第77話 1000万円貰えたなんて聞いてないんですけど!? ていうか、そもそも自由に使えるお金じゃなかった
「御子神さん、丸目さん、竹中さん。みんな、ちょっと集まって。緊急会議!」
るる奈の声は、いつになく真剣だった。
三人は、思わず揃って手を止めた。
「今日、部会の休憩時間に他の議員の人たちが話してるの、たまたま聞いちゃったんだけど」
「はい」
「政党交付金って、前期と後期で分割で支給されるんだよね?」
「……はい、その通りです」
「じゃあさ……。前にウチが、福島のおじさんに『500万円返上します』って言ったの、あれ前期分だったの?」
「……」
御子神、丸目、竹中の間に、僅かに重い沈黙が流れた。
「……先生。まさか、今までご存じなかったのですか?」
「もちろん、そんなの知らなかったよ!!ウチ、てっきり政党交付金って、年に一回、500万円ぽっきりだと思ってたのに!」
るる奈は、悲鳴に近い声を上げた。
「じゃあ、後期の500万円は……」
「もちろん、返上です」
御子神が、静かに答えた。
「――ですよね」
るる奈は、両手で顔を覆った。
「先生ご自身が詳細を確認されずに、話を進められたからです」
竹中が呆れながら、静かに指摘した。
「つまり、年間1000万円が政党交付金として支給されてたってこと……?」
「はい」
「……」
るる奈は、しばらく言葉を失っていた。
「ウチ、今更それ知って、めちゃくちゃ悔しいんだけど……!」
その顔には、まさに断腸の思いという表現がふさわしい、深い悔恨の色が浮かんでいた。
「先生」
「なに?」
「大丈夫ですか?」
「全然、大丈夫じゃない。血の涙出そう」
「実際に、出てはいませんね」
「気持ちの問題!」
しばらく悔しさに震えていたるる奈だったが、やがて何かを閃いたように勢いよく顔を上げた。
「――待って。じゃあさ、今からでも党員集めれば、1000万円貰える可能性ある?」
その言葉に、御子神、丸目、竹中は、揃って深いため息をついた。
「先生」
「なに」
「そもそも、党員が何なのか正確にご存じですか」
「……え、党の人ってこと?」
「概ね間違ってはいませんが、正確には党の理念に賛同し、党年間数千円程度ですが党費を納めて党の活動に加わる一般の支援者を指します。あくまで、一般の方々です」
「へえ……。じゃあ、その党員をたくさん集めればいいんでしょ?ウチ、頑張って集めるよ!」
「先生」
御子神が、静かに厳しく言った。
「仮に、党員を1000名を集められたとしましょう。その場合、何が発生するか想像されていますか」
「え、何?」
「まず、党員一人ひとりに、党費の請求と入金確認の手続きが必要です。次に、党員として登録するための、氏名、住所、連絡先などの正確な個人情報の管理が発生します。さらに、毎年の更新手続き、党のイベント案内、機関誌の発送――。これらすべてを、継続的に管理する体制が必要になります」
「……あ」
「先生一人でそれを担うのは、現実的に不可能です。となれば、専属の私設秘書を少なくとももう一人、雇用する必要が出てきます」
「……そんなに、大変なの?」
「はい」
丸目が、苦笑しながら補足した。
「私設秘書の雇用には、給与、社会保険料、事務所のスペース、パソコンなどの設備――。すべてに、コストが発生します。政党交付金の1000万円を得るために、それを上回る費用が発生してしまっては、本末転倒ですよ」
「……」
るる奈は、しばらく無言のまま宙を見つめていた。
(1000万円……。1000万円あれば、推しのライブ、VIP席で年間通い放題……。でも、そもそも自由に使えるお金じゃなかったんじゃ……)
その時、るる奈の頭の中に、ふと根本的な疑問が浮かんだ。
「……ねえ、御子神さん」
「はい」
「そもそもさ、その1000万円って、ウチが好きに使っていいお金なの?」
「――いいえ」
御子神の返事は、これまでで一番はっきりとしていた。
「政党交付金は、政治活動を支えるための、公的な資金です。 先生個人の懐に入るものではありません。使途は、政治活動、事務所の運営、広報活動、党員管理などに限定されており、私的な流用は固く禁じられています」
「……え」
るる奈の顔から、みるみる血の気が引いていった。
「じゃあ、仮に1000人党員集めて、1000万円満額もらえたとしても、ウチが自由に使えるわけじゃないってこと……?」
「もちろんです」
「じゃあ、なんでさっきまでウチあんなに悔しがってたの……?」
るる奈は、ソファに力なく崩れ落ちた。
「先生」
竹中が、いたわるように言った。
「今回の件、正直に申し上げますと、先生が損をしたという事実自体、そもそも存在しません」
「……え、どういうこと?」
「元々、政党交付金は、先生が個人的に自由に使える資金では決してありません。もし満額1000万円を受け取っていたとしても、それは、先生の政治活動費として管理されるだけで、先生のお小遣いが増えるわけでは全くないのです」
「……」
るる奈は、しばらく放心したように天井を見上げていた。
(……ウチ、さっきまでめちゃくちゃ悔しがってたけど、そもそも悔しがる理由なかったってこと……?)
この数分間の、あの断腸の思いはいったい何だったのか。
「……ウチ、なんかすごい無駄に落ち込んでた気がする」
「そのようですね」
御子神が、静かに同情するように頷いた。「でも、なんかさ」
るる奈は、まだ未練がましく呟いた。
「1000万円って数字だけ聞くと、なんかときめくじゃん……」
「その気持ちは、理解できなくもありません」
丸目が、苦笑しながら言った。
「ですが、先生。数字の大きさと実際に使える自由度は、まったく別物です」
「……それ、今日一番身に染みて理解したかも」
るる奈は、深いため息をつきながら、ソファに力なく体を沈めた。
窓の外には、いつも通り変わらぬ永田町の風景が広がっていた。




