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第63話 条約ってなに?法律と何が違うの?ていうか、ウチが国際外交に関わってるとかマジ?

 その日の臨時国会の本会議は、いつもよりどこか穏やかな空気に包まれていた。

 議題は、日本と南国諸島との間で結ばれる、新たな友好条約。

 ビザの簡素化、留学生や芸術家の交流、姉妹都市提携の促進、そして伝統文化――お祭りや民族舞踊の相互紹介。

 るる奈は、いつも通り「党議拘束=賛成」の方程式に従い、特に深く考えることもなく賛成のボタンを押した。


(南国諸島……。なんか、めっちゃ楽園っぽい響きじゃん。トロピカルジュースとか出てきそう)


 その程度の感想を抱きながら、あっさりと採決は終わった。

 議員会館の自室に戻ったるる奈は、ソファに寝転がりながら、ふと思い出したように口を開いた。


「ねえ、さっきの南国諸島のやつ。あれって、法律なの?」


「条約です」


 御子神が、書類を整理しながら簡潔に答えた。


「じょーやく?」


「はい、条約です。先生」


「……あの御子神さん、法律と条約って、違うものなの?」


 その瞬間、御子神、丸目、竹中の三人が、揃って手を止めた。


「……先生」


 御子神が、どこか疲れたような声で言った。


「半年近く議員をされていて、その質問はなかなか衝撃的です」


「え、だって、なんかどっちも国会で賛成のボタン押すやつじゃん。同じようなもんじゃないの?」


「根本的なところから、説明が必要なようですね」


 竹中が眼鏡を押し上げながら、部屋の片隅にあるホワイトボードを引き寄せた。


「先生、まず『法律』というのは、日本国内のルールです。国民の権利義務、税金の仕組み、犯罪と刑罰――すべて、国内で完結する決まりごとです」


「うん、さすがにそれぐらいは分かるっしょ」


「一方、『条約』は、日本という国と、他の国、あるいは国際機関との間で結ぶ国と国との約束事です。今回の南国諸島との友好条約も、日本一国だけで決められるものではなく、相手国と交渉し合意した内容を、正式な文書にしたものです」


「へー……。 じゃあ、条約って、外国と握手するみたいなやつ?」


「大枠では、間違っていません」


 丸目が、苦笑しながら補足した。


「条約は、内閣が外国政府と交渉して、まとめ上げます。外務省の官僚たちが、何度も相手国と協議を重ねて、文言の一つひとつを詰めていくんです」


「え、じゃあ、国会は何のためにあるの?内閣だけで決めちゃえばよくない?」


「そこが、重要なポイントです」


 御子神が、静かに力を込めて言った。


「日本国憲法第七十三条により、条約の締結は内閣の権限とされていますが、同時に、事前または事後に国会の承認を経ることが必要と定められています」


「……つまり?」


「内閣の一存で決めた条約でも、国会――つまり、私たち国民の代表である議員がきちんと中身を確認し賛成しなければ、正式に効力を持たない、ということです」


「へー……。 じゃあ、さっきウチが賛成のボタン押したの、地味に大事な仕事だったってこと?」


「はい、全くもってその通りです」


 竹中が、頷きながら続けた。


「法律は、国内だけで完結する話です。ですが、条約はいったん締結すれば、日本という国そのものが、国際社会に対して負う『約束』になります。その重みは、国内法よりも、ある意味で大きいとも言えます」


「うわ、それ聞くと、ちょっと今更ビビるんだけど……。 ウチ、まあ賛成でいいっしょ、くらいのノリで押しちゃったじゃん」


「先生らしいと言えば、先生らしいです」


 御子神が、深いため息をついた。

 るる奈は、ソファの上で体を起こし、まじまじと三人を見つめた。


「……待って。てことは、今回の南国諸島の条約の件、ウチの一票も日本と外国の間の正式な約束を成立させるその一部になったってこと?」


「まさに、その通りです」


「……ウチが、国際外交に関わってる……?」


 その瞬間、るる奈の瞳にみるみる光が宿り始めた。


「ちょ、待って、これってめちゃくちゃすごくない!?ウチ、闇金から借金して当選しただけの、元ニートギャルなんですけど!それが、外国との条約に、賛成の一票投じてるってこと!?」


