第72話 【国際レセプション編】ボッチ議員、フルーツコーナーで本音を漏らす。ていうか、あの子たち、なんかオーラすごくない?
南国諸島の伝統楽器の音色と、日本の弦楽器の音色が、静かに溶け合っていく。
会場の中央では、両国の演奏家によるコラボレーションが披露され、演奏が終わると自然な拍手が波紋のように広がった。
参加者たちは、思い思いに小さな輪へと戻っていく。
名刺交換、握手、そして数分間の静かな談話。
派手な演説も、大きな歓声もない。
ただ、礼節と信頼を重んじる落ち着いた空気だけが、会場全体を満たしていた。
――その中にたった一人、完全に浮いている人物がいた。
「……えっと」
千道るる奈は、シャンパングラスを左手に持ったまま、会場の隅で所在なさげに立ち尽くしていた。
(誰も、ウチのこと知らない……。てか、ウチも誰のことも知らない……)
周囲を見渡しても、知った顔は一人もいない。
みんな、それぞれのグループで、流暢な会話を交わしている。
財界人らしきスーツ姿の男性たちの輪、外交官らしき人々の輪、学者風の人々の輪。
誰もるる奈に対して、悪意を持っているわけではない。
ただ誰も、るる奈のことを、気にも留めていないのだ。
(……これ、完全にボッチじゃん)
闇金の事務所で、震えながら黒金の前に座っていた時とも違う。
永田町の会議室で、居心地悪く座っていた時とも違う。
ただ純粋に、「誰にも必要とされていない」という、静かな疎外感がるる奈の胸をじわじわと締め付けていった。
(誰か、話しかけてくれないかな……)
そんな祈るような気持ちで、るる奈が視線をさまよわせていた、その時だった。
「――もしかして、千道先生?」
聞き覚えのある声に、るる奈は勢いよく振り返った。
「あっ!春日局長!」
そこにいたのは、民自党女性局長、春日春子だった。
いつものにこやかな笑みを浮かべ、こちらに歩み寄ってくる。
(助かった……!顔見知りだ……!この際、春日局長でもいいから、話し相手になってほしい……!)
るる奈は、内心で盛大に安堵しながら駆け寄ろうとした。
だが、その瞬間だった。
「Oh, Chunko! It’s been a long time!」
春日局長は、るる奈のすぐ横をすり抜けるように、近くにいた金髪の女性――。
どこかの国の外交官らしき人物に、流暢な英語で声をかけた。
「Chunko! It's been ages. How have you been since the Geneva conference?」
「Very well, thank you. And you? Still terrorizing the opposition benches, I hope?」
二人は軽やかに笑いながら、そのまま英語での会話を続けていく。
(……え?)
るる奈は、目の前の光景にしばし呆然とした。
(春日局長、めっちゃペラペラじゃん……!)
春日局長は、そのままるる奈の存在に気づいたように、ちらりと視線を寄越した。
「あら、千道先生。国会議員ですもの、英会話くらいは嗜みよね?」
その言葉には、優しさを装った明確なマウントの色が滲んでいた。
「あ、いや、ウチ、あんまり……」
「あら、そう。まあ、頑張ってちょうだいね」
春日局長はそれだけ言うと、再び外交官の女性との英語の会話に戻っていった。
優雅な笑みを浮かべながら、まるで水を得た魚のように、国際的な社交の場を泳ぎ回っていく。
(……これが、春日局長の本当の実力……)
るる奈は、いたたまれない気持ちでそっとその場から離れた。
(普段は、お局様みたいなオーラで、なんか苦手意識あったけど……。ちゃんと、実力ある人だったんだ……)
その事実を目の当たりにし、るる奈は逆にいたたまれなさが増していく。
(……もう、いいや。せめて、フルーツでも食べよ)
るる奈は、会場の端に設置された南国諸島の特産フルーツコーナーへと、逃げるように向かった。
色とりどりのトロピカルフルーツが、美しく盛り付けられている。
マンゴーやパパイヤ、見たこともない形の果物――。
