよく知っていた。
(なのに、なんで……。こんな、事実じゃないことまで、言われなきゃいけないの)
りり華は、涙を堪えながら、スマホの電源を落とした。
教室での嫌がらせは、その後もじわじわとエスカレートしていった。
ノートに書かれる、心無い落書き。
上履きに仕込まれる、紙くず。
グループワークで、意図的に外される座席。
直接的な暴力ではないものの、確実にりり華の心を蝕んでいく、じわじわとした陰湿さがそこにはあった。
そのすべてを、教室の隅から見ていた礼子は、次第に胸の中に、重苦しいものを感じ始めていた。
(……これは、明らかに、わたくしの軽率な発言が発端ですわね)
礼子は、自分の責任を自覚し、ある日の放課後、愛たちに声をかけた。
「――ねえ、あなたたち」
「あ、礼子さん、なんですか?」
愛が、笑顔で振り返る。
だが、礼子が用件を切り出した瞬間、その笑顔は一変した。
「りり華さんへの、あの態度……。少し、行き過ぎではありませんこと?」
「――は?」
愛の目が、一瞬にして冷ややかなものに変わった。
「礼子さんには、関係なくないですか」
「わたくしが、りり華さんのお姉様のことを、うっかり話題にしてしまったのが、そもそもの発端ですもの。だから――」
「礼子さん」
舞が、腕を組みながら、礼子を遮った。
「うちら、別に礼子さんに指図される筋合いないんだけど」
「そ、それはそうですけど、けれど――」
「礼子さんは、いつも自分の思い通りにならないと気が済まないタイプですけど、これはうちらのテリトリーなんで、部外者は立ち入り禁止!」
美依が、にんまりと笑いながら言った。
「関わるな、って言ってるんですよ。礼子さん」
三人の、あまりに堂々とした居直りに、礼子は思わず言葉を失った。
(……な、なんですの!?この、開き直りは……)
いつもの礼子であれば、相手を「負け犬の遠吠えですわ!」と一蹴し、圧倒的な存在感でねじ伏せてきたはずだった。
だが、今回の相手は、礼子に対しても一切臆することなく、真正面から反発してきた。
(わたくしが強く出れば出るほど、りり華さんへの、当たりがさらに強くなるのでは……?)
礼子は、それ以上強く言えず、悔しさを噛み殺しながら、その場を後にするしかなかった。
その日の帰り道、礼子は思い切ってりり華に声をかけた。
「――りり華さん、大丈夫ですの……?」
「……礼子さん」
りり華は、力なく微笑んだ。
「大丈夫です。 わたし、平気ですから……」
その言葉とは裏腹に、りり華の目の下には、明らかな隈が浮かんでいた。
声にも、以前のような張りがなく、どこか擦り切れたような、儚さがあった。
(……大丈夫、では、ありませんわね)
礼子は、そう直感していた。
だが、愛たち三人の様子を見る限り、下手に刺激すれば、事態がさらに悪化する可能性は高い。
(……もし、あの子たちが本気で切れたら、一体何をしでかすか……)
礼子には、その先の展開がまったく読めなかった。
絶対的な自信を持つ礼子でさえ、この状況に対して、有効な一手を打てずにいた。
(わたくしとしたことが……。 情けないですわ)
礼子は、拳をぎゅっと握りしめながら、遠ざかっていくりり華の背中を、ただ見送ることしかできなかった。
そして、その週末。
議員会館の自室で、るる奈は資料の山と格闘していた。
「うう……。このPTの資料、専門用語ばっかで頭痛い……」
るる奈が、机に突っ伏しながら唸っていた、その時だった。
スマホが、控えめに震えた。
LINEの通知――。
妹、りり華からのメッセージだった。
『お姉ちゃん、ちょっと相談があるんだけど』
『わたし、転校しようかなって、思ってる』
「……は?」
るる奈は、思わず身を起こした。
(りり華が、転校……? なんで、急に……?)
るる奈は、慌てて指を動かし返信を打った。
『りり華、どうしたの急に!?なんか、あった!?』
だが、返信は届かない。
既読すらつかない、重い沈黙。
「……嫌な予感しかしないんだけど」
るる奈は、机の資料を放り出すと、すぐさま兄のしし男に電話をかけた。
「しし兄!ちょっと、確認したいことがあって……!」
るる奈の声には、いつもの能天気さは、微塵も残っていなかった。
電話の向こうで、しし男は静かに、これまで把握していた情報――。
クラス内での、るる奈の存在を理由にした、りり華への陰湿な嫌がらせの経緯を、淡々と語り始めた。
「……はっ!?」
るる奈の顔から、みるみる血の気が引いていった。
「ウチのせいで……。りり華が、いじめられてる……?」
スマホを握る手が、かたかたと震え出す。
(ウチが、国会議員になったから……。ウチが、闇金だの反日だの、あれこれ言われるようなことしてきたから……。りり華が、それに巻き込まれて、こんな目に……?)
るる奈の頭の中で、様々な感情が渦を巻くように押し寄せてきた。
自分自身への怒り、りり華への罪悪感、そして、抑えきれない焦燥。
「……ウチ、今すぐ、りり華に会いに行かなきゃ」
るる奈は、震える声でそう呟いた。
「――先生、落ち着いてください」
議員会館の自室、震える手でスマホを握りしめたままのるる奈に、政策担当秘書の竹中が、努めて冷静な声で語りかけた。
「今、感情的になっても、事態は解決しません。とにかく冷静になって、それからやるべきことを、整理しましょう。我々が、全力でサポートします」
「……う、うん」
るる奈は、涙目のままなんとか頷いた。
「第一に、妹さんの安全確保です。今、彼女がこれ以上追い詰められないよう、迅速に対応する必要があります」
竹中は、提案を淡々と出し続けた。
「第二に、学校への正式な相談。個人的な感情論ではなく、事実として学校側に伝え、組織として対応してもらう必要があります」
「うん、うん」
「第三に、東京都教育委員会への連絡も、視野に入れておくべきです。学校側の対応が不十分な場合、外部機関への相談も選択肢の一つになります」
「そ、そこまでするの……?」
「必要であれば、迷わずすべきです」
竹中の声には、迷いがなかった。
「そして、第四に事実関係の記録を、必ず残してください。LINEのやり取り、りり華さんの体調の変化、いつから、どのような形で嫌がらせが始まったか。すべてを時系列で整理しておくことが、今後の対応において非常に重要になります」
竹中の的確な提案の数々に、るる奈は次第に呼吸を落ち着けていった。
「……竹中さん、ありがとう。ウチ、頭真っ白になってたから、正直助かった」
「先生の狼狽ぶりを見て、放置するわけにはいきませんでしたので」
竹中は、いつもの口調のままそう言った。
だが、その眼差しには、るる奈を気遣う確かな色が滲んでいた。
翌日、議員会館の自室で、るる奈は竹中の助言に従い、朝一番でりり華の通う都立高校へ電話を入れた。




