第83話 クロガネって……まさか、あの人!? って、違う人だった件
その日の夕方、議員会館の自室でくつろいでいたるる奈は、何気なくつけていたニュース番組の速報テロップを見た瞬間、持っていたポテトチップスの袋を思いきり床に落とした。
『民自党、クロガネタロウ氏の復党を正式承認』
「……は?」
るる奈の顔から、みるみる血の気が引いていく。
「く、くろがね……?」
るる奈の脳内に、あの夜の記憶が、一瞬でフラッシュバックした。
薄暗い雑居ビルの事務所。
タバコの煙。
冷徹な眼鏡の奥から獲物を値踏みするような視線。
『落選した瞬間、お前の髪も爪も、戸籍も、二十四時間の自由も、全部俺の物になる』
「う、うわあああああ!!」
るる奈は、悲鳴を上げながらソファから飛び上がった。
「御子神さん!!丸目さん!!竹中さん!! た、大変!!あいつがっ!!あいつが、復党とかって!!」
書類を整理していた三人が、驚いた様子で顔を上げた。
「せ、先生、落ち着いてください。一体何が」
「クロガネが、国会に戻ってくるって!!うわ、マジで無理!!また、借金取り立てされる!!いや、もう完済したけど、なんかもうトラウマ的に無理!!」
るる奈はパニック状態で、部屋の中をぐるぐると逃げ回った。
御子神は、静かにテレビの画面に目をやり、テロップを確認した。
「……先生。落ち着いてください」
「落ち着いてらんないって!あの闇金のボス、クロガネだよ!?」
「先生」
御子神の声が、いつもよりわずかに低く、はっきりとしたトーンになった。
「復党されたのは、黒賀根太郎議員です。闇金の黒金とは、まったくの別人です」
「……え?」
るる奈の動きが、ピタリと止まった。
「くろが……ねたろう……?」
「はい。『黒賀』に『根太郎』です。先生が思い浮かべている『黒金』とは、漢字も読みも異なります」
「……マジで?」
「マジです」
丸目が、苦笑しながら補足した。
「ちなみに、民自党には黒金の名前自体、存在していません。その点でも、完全な別人です」
「……」
るる奈は、しばらく無言でその場に立ち尽くしていた。
やがて、顔が真っ赤に染まっていく。
「……はずかしい」
「先生の早とちりは、今に始まったことではありませんので」
「フォローが余計に傷つくんですけど!?」
るる奈は、恥ずかしさのあまりソファに突っ伏した。
だが、しばらくして落ち着きを取り戻すと、今度は素朴な疑問が浮かんできた。
「……じゃあ、その黒賀センセイって、なんで復党とかいう話になってんの?なんか、悪いことしたとか?」
「裏金の問題です」
竹中が、タブレットを操作しながら答えた。
「以前、党内の派閥で発覚した、いわゆる『裏金集め問題』に関与していたとして、一度、党を離れています。ですが、前回の衆議院選挙では無所属で立候補し、当選しました。その後、党内の様々な事情があって復党という運びになったわけです」
「……ふーん」
るる奈の反応は、意外にもあっさりしたものだった。
「なんか、そういうのって、政界にはよくあることなんでしょ。ウチも、なんとなく肌感覚では分かるし」
「ご理解が早くて助かります」
るる奈は、ソファに座り直すと、ふと真剣な顔で聞いた。
「ねえ、御子神さん。裏金って、政治家にとって、そんなに必要なものなの?」
御子神は、少し間を置いてから、丁寧に説明を始めた。
「簡単に言えば、『使い道や相手を細かく説明しなくても、自由に使える資金』が欲しかった、ということです」
「説明しなくていい、お金?」
「はい。本来、正しく記載された政治資金というのは、合法ではありますが、誰から受け取って、誰に渡して、何に使ったのか、きちんと説明する責任が伴います。つまり、無制限に、自由に使えるお金ではないんです」
「あー……なんか、この前の政党交付金の話みたいな感じ?」
「近いですね。ですが、政治活動の中には、そういった正規のルートでは動かしにくい場面もあります。だからこそ、一部の政治家や派閥は、その流れや使い道を表に出さずに、いざという時に機動的に使える資金を、別に求めるようになったんです。それが、いわゆる裏金の構造です」
「……つまり、いざって時に使う、切り札的な奴ってこと?」
「そういう理解で、概ね間違っていません」
竹中が続けた。
「もちろん、これは裏金の存在を正当化する理由にはなりません。ですが、長年にわたって、こうした裏金が派閥の運営や政治活動の一部として機能してしまい、『いざという時の切り札』として、政界の中で常態化していたことは事実です。そこに、この問題の根深さがあります」
るる奈は、しばらく考え込んだあと、ぽつりと呟いた。
「……なんか、話聞けば聞くほど、政治家って大変だね」
「実感が湧きましたか」
「うん。ウチ、一期四年でスッキリ引退するつもりだから、裏金とか派閥とか、正直どうでもいいけど」
るる奈は、他人事のような、どこか気楽な口調で続けた。
「でも、これ、ずっと政治家続ける人たちは、マジで大変そうだね。ご苦労様です、って感じ」
「先生」
御子神が、その言葉を遮るように、静かに口を開いた。
「先生も、引退までは、きっちり歳費分の仕事をしていただきます」
「……え」
「明日も、部会とプロジェクトチームの予定が、朝からびっしり入っています」
「うそでしょ、今の話の流れで、そのオチ!?」
「先生が国会議員である以上、当然のことです」
丸目が、にこやかにスケジュール表を差し出した。
「先生、明日は八時からです。今日は早めにお休みください」
「……はい」
るる奈は、がっくりと肩を落としながら、渡されたスケジュール表を受け取った。
窓の外には、いつも通りの永田町の夜景が広がっていた。
クロガネ騒動は、るる奈の完全な早とちりというオチで、静かに幕を閉じたのだった。




