第73話 【国際レセプション編】ちょ、待って。なんで元総理と国王陛下がウチのところに来るの!?しかも、外交が動いたんだけど
子供たちが去っていった後、るる奈は再び、一人フルーツコーナーの片隅に取り残された。
周囲を見渡せば、変わらず洗練された会話が、あちこちで交わされている。
誰もが、自分の居場所を当たり前のように持っている。
(……ウチだけ、なんか浮いてるんだよね)
豪華なシャンデリア、上品なドレスコード、流暢な多言語会話。
その全てが、るる奈にはあまりにも縁遠いものだった。
(闇金から金借りて、たまたま当選しただけの、元ニートギャルなのに……。なんで、こんなところにいるんだろ)
じわりと、目の奥が熱くなってきた。
春日局長の、あの流暢な英語。
自分だけが何も持たず何も分からず、ただ、この場にぽつんと立っている。
(……惨め)
その言葉が、胸の奥にずしりと重く沈んでいく。
るる奈は、涙が滲みそうになるのを堪えながら、もう一口マンゴーを口に運んだ。
「……っ」
濃厚な甘さが、口の中に広がる。
しょっぱい涙の気配を、甘いフルーツが、そっと包み込んでくれるような、不思議な感覚があった。
(……甘い。マジで、甘い)
それだけが、今のるる奈にとって唯一の救いだった。
(……よし、もういいや。フルーツ食べ終わったら、さっさと帰ろ)
るる奈は、静かに心を決めた。
(やっぱここは、ウチの来るとこじゃなかった。森崎センセイの言う通りだった。せめて、最後まで粗相しないように大人しく帰ろう)
「――千道先生」
不意に、また声をかけられた。
るる奈は、びくりと肩を震わせながら振り返った。
そこに立っていたのは――
「……えっ」
石田茂雄元総理大臣。
そして、貴司文男元総理大臣。
二人とも懲罰委員会で隣の席になったことのある、るる奈にとって数少ない顔見知りだった。
とはいえ、実際に顔を合わせるのは、あの開店休業中の委員会以来、二回目のことだった。
「……い、石田先生!貴司先生!」
るる奈は、心臓が飛び出そうなほど驚きながらも、慌てて姿勢を正した。
(うわ、なんで、こんなところに元総理が二人も!?しかも、こんな重要人物ばっかりの会場で、ウチのこと覚えてくれてたなんて……!)
「久しぶりですね、千道先生」
貴司が、穏やかな笑みを浮かべながら言った。
「あの、私たち変な意味ではなく、あなたが少し一人で心細そうにしていたので」
石田が、鷹揚に付け加えた。
「せっかくのレセプションです。あまり気を張らずに、楽しんでいかれるといい」
「あ、ありがとうございます……!」
るる奈は、深々と頭を下げた。
二人の社交辞令混じりの気遣いだったが、それでも、この場で誰かに声をかけてもらえたことが素直に嬉しかった。
だが、その安堵も長くは続かなかった。
「――こちらにいらっしゃいましたか」
澄んだ声とともに、先ほどの子供たち二人が、一人の大人の男性を伴ってこちらへと近づいてきた。
その男性は、上品でありながら圧倒的な威厳を纏っていた。
仕立ての良い民族衣装、堂々とした佇まい、そして、周囲の空気を一瞬で変えるほどの、静かな存在感。
「……」
石田と貴司の表情が、瞬時に驚愕へと変わった。
「――国王陛下」
二人の口から、同時にその言葉が漏れた。
「――え?」
るる奈は、一瞬何を聞いたのか、理解が追いつかなかった。
(こく、おう、へいか……?)
脳内で、その単語が遅れて処理される。
(……さっきの子供たち、王族だったの……!?しかも、そのパパが、今、目の前にいる……?)
