第71話 国際レセプション編】国際レセプションデビュー。ていうか、この空気、闇金の事務所より緊張するんだけど……
若林からのLINEが届いたのは、森崎大臣室を辞去した、その日の夜だった。
『千道先生、レセプションの服装について、大臣の秘書室からの申し送りです』
メッセージには、箇条書きで詳細な指示が並んでいた。
『ネイビーのテーラードパンツスーツ』
『白のシルクブラウス』
『さりげないアクセサリー(派手すぎないもの)』
『黒のパンプス』
『小ぶりのレザーバッグ』
『国会議員バッジは必ず着用』
『「信頼感」「知性」「実務家」を印象づける装いを意識してください』
『立ち居振る舞い、雰囲気づくりにも、十分ご注意ください』
「……うわ、めちゃくちゃ具体的な指示きた」
るる奈は、スマホの画面をスクロールしながら思わず唸った。
(信頼感、知性、実務家……。ウチに一番縁のない三単語じゃん)
翌朝、議員会館の自室で、るる奈は勢い込んで御子神たちの前にLINEの画面を突き出した。
「見て見て!森崎センセイのとこから、服装指示きたの!ウチ、レセプション参加できることになったから!」
御子神、丸目、竹中の三人は、一瞬示し合わせたように顔を見合わせた。
「……先生。本当に、参加が許可されたのですか?」
御子神の声には、さすがに隠しきれない驚愕が滲んでいた。
「うん!最初、めちゃくちゃお説教されてガチ泣きしたんだけど、最終的にレセプションだけって条件でOKもらえた!」
「……信じられません」
丸目も、呆然とした様子で呟いた。
「正直、私たちは先生が森崎大臣に一喝されて、すごすごと退散してくる未来しか、想定していませんでした」
「うわ、そこまで信用ないの!?」
「先生の過去の実績からすれば、当然の想定です」
竹中が、容赦なく言った。
「そもそも、外務省という組織は、こういったアポなし直談判を極めて嫌います。ましてや、格式高い国際フォーラムのレセプションに、他委員会の新人議員が突発的に割り込む――。前代未聞と言っても過言ではありません」
「え、そんなにヤバいことしてたの、ウチ」
「はい」
三人の声が、綺麗に重なった。
「……でも、まあ、結果オーライじゃん!」
るる奈は、けろりとした様子で笑った。
その切り替えの早さに、三人は揃って深いため息をついた。
「――それで、この服装の件、色々教えてほしいんだけど」
るる奈は、話を本題に戻した。
「テーラードパンツスーツって、どういうやつ?あと、さりげないアクセサリーって、どのレベルまでがさりげないの?」
「先生」
御子神が、静かに立ち上がった。
「今回は、私が担当します」
「え、御子神さん、なんでそんな急に頼もしい感じなの」
「以前、外務大臣の私設秘書を務めていた経験があります」
「ええっ!?初耳なんですけど!」
「先生に申し上げる機会が、これまでありませんでしたので」
御子神は、いつもの無表情のまま淡々と続けた。
「国際的なレセプションには、独特の作法とマナーがあります。今日は、その基本をみっちりお教えします」
その後丸目と竹中は、揃って「私たちは、こういった国際外交の場に立ち会った経験がないため、正直アドバイスのしようがありません」と、素直に白旗を上げた。
代わりに、御子神がレンタルブランドショップの手配から、当日の立ち居振る舞いに至るまで、すべてを一手に引き受けた。
「まず、服装について」
御子神は、ホワイトボードに簡潔に要点を書き出していく。
「テーラードパンツスーツは、ジャケットとパンツがセットになった、フォーマル寄りのスーツです。色はネイビー――紺色です。派手さを抑えつつ、堅実さと知性を印象づける、国際会議の定番カラーです」
「あー、なるほど。地味っぽい色だけど、逆に安心感あるやつってこと?」
「概ね、その通りです」
「アクセサリーは?」
「小さめのパールのイヤリングか、控えめなネックレス程度に留めてください。派手なピアスや大ぶりのブレスレットは、厳禁です」
「え、じゃあ、いつものデコネイルは……」
