第61話 来賓デビューでチヤホヤされる予定だったんだけど、謎の封筒渡されてガチで焦ったんだけど
「……はぁ。 なんでウチ、また呼び出されてるわけ」
るる奈は不機嫌そうにぼやきながら、福島副幹事長の部屋の前に立っていた。
分厚い木製のドアをノックする指先も、心なしか重い。
「失礼しまーす……」
「遅い」
入るなり、開口一番がそれだった。
デスクの向こうで書類を睨みつけていた福島副幹事長は、るる奈を見るなり眉間の皺をさらに深くした。
「千道。お前に来賓の仕事を回す」
「来賓?ウチが……」
るる奈は、思わず自分を指差した。
福島は、苛立たしげに書類を突き出す。
「我が党を長年支援してくれている大手企業からの招待だ。本来なら中堅の重鎮先生が担当だが、あいにく重要な部会と日程が被った。お前が代理で出席しろ」
「え、ラッキー!」
「喜ぶな、全く」
るる奈の顔がパァッと明るくなった瞬間、福島の一喝が飛んだ。
「いいか、決して粗相をするな。相手は党の大事な支援企業だ。お前のような新人を送り込むこと自体、本来なら断りたいくらいだが、日程上他に空いている議員がいない。 秘書の御子神の指示は、絶対に守れ。分かったな!」
「はいはーい、了解っす☆」
るる奈は右手を額に当てて敬礼のようなポーズを取ったが、その頭の中はすでに全く別の場所に飛んでいた。
(来賓……。来賓ってことは、あれじゃん。VIP待遇ってやつじゃん……!)
福島がまだ何か言っているのに、るる奈の脳内は、ふわふわと妄想の海を漂い始めていた。
(赤絨毯敷かれて、両脇にイケメンがついて、社長さんが「るる奈先生! どうぞこちらへ!」って揉み手してきて、シャンパンタワーとかあって、みんなにチヤホヤされて……)
「――道、千道」
「へっ!?」
福島の低い声で、るる奈は現実に引き戻された。
「話、聞いてるのか」
「き、聞いてます聞いてます! 粗相しないやつですよね!」
「……」
福島は、深く長いため息をついた。
まるで、これから起こるであろう惨劇を予知した予言者のような顔だった。
「とにかく、御子神に全て任せる。お前は指示された通りに動け。それだけだ。……頼むから、党の恥をこれ以上増やすなよ」
「善処しまーす」
部屋を出た瞬間、るる奈はガッツポーズを決めた。
「よっしゃ、VIP待遇きたああああ!」
その様子を、ドア越しに聞いていた福島は、こめかみを押さえながら独り言ちた。
「……あれで大丈夫か、本当に」
数日後の朝。
議員会館の前には、党のロゴも入っていない地味な色のリース車が一台停まっていた。
運転席には、当然のように御子神が座っている。
「それでは、先生。今から出発しますので、乗ってください」
「うわ、地味な車……。もっとこう、黒塗りの高級車的なやつじゃないの?」
「経費削減のため、カーリースの一般車両です。それに、目立つ車で乗り付けるのは、かえって印象がよくありません」
「ふーん。でも、地味だなぁ……」
るる奈は、ぶつくさ言いながら後部座席に乗り込んだ。
車が発進すると、御子神は前を向いたまま、淡々と注意事項を読み上げ始めた。
「いいですか、先生。本日の来賓は、あくまで本来の担当議員の代理です。決して自分が主役だと、勘違いしないでください」
「はいはい、わかってるって」
「先方企業の担当者との会話は、当たり障りのない範囲に留めてください。特に、政策的な言質を取られるような発言は厳禁です」
「りょーかい」
「食事の席では、周囲の会話をよく聞き、自分から余計な発言をしないこと」
「はーい」
るる奈は生返事を繰り返しながら、窓の外を眺めていた。
その顔には、まだ隠しきれない浮かれた笑みが張り付いている。
(御子神さんは細かいこと言ってるけど、要はVIPとして堂々としてろってことっしょ。任せて!ウチ、そういうの得意だし!)