「……興奮する部分が、そこですか」


 丸目が、思わず苦笑した。


「うわ、ヤバ!ウチ、外交に片足突っ込んでるじゃん!」


 るる奈は、興奮した様子でソファの上でパタパタと足を動かした。


「ねえ、南国諸島って、どこにあるの?」


「南太平洋に位置する、島嶼国です」


 竹中が、地図アプリを開いてタブレットを差し出した。


「観光資源が豊富で、伝統的な民族舞踊や音楽文化でも知られています。日本とは、これまで大きな外交関係はありませんでしたが、近年、観光振興や文化交流の観点から、関係を深めようという動きが出てきました」


「へー……。 てことは、今回の条約が成立したら、南国諸島の人たちがもっと気軽に日本来れたりするの?」


「はい。短期滞在に関しては、ビザが免除、あるいは簡素化される見込みです」


「じゃあ、ウチも、逆に南国諸島に行きやすくなるってこと?」


「理論上は、そうなります」


「うわ、行きたい! トロピカルジュース飲みながら、民族舞踊とか見てみたい!」


 るる奈は、すっかり南国諸島への旅行モードに入っていたが、そこで、ふと真顔に戻った。


「……いや待って。ウチ、さっきまで条約と法律の違いすら分かってなかったのに、こんな大事な国際的な約束に、賛成の一票押しちゃってたってこと?ウチ、大丈夫だったの?」


「正直に申し上げますと」


 御子神が、少し言いにくそうに言った。


「今回の条約自体は、文化交流や人的往来の促進が中心で、外交的にセンシティブな内容は、ほとんど含まれていません。反対する材料が少ない、通しやすい条約でした」


「……つまり?」


「先生が中身を深く理解していなくても、党議拘束に従って賛成する分には、大きな問題は生じなかった、ということです」


「うわ、それって地味に恐ろしい話じゃない?ウチが理解してなくても、なんとなくで回ってたってこと?」


「……そうですね。ですが」


 竹中が、静かに付け加えた。


「本来であれば、条約の中身についても、先生ご自身がしっかりと理解した上で、賛否を判断されるべきです。今回はたまたま、内容が平和的なものだったから良かったものの、これが安全保障や経済的に重大な影響を及ぼす条約だった場合の時は、話は全く別です」


「……あ」


 るる奈の顔から、すっと興奮の色が引いた。


「ウチ、もし次に、めちゃくちゃヤバい内容の条約が来たら、ちゃんと理解できるのかな……」


「それは、これからの課題ですね」


 御子神が、確かな口調で言った。


「よい機会です。先生には、条約と法律、それぞれの重みの違いを、今からしっかりと覚えていただきたいと思います」


「うぃ、了解……」


 るる奈は、神妙な顔で頷いた。

 だが、その神妙さはそう長くは続かなかった。


「――でもさ、やっぱり外交に関わってるって、めちゃくちゃカッコよくない?」


「先生」


「だって、ウチの一票が日本と南国諸島の、正式な友好の証になったんだよ?これ、地味にすごいことだよね!?」


「……まあ、間違ってはいません」


 御子神は、諦めたように小さく息を吐いた。


「では、実際の条約文書を、一度ご自身の目で読んでいただきましょうか」


「え、読むの?」


「はい。実際の条文に触れておくことは、無駄にはなりません」


 竹中が、分厚い条約の全文コピーを、テーブルの上に静かに滑らせた。


「――前文。日本国及び南国諸島は、両国国民の相互理解及び友好関係の一層の深化を希求し……」


「うわ、漢字多っ……」


 るる奈は、条文を手に取り早くも顔をしかめた。


「でもまあ、南国諸島に行けるようになるなら、ちょっとくらい頑張って読むか……」


 その日の夜、議員会館の自室では、るる奈が珍しく真剣な顔で条約の全文を読み込んでいた。


「――『姉妹都市提携の促進』……これ、ウチの地元も、南国諸島のどっかと姉妹都市になったりするのかな……」


 ぽつりと呟くその声には、これまでの数合わせの議員生活とは、少しだけ違う響きが混じっていた。

 国内の税金や制度だけでなく、外国との約束事にも、自分の一票が関わっている。

 その事実は、るる奈にとって、想像以上に大きな実感として、静かに胸の中に広がっていった。


「……ウチ、思ったより、すごい仕事してるのかも」


 窓の外、夜の永田町の向こうに広がる空を見上げながら、るる奈は小さく呟いた。

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