どれも、宝石のように輝いていた。
「……いただきます」
るる奈は、小さなフォークでマンゴーを一切れ口に運んだ。
「――っ!うま!」
思わず、声が出た。
濃厚な甘さと、とろけるような食感が、口いっぱいに広がる。
周囲のゲストたちは、あくまで社交辞令的に、一口、二口を上品に味わうだけで、すぐに会話へと戻っていった。
だが、るる奈は違った。
「これも、美味しい……!こっちも……!」
次から次へと、遠慮なくフルーツを頬張っていく。
その姿は、まるでフォーマルな会場の中で、一人だけ完全に素に戻ったかのようだった。
夢中でフルーツを味わっているうちに、るる奈の脳裏に、ふと別の光景が浮かんできた。
――築四十年の、古びた古民家。
カレーの匂いと、子供たちの騒ぎ声。
最後の一粒まで、必死にスプーンで掬っていた、あの小さな女の子。
『明日まで、これでお腹いっぱいにしなきゃいけないから』
(……あの子、今、何食べてるんだろう)
るる奈は、口の中のマンゴーの甘さとあの日の記憶の苦さを、同時に噛みしめた。
(ここ、めちゃくちゃ豪華じゃん。フルーツも、めちゃくちゃ美味しいし、会場もキラキラしてて……。あの子ども食堂とは、全然違う世界だ)
目の前の豪華絢爛な光景と、あの薄暗い古民家の記憶。
あまりにも大きすぎる格差に、るる奈の胸の奥が静かにざわついた。
(……ウチ、今、ここで何もできないんだよね。ただ、フルーツ食べて、感動してるだけ)
もどかしさが、じわりと胸に広がる。
だが、それでも――。
(……甘い。マジで、甘い)
目の前のフルーツは、変わらず圧倒的に美味しかった。
その事実だけは、否定しようがなかった。
「――このフルーツ、美味しいですか?」
不意に、澄んだ声がるる奈の耳に届いた。
振り返ると、そこには綺麗な民族衣装に身を包んだ、二人の子供たちが立っていた。
年齢は、十歳前後だろうか。
凛とした佇まいと、洗練された立ち居振る舞いに、どこか只者ではない雰囲気が漂っている。
「あ、うん!めちゃくちゃ美味しい!特にこのマンゴー、やば!」
るる奈は、いつものギャルのノリで素直に答えた。
「そう言っていただけて、嬉しいです」
子供たちは、上品な笑みを浮かべながら頷いた。
「――あのさ」
るる奈は、ふと思いついたように続けた。
「これ、日本にいる子どもたちにも食べさせてあげたいなあ。すっごく美味しいの、知らないまま大人になっちゃうの、もったいないじゃん」
その言葉に、子供たちは少しだけ驚いたような表情を見せた。
「日本の子どもたちにですか?」
「うん。ウチの知り合いの子ども食堂にいる子たちなんだけどさ。あの子たちにも、こういう美味しいもの、いっぱい食べさせてあげたいなって、思ってさ」
るる奈は、子供たちが南国諸島の王族の子女であるとは、知る由もなかった。
いつも通りの、飾らない素朴な口調のまま話し続けていた。
「ていうか、君たちも、これ、めっちゃ美味しいよ。もっと、食べていいんだよ?」
子供たちは、しばしるる奈の顔をじっと見つめていた。
その視線には、戸惑いと、それ以上の何かを探るような色が、静かに宿っていた。
「……そうですね。私たちも、大好きです」
子供の一人が、静かに答えた。
「そっか!じゃあ、いっぱい食べよ!」
るる奈は、屈託なく笑いながらフォークを差し出した。
子供たちは、しばらく無言のままるる奈の様子を見つめていたが、やがて、静かに一礼した。
「……失礼いたします」
「え、あ、うん、またね!」
子供たちは、そのままるる奈のもとを離れ、会場の別の方向へと歩いていった。
るる奈は、その後ろ姿を見送りながら、小さく首を傾げた。
「……なんか、あの子たち、めっちゃオーラすごくない……?」
まるで、育ちの良さが、そのまま雰囲気として滲み出ているかのような、あの佇まい。
「……まあ、いっか。フルーツ、美味しいって言ってくれたし」
るる奈は、深く考えることもなく、再び目の前のトロピカルフルーツに手を伸ばした。
その様子を、離れた場所からじっと見つめる視線があることに、るる奈はまだ気づいていなかった。