御子神はバックミラー越しにその表情をチラリと確認し、静かく深く息を吐いた。
(……この顔は、絶対に話を半分も聞いていない顔だ)
到着したのは、都心にそびえる大手企業の本社ビル。
エントランスで出迎えたのは、その企業の中堅社員である担当者・宮下だった。
「本日はお忙しい中、ありがとうございます……。えっと、千道るる奈先生……ですね」
宮下の声には、明らかに落胆の色が滲んでいた。
本命の重鎮議員が来るはずが、まさかの若くて見るからに畑違いのギャル議員――その事実に、彼の愛想笑いはどこか固まっている。
(あ、これ……)
るる奈は、敏感にその空気を察知した。
歓迎ムードというより、明らかに本命じゃなくて残念という空気。
VIP待遇の妄想は、初手で音を立てて崩れ始めた。
(……マジか。チヤホヤされるどころか、逆に微妙な空気じゃん……。まあ、ウチ代理だし、仕方ないっしょ)
るる奈は内心でしょんぼりしかけたが、すぐに気持ちを切り替えた。
案内された応接室では、事前に御子神からみっちりレクチャーされた「来賓としての最低限の所作」――名刺交換、当たり障りのない挨拶、相槌の打ち方――を、るる奈は淡々とこなしていった。
「本日は、お招きいただきありがとうございます。 本来の担当が急な部会のため、代理で参りました千道です」
その口調は、いつものギャル語ではなく、御子神に叩き込まれた「議員モード」の丁寧語だった。
宮下は少し意外そうな顔をしたが、それ以上は特に気にする様子もなく、業務的な会話を淡々と続けた。
その後の懇談は、商談や経済談議、業界の動向、株価の話、社内人事の話――るる奈にとってはまるで異国の言語のような話題ばかりだった。
(つまんな……。ウチ、この話の半分も理解できてないんだけど)
るる奈は微笑みを保ったまま、心の中で盛大にあくびをしていた。
手持ち無沙汰に、テーブルの下でこっそりスマホをいじろうとして御子神の鋭い視線に気づき、慌てて手を引っ込める。
(見てないようで見てるじゃん、御子神さん……)
やがて場は、企業側が用意した高級料亭での食事会へと移った。
個室に案内され、席に着いた瞬間――目の前に運ばれてきたのは、上品な器に美しく盛り付けられた懐石料理の先付けだった。
「……うわ」
るる奈は、思わず小さく声を漏らした。
まず、出された白米。
艶やかに炊き上がった一粒一粒が、まるで宝石のように輝いている。
恐る恐る一口食べた瞬間――
(……え、ちょっと待って。お米ってこんな美味しいの……?)
るる奈は、本気で目を見開いた。
実家で炊いていた普段の米とは、次元が違った。
噛むほどに広がる甘み、ふっくらとした食感。
生まれて二十五年、白米という食べ物をこれほど美味しいと感じたのは、初めてだった。
続いて出された椀物、旬の魚を使った造り、炭火で炙られた和牛、季節の野菜の炊き合わせ――一品一品が、まるでそれ単体で主役を張れるほどの完成度だった。
「……ヤバい。 マジでヤバい」
るる奈は箸を止められず、隣で控えめに食事を進める御子神をチラリと見た。
「御子神さん、これ、めちゃくちゃ美味しくないですか!?」
「……美味しいですね」
いつもは無表情な御子神も、その料理の質には素直に頷いた。
るる奈は次々と運ばれてくる料理を、一口食べるごとに小さく感嘆の声を漏らしながら味わい尽くした。
闇金に怯えていた日々、実家でコンビニのおにぎりを頬張っていた日々――そんな記憶が一瞬頭をよぎり、目の前の贅沢な料理との落差に、不思議な感慨が込み上げてきた。
(……ウチ、国会議員になって、初めて良かったて、思えたかも)
プロニート時代には、縁もゆかりもなかった世界。
恐怖と借金と屈辱の果てに転がり込んだ議席。
けれど、まさにこの瞬間だけは、素直にその恩恵を噛みしめていた。
しかし、和やかな空気は長くは続かなかった。
食事も終盤に差し掛かった頃、席を外していた別の担当者――先ほどの宮下よりも役職が上らしい、恰幅の良い中年男性・大森が、るる奈の隣にすっと座り直した。
「千道先生。今日は本当にありがとうございます」
「あ、いえ、こちらこそ、ご馳走様です」
るる奈がにこやかに頭を下げると、大森はテーブルの下で、そっと分厚い封筒をるる奈の手元に滑らせてきた。
「……これ、ほんの気持ちです。今後とも、我が社のことをどうぞよろしくお願いいたします」
「……は?」
るる奈は封筒を見て、素で首をかしげた。
どう見ても、ただの菓子折りの厚みではない。
「これ、何すか?」
「まあまあ、細かいことは……。先生のような若い方が、これから党内で活躍されるためにも、色々と物入りでしょうから」
大森は揉み手をしながら、意味深な笑みを浮かべた。
るる奈は、本気で困惑した。
(え、これって……もしかしてアレ? テレビでよく見る、政治家が捕まるやつ?)
