第45話【フランス研修編】フランス研修ガチ過ぎて瀕死状態なんだけど、パリの夜景見たら明日も頑張れそうなんですけど!?
国民議会での意見交換会、家族手当公庫の視察、子ども支援施設でのヒアリング、家族省での懇談――。
分刻みのスケジュールを、慣れないフランス語の通訳と、頭がパンクしそうな専門用語の波に揉まれながら、るる奈はどうにか乗り切った。
だが、二日目の研修が終わった時点で、るる奈の心と体は、完全に「電池切れ」の表示を出していた。
ホテルの部屋に戻った瞬間、るる奈は靴を残りの気合で脱ぐと、キングサイズのベッドに向かって一直線にダイブした。
「もう……無理……ウチ、溶ける……」
白いシーツに顔を埋め、るる奈はそのまま意識を手放しかけた。
「先生、お気持ちは分かりますが……」
紫村が、荷物を整理しながら静かに声をかける。
「あと少しで、ディナーのお時間です」
「……ディナー」
その一言に、うつ伏せのまま死んでいたるる奈の眉が、わずかにピクリと動いた。
「今夜も、フルコースですよ」
「……フルコース」
るる奈はのそりと顔を上げた。目に、わずかながら光が戻っている。
「紫村さん、それ、早く言って!」
「先生が、とてもお疲れの様子でしたので……」
「大丈夫! 元気出た! ギリギリで」
るる奈はよろよろと起き上がり、鏡の前で崩れた前髪を直し始めた。
研修は地獄でも、ディナーだけは唯一無二の希望だった。
確かに、その夜のディナーも完璧だった。
フォアグラのテリーヌ、魚介のポワレ、赤ワインソースの牛肉、そしてチョコレートを使った繊細なデザート。
るる奈は一口ごとに「うますぎる……」と呟き、昼間の疲労を着実に回復させていった。
食後、部屋で紫村と一息ついていると、ドアがノックされた。
開けると、氷室班に同行している女性議員・柚木結子と、その秘書・田辺が、コートを羽織って立っていた。
「千道さん、夜のパリ、ちょっと歩きに行かない? お土産、まだ何も買ってないでしょ」
柚木は明るい笑みを浮かべた。
氷室ほどの厳しさはなく、どちらかというと面倒見のいい先輩、という空気の人だった。
「え、いいんですか!? 氷室先生は?」
「氷室先生は資料の整理があるからって、部屋に残ってるわ。だから、今のうちよ」
るる奈は、紫村に問う。
「紫村さんも、一緒に行きますか?」
「もちろんです。 私も、お供いたします」
こうして、るる奈、紫村、柚木、田辺の四人で、夜のパリ散策が決定した。
ホテルを出ると、夜のパリは、昼間とはまったく違う顔をしていた。
街灯が石畳を柔らかく照らし、カフェのテラスにはまだ人が座って談笑している。
遠くにライトアップされたエッフェル塔が、金色に光っていた。
「わあ……」
るる奈は思わず足を止めた。
疲労困憊だったはずの体に、少しだけ力が戻ってくる。
「きれいでしょう」
「マジできれいです……。ウチ、生きてて良かった」
「大げさね」
柚木が笑いながら、近くの土産物屋へと入っていく。
店内には、ミニチュアのエッフェル塔、マカロンの缶、香水、マグネットなどがところ狭しと並んでいた。
「お母さんに、これ良いかも」
るる奈は小さなマカロン缶を手に取った。
りり華には可愛いキーホルダーを、しし男には……と考えて、少し悩んだ。
「しし兄も、お土産買わなゃ……あ、これ、いいかも」
選んだのは、フランス国旗風マグネットだった。
「紫村さん、これって、経費で落ちますか?」
「さすがに、お土産は自腹です、先生」
「だよね……」
紫村が静かに苦笑した。
柚木は香水を試しながら、るる奈に話しかけた。
「千道さん、明日で研修最終日ね。頑張ってるじゃない」
「頑張ってるっていうか、ギリギリ生きてる感じです……」
「氷室先生、厳しいでしょ」
「厳しいっす。でも、なんだかんだで……ちゃんとウチのこと考えてくれてる気がして」
「あら、それに気づけるなら合格ね」
柚木は意味深に笑った。
四人はその後もしばらく通りを歩き、小さなパン屋の匂いに誘われたり、路地の奥のカフェを覗いたりしながら、夜のパリを満喫した。
ホテルへの帰り道、るる奈はふと空を見上げた。エッフェル塔の光が、点滅しながらきらめいている。
「……明日、最終日か」
「そうですね」
「明日も、朝から資料の束なんですよね……」
「おそらく」
「ウチ、また死ぬかも」
「死なないでください、先生」
紫村の冷静な声に、るる奈は思わず笑った。
夜風が心地よく、ワインの香りがほんのり残る中、るる奈の頭の中では、明日の過密スケジュールへの不安と、今夜見た夜景の美しさが、ぐるぐると入り混じっていた。
(最終日……。もう一踏ん張り、いけるかな……)
マカロンの缶を抱えたまま、るる奈はホテルのロビーへと戻っていった。