「言うまでもありませんが、封印してください」
「うっ……。分かってたけど、地味に辛い……」
るる奈は、自分のネイルを名残惜しそうに見つめた。
「議員バッジは、必ず正しい位置に着用してください。これは、あなたが正式な国会議員として出席していることの、最低限の証明です」
「うぃ、了解」
御子神は、さらに細かい注意点を続けた。
「レセプションでは、シャンパングラスは、常に左手に持ってください」
「え、なんで左手?」
「右手を、常に握手のために空けておくためです」
「うわ、そんな細かいルールあるんだ」
「歩き回る際は、決して急がず慌てず、優雅に。誰かと会話をする際は、目を見て笑顔を絶やさないこと。 そして――」
御子神の声が、少しだけ低くなった。
「決して、政策的な言質を取られるような発言は、しないでください。あくまで、先生は『経験を積むための出席者』です。目立とうとせず、しかし失礼のないように慎重に立ち振る舞ってください」
「……はい」
るる奈は、真剣な顔で頷いた。
(森崎センセイに、あんな思いさせたんだから、粗相は絶対にできないな……)
脳裏に、あの日の大臣室での光景が蘇る。
分厚い極秘資料、そして、静かに鋭く突き刺さった森崎の言葉。
(あの人に、ガチ泣きさせられたの、絶対忘れない……。でも、最後には、参加させてくれた……)
るる奈の心の中で、感謝と緊張が複雑に絡み合っていた。
当日、東都総合国際フォーラムの前には、丸目が運転する車が、静かに停車した。
「先生、着きました」
「うぃ、ありがとう丸目さん」
るる奈は、ネイビーのパンツスーツに身を包み、いつものデコネイルの代わりに、控えめなベージュのネイルを施した指先で、そっとドアを開けた。
会場の入り口に近づいた瞬間、その空気の重さに、るる奈は思わず息を呑んだ。
「……こ、こんなに、厳重なの……?」
入り口には、金属探知機のゲートが、いくつも設置されていた。
制服姿の警備員に加え、明らかに要人警護のプロと分かる、スーツ姿の屈強な男性たちが、周囲に目を光らせている。
「恐れ入りますが、身分証明書の提示をお願いいたします」
るる奈は、震える手で議員バッジと身分証を差し出した。
警備員は、それを丁寧に厳格に確認する。
「事前登録リストと、照合させていただきます。少々、お待ちください」
「……あ、はい」
名簿との照合には、外務省の職員らしき人物が、無線機片手に別の場所と何度もやり取りをしていた。
るる奈は、その様子を緊張しながら見守った。
(……ウチ、ちゃんとリストに載ってるよね……?まさか、直前で参加取り消しとか、ないよね……?)
数十秒――。
るる奈にとっては、永遠にも感じられる時間の後、職員が頷いた。
「千道るる奈先生、確認いたしました。どうぞ、こちらへ」
「あ、ありがとうございます……!」
金属探知機のゲートを抜け、バッグの中身を専用のトレイに乗せ、追加のチェックを受ける。
スマホ、口紅、財布――。
すべてが、丁寧に容赦なく確認されていった。
(これ、外務省行った時と、同じくらいか、それ以上にガチじゃん……)
外務大臣室を訪ねた時のセキュリティチェックを思い出しながら、るる奈はなんとかその場を通過した。
入館証を受け取り、胸元に着用する。
そして、大きな扉の向こうへと足を踏み入れた瞬間――。
「……」
るる奈は、言葉を失った。
高い天井、シャンデリアのように輝く照明、丁寧に整えられた花々。
スーツ姿の国会議員たち、大使館関係者らしき外国人、そして明らかに只者ではないオーラを放つ財界人たち。
あちこちで、静かに洗練された会話が交わされている。
これまで経験してきた、闇金事務所の殺伐とした空気とも、永田町のバタバタとした喧騒とも、フランスの観光地の華やかさとも、まったく違う――。
格式と緊張感と静かな熱気が、絶妙に混ざり合った独特の空気。
(……なにこれ。ウチ、今まで感じたことない空気、感じてる……)
るる奈は、その場に立ち尽くしたまま、しばらく動くことができなかった。