「あの、いらないです。ウチ、歳費だけで十分満足してるんで」
るる奈は素直に、本心から封筒を押し返した。
お金のトラブルに異常なほどの危機感を持っているるる奈にとって、それは魅力どころか、ただのよくわからない不穏なお金でしかなかった。
その時、はっきりとした声が割って入った。
「先生には、受け取っていただけません」
いつの間にか席の脇に控えていた御子神だった。
彼は完璧な角度で一礼しながら、大森の前に立ちはだかるように進み出た。
「大森様のお気持ちは大変ありがたく存じますが、千道は現職の国会議員でございます。このような形でのお受け取りは、色々抵触するおそれがございますので、丁重にご辞退させていただきます」
その口調は、あくまで柔らかいが一分の隙もなかった。
大森は一瞬気まずそうな顔をしたが、御子神の完璧な笑顔の圧に押される形で、すごすごと封筒を引っ込めた。
「……そ、そうですか。いや、失礼しました。他意はなかったのですが……」
「いえいえ、大森様のお気持ちだけ、しっかりと頂戴いたしました」
御子神はにこやかにその場を収め、大森の意識をさりげなく別の話題へと逸らしていった。
るる奈は、その一部始終を見ながら、心の底からホッと胸を撫で下ろした。
(た、助かった……。あのまま受け取ってたら、マジでテレビにテロップ出るやつだった……)
食事会がお開きになり、企業ビルを後にして車に乗り込んだ瞬間、るる奈はシートに深く沈み込んだ。
「……マジ、心臓に悪かった」
「お疲れ様でした」
運転席の御子神が、バックミラー越しに一瞬だけ視線を寄越した。
「先生。今回の様なことは、今後も必ず起こります。金銭であれ、物品であれ、便宜供与であれ。政治家という立場には、常に取り込みたい人間が、寄ってきます」
「……ウチ、本当にそんなの興味ないんだけどな。歳費だけで、正直もう十分すぎるくらいだし」
るる奈は、ぽつりと呟いた。
金銭への異常なまでの危機感だけは、彼女の数少ない美点の一つだった。
御子神はそれを静かに聞きながら、微かに口角を上げた。
「その感覚を、どうか忘れないでください。先生の一番の武器は、その危機感かもしれません」
「褒められてる……のかな、これ」
「もちろん、褒めていますよ」
るる奈は少し照れくさそうに、シートの上で膝を抱えた。
窓の外を流れる夜の街並みを眺めながら、今日一日の出来事を振り返る。
VIP待遇を夢見ていた朝と、微妙な空気の来賓対応、そして人生で一番美味しい白米。
そして、うっかり足を踏み外しかけた瞬間を、間一髪で救ってくれた第一秘書。
「……御子神さんがいなかったら、ウチ、今頃ニュースになってたかもね」
「その通りです。ですので、次からはもう少し、私の話を真面目に聞いてください」
「うっ……それは、はい、すみません……」
るる奈は、素直に頭を下げた。
車は静かに、夜の永田町を走り抜けていく。
るる奈の来賓デビューは、こうして冷や汗と美食と、ほんの少しの成長を伴って、幕を閉じたのだった。