全身から、血の気が引いていくのが分かった。
「先ほどは、娘たちがお世話になりました」
国王は、穏やかで気品に満ちた声でるる奈に語りかけた。
「わが国のフルーツを、大変美味しいと言っていただけたとのこと。心より、嬉しく思います」
「あ、あの、ほ、本当に、美味しかったです……!」
るる奈は、震える声でなんとかそう答えた。
「そして」
国王は、優しい眼差しでるる奈を見つめた。
「あなたが、日本の子どもたちのことを、気にかけていらっしゃると、娘たちから聞きました。子ども食堂でしたか」
「は、はい……」
「そのように、他者を思いやる心をお持ちであること、とても素晴らしいと思います」
国王は、確かな決意を込めて続けた。
「ですので、私たちの国と日本との友好の証として、子ども食堂の皆様に我が国のフルーツをプレゼントすることを、お約束いたします」
「……え、ええっ!?」
るる奈は、思わず大きな声を上げてしまった。
石田と貴司も、あまりの展開に完全に言葉を失っていた。
そして、その光景を離れた場所から、じっと見つめていた人物がいた。
(……嘘だろ)
森崎外務大臣は、内心でそう呟いていた。
彼は、遠くからこの一部始終を密かに観察していたのだ。
(あのギャル、フルーツコーナーで、王女殿下たちと話し込んでる……。まあ、たかが子供の相手だ。大事にはならんだろう)
そう、高をくくっていた。
(ん、まさか、国王陛下が、直接動いただと……?)
さすがにこれは、明らかな想定外の事態だった。
「……っ!」
森崎は、優雅な微笑みを瞬時に取り繕いながら颯爽と、されど内心は嵐のようにヒヤヒヤしながら、その場へと向かった。
(なぜ私が、こんな目に遭わねばならんのだ……!あのギャル、レセプションだけならと思って許可したのに、まさか国王陛下を直接動かすとは……!)
苦々しい思いを、完璧な笑顔の下に押し隠しながら、森崎は国王一行とるる奈、そして石田・貴司の前に、滑らかに到着した。
「国王陛下、恐れ入ります」
森崎は、深々と一礼した。
「お心遣い、誠にありがたく存じます。子ども食堂への御厚意につきましては、我が国、外務省が正式にお受けいたします」
その言葉には、絶妙な交渉の技術が込められていた。
国王の善意を無下にすることなく、しかし、あくまで外務省という正式なルートを通す形へと、巧みに誘導する。
国王は、それに対して鷹揚に頷いた。
「もちろん、それで結構です。正式な手続きは、御国の方式にお任せいたします」
「ありがとうございます」
森崎は、再び深く一礼した。
「――では、陛下。次のプログラムのご案内を」
「ええ、そうしましょう」
国王はるる奈に向かって、最後に穏やかな微笑みを見せた。
「本日は、素敵な出会いをありがとうございました」
「あ、いえ、こちらこそ……!」
るる奈が、慌てて頭を下げている間に、国王と森崎は、そのままその場を後にしていった。
「……それでは、千道先生。私たちも、これで」
石田が、まだどこか呆然とした様子で、そう言った。
「今日は、なかなか貴重な体験をされましたね」
貴司も苦笑気味に付け加えると、二人もまた社交辞令的な会釈を残し、その場を去っていった。
あっという間に、るる奈の周りから、全員がいなくなった。
残されたのは、るる奈とテーブルの上の、食べかけのフルーツだけだった。
「……」
るる奈は、しばらくの間呆然と立ち尽くしていた。
(……なに、今の?国王陛下、元総理二人、外務大臣……。全部、一気に来て、一気に去っていった……)
まるで、巨大な台風の中に、いきなり放り込まれ、そして、すぐさま台風そのものが通り過ぎていったかのような感覚だった。
「……ウチ、何もしてないのに、なんか、めちゃくちゃすごいことになった気がする……」
るる奈は、力の抜けた声でそう呟いた。
手元には、まだ半分残ったマンゴーの皿。
その甘さだけが、この非現実的な出来事の唯一の現実として、るる奈の手のひらに残っていた。




