第76話 ウチ、選挙運動一切してないけど、ちゃんと仕事してるし。これもう新しい制度あってよくない?
議員会館の自室。
夜のミーティングも終わり、るる奈はソファに寝そべりながら、ぼんやりと天井を見上げていた。
「……ねえ、みんな。ちょっと聞いてくれる?」
「なんでしょうか、先生」
「ウチさ。よく考えたら、選挙運動一切してないじゃん」
「はい。先生は比例単独候補ですので、街頭演説もポスター貼りも握手も、一切できません」
「なのにさ。 国会議員の仕事として、部会出たりPT出たり法案の署名したり陳情聞いたりしてるじゃん。最低でも、一応歳費分の仕事はしてるっしょ?」
「……概ね、そうですね。 一応ですが」
御子神が、少し含みのある言い方で頷いた。
「本来、最低限で仕事を満足されては、困るんですけどね」
丸目が、苦笑しながら言った。
「だからさ、思ったんだけど」
るる奈は、むくりと体を起こし、いつになく真剣な顔で三人を見た。
「選挙以外のルートで、国会議員になれる制度、あってもよくない?」
「……は?」
秘書たちが、一斉に素っ頓狂な声を上げた。
「先生。それは、また随分と大胆なご発言ですね」
御子神が、やや困惑しながら言う。
「いや、だってさ。選挙って、結局『人気投票』とか『資金力の勝負』みたいなとこもあるじゃん。でも、実際に議員になった後の仕事って、演説のうまさとか、握手の温かさとかじゃなくて、法案読んだり、部会出たり、陳情聞いたりする、地味な事務作業の積み重ねじゃん」
「……」
「だったらさ、選挙で選ばれるルートとは別に、なんか適性検査とか、実務研修とか受けて、それに合格したら議員になれる、みたいなルートがあってもいいんじゃないかなって」
竹中が、眼鏡を押し上げながら、興味深そうに口を開いた。
「面白い視点ですね。ただ、それをやると、国民主権や、選挙による正統性という、この国の民主主義の根幹に関わる議論になりますが」
「そこはウチもよく分かんないけど。でもさ、実際、ウチみたいな選挙運動ゼロの議員でも、実務はそれなりにこなせてるって証明しちゃったわけじゃん。 だったら、選挙が唯一絶対の入り口じゃなくてもいいんじゃないの、って素朴に思っただけ」
御子神は、しばらく黙って考え込んだのち静かに言った。
「先生。それは半分正しくて、半分間違っています」
「え、どゆこと?」
「先生が、実務をこなせているのは事実です。ですが、それは私たち三人が、先生の代わりに法案の中身を噛み砕き、スケジュールを管理し、失言を未然に防いでいるからです。先生一人だけで議員は務まると結論づけるのは、少々乱暴です」
「うっ……。それは、まあ、そう」
「それに」
御子神は、続けた。
「選挙という制度は、単に議員としての実務能力を測るためのものではありません。有権者の意思を反映させる、という、もっと根本的な役割を持っています。先生が実務をこなせているかどうかとは、まったく別の話なんです」
「……なるほど。それは、確かにそう」
るる奈は、素直に頷いた。
「じゃあさ。実務能力だけを見たら、ウチより向いてる人、普通にいると思うんだよね」
「……と言いますと?」
「うちの兄。しし男」
「……しし男さんが?」
丸目が、思わず聞き返した。
「うん。しし兄、社会福祉士だし、介護の現場、何年もずっと見てきてるし。選挙特番とか、政治の話とか、ウチよりよっぽど詳しいし。もしウチじゃなくてしし兄が国会議員やってたら、絶対もっとちゃんとした政策、考えられると思う」
その言葉に三人は、一瞬しんみりとした空気になった。
「……先生」
「なに?」
「それは、先生なりの、謙虚さの表れだと思いますが」
竹中が、静かに言った。
「一方で、先生の存在にも、独自の意味があります。先生は、しし男さんのように現場の専門知識を持っているわけではありませんが、先生でなければ気づかなかった視点。例えば、供託金の壁や、若者の悩みの実態、子ども食堂で感じた怒りは、専門家であるしし男さんにも、簡単には持てないものです」
「……そう、なのかな」
「はい」
御子神が、少しだけ柔らかい口調で付け加えた。
「もっとも、選挙なしで議員になれる制度がもしできたとしたら、真っ先に選ばれるべきなのは、確かにしし男さんのような方かもしれませんね」
「ちょっと、それ。ウチへのフォローなのかディスなのか、どっちなの!?」
「両方です」
「ハッキリ言うじゃん!」
丸目が、思わず吹き出した。
「先生、しし男さんが議員になったら、まず、仕事のスケジュール、今の三倍は忙しくなりそうですね」
「うわ、想像できる。しし兄、めちゃくちゃ真面目だから、片っ端から部会やPTとか参加しそう」
「福祉政策についても、生半可な提案では、絶対に納得しないでしょうね」
「竹中さんの資料、今の五倍の厚さになりそう」
三人は、揃って苦笑した。
「まあ、でも」
御子神が、静かに締めくくった。
「制度としては、あり得ない話ですが、先生が今の実務経験を通して、『選挙という制度の意味』と『実務能力の意味』を、分けて考えられるようになったこと自体は、悪くない変化だと思いますよ」
「……なんか、今日。めちゃくちゃ真面目な話しちゃったね、ウチら」
「珍しいこともあるものです」
「いつもは、もっとくだらない話ばっかりなのにね」
「先生が言い出したことですが……」
「それはそう」
るる奈は、ソファに深く沈み込みながら、小さく笑った。
窓の外には、今日も変わらず、永田町の夜景が広がっていた。
選挙という入り口を、あまりにも異常な形でくぐり抜けた彼女だからこそ、その入り口の意味を、少しずつ自分なりに考え始めていた。




