第30話 闇金スキャンダル
民自党衆議院議員、千道るる奈、二十五歳。
彼女の「手取り63万円最高っしょ!」というお気楽な日々は、今、本物の政治という名の、泥泥の濁流に飲み込まれようとしていた。
通常国会の会期末、六月二十七日。
衆議院本会議場に閉会のベルがけたたましく鳴り響く中、るる奈は自席で大きく伸びをした。
「あー、やっと終わった! マジで修学旅行の百倍長かったんだけど! これで今月は推しの配信に張り付けるわー!」
だが、その解放感はわずか三日後、最悪の電子音とともに打ち砕かれることとなった。
『緊急速報です! 民自党・千道るる奈衆議院議員に、闇金からの供託金調達疑惑が浮上しました!』
テレビ画面に突然映し出されたのは、歌舞伎町の雑居ビル――黒金の事務所の、防犯カメラの映像だった。
画質は最悪だが、そこに映るるる奈は、恐怖に怯えるどころか、「うわーっ、マジで六百万円あるじゃん! ヤバっ! 黒金さん、マジ神なんだけどー!」と、積まれた札束を両手で持ってピースサインを決め、無邪気に大はしゃぎしていた。
それは、彼女の圧倒的な「無鉄砲さと、考えなしのバカさ」が凝縮された、ある意味地獄のワンシーンだった。
黒金としては、この無鉄砲なギャルが万が一当選した時のために「いつか何かに使えるかもしれない」と、保険のつもりでデータを保存していただけで、決して流すつもりはなかった。
しかし、事務所のサーバーがランサムウェアの攻撃を受けるという完全な不可抗力のシステム不具合が発生。
データがネットの闇掲示板に丸ごと全流出し、一瞬にして消せないデジタルタトゥーとして世界中に拡散されてしまったのである。
ワイドショーは一斉に、『前代未聞のスキャンダル』『ギャル議員、反社から無邪気に資金調達!』と、狂ったように祭り上げ始めた。
議員会館の大会議室は、獲物の血の匂いを嗅ぎつけた記者たちで埋め尽くされ、特有の嫌な熱気が立ち込めていた。
「いいですか、先生」
壇上に上がる直前、控室で御子神がるる奈の細い肩をがっしりと掴み、氷のような冷徹な声で念を押した。
「余計なことは一切口にしないでください。質問には『プライベートな知人からの借入であり、現在は利息を含め完全に完済している』。これ一点張りで通してください。いいですね?」
「……うぃ、わかった。徹底的にはぐらかすわ。……まあ、大丈夫……っしょ」
だが、フラッシュの嵐を浴びながら壇上に上がったるる奈を待っていたのは、彼女を一人の人間とも思っていない、ワイドショー向けのゲスで過激な詰問の集中砲火だった。
「千道さん! 闇金を利用するのは反社会的勢力への利益供与、事実上の犯罪加担じゃないんですか!」
「映像では札束を持ってピースサインをしていましたが、あれは犯罪資金を得て喜んでいたということですか! 恥ずかしくないんですか!」
「そもそも、二十代の職歴なしの女性一人の身で、担保もなしに六百万円もどうやって借りたんですか? ネットでは、枕営業的な、肉体関係を担保にした不適切な契約があったんじゃないかと噂されていますが!」
――枕営業。不適切な関係。
るる奈の眉間が、ピクリと跳ね上がった。
自撮りライトでいつも輝いていた瞳の奥が、急速に凍りついていく。指先が怒りで小刻みに震え、奥歯がガチガチと鳴った。
「不適切な関係……? あんた、今、ウチが身体売って金作ったって言った?」
「事実を確認しているんです! 体の関係を担保にしたという具体的な噂もある!」
その瞬間、自分の無鉄砲さのツケを払うために永田町の地獄を命がけでサバイバルしているギャルの導火線付きダイナマイトが、ブチリと音を立てて爆発した。
「……あー、もう、うるっせぇな!! 四の五のガタガタぬかすんじゃねえよっ!!」
るる奈はマイクをひったくるように掴むと、ガタッと椅子を倒し飛ばす勢いで立ち上がった。
騒然としていた会場が、一瞬で水を打ったように静まり返る。横で御子神が「先生、お座りください!」と制止の声を上げたが、るる奈はそれ無視して発言した。
「あんたたちさぁ、さっきから上から目線で『恥ずかしくないのか』とか言ってるけど、一番バカで恥ずかしいのはこの国のシステムそのもっしょ!!」
るる奈は最前線の記者を指さし、ドスの利いた声で吠えた。
「ウチだってね、選挙のポスター見てさ、ウチみたいなバカでもワンチャン国変えられるかも、子ども食堂のあの子たちを救えるかもって思って立候補しようとしたよ! でもさ、供託金六百万円って何!? はあ!? どこに二十そこそこのニートギャルが、ポンと出せる六百万円なんて大金持ってんの!?」
「銀行行ったよ! でも『議員になれる保証も職もない奴には一円も貸せない』って門前払い! 当たり前じゃん! じゃあどうすんの!? 親が金持ちの政治家二世か、泡銭持ってるおじさん以外は、立候補する権利すらねえってこと!? だからウチは何も考えずに闇金に行ったんだよ! 担保? あるわけないじゃん! だから、あたしの『これからの人生と身体』を丸ごと担保にしたよ! 契約の中身を知りたい!? お前たちの基本料無料の脳内FANZAにアクセスしろ! そのピンク映像の六百万倍もエグい契約書だよっっっ!!もし落選してたら、あたしの人生ログアウトして、この世から完全消滅してたわっ!!」
記者たちが、あまりの剣幕に物理的にのけ反り、息を呑む。
るる奈はマイクを握りしめたまま、壇上から見下ろした。
「でも、おあいにくさま! ウチは起死回生で当選したからさあ! 指一本触れられてねえんだよ! ていうか、おかしくない!? 六百万円持ってないと、挑戦権すらもらえない国。でも、一回当選しちゃえば、歳費からのつなぎ融資で、一瞬で完済できる国! この矛盾、マジでギャグだよね! 映像でウチがはしゃいでたのはさあ、『これで挑戦できる!』って、ただただ嬉しかったからだよ! 税金なんて一円も使ってないわ! 文句ある!?」
「し、しかし、それは法的に不適切なプロセスで――」
「だから! その法がバカだって言ってんの!!」
るる奈は記者の言葉を完全に叩き潰した。
「決めたわ。あたし、供託金の廃止か、せめて大幅な引き下げを次の公約にする。ウチみたいに無鉄砲な若者が、女の尊厳や人生をオールインして闇金に駆け込まなくても、普通に選挙に出られるように! これ、ウチがセコくてケチなこの永田町でやる、本気の仕事にするから! 以上、終わり!!」
るる奈はマイクをデスクに叩きつけるように置くと、唖然として口を半開きにしている記者たちを鋭い目で睨みつけ、ヒールの音を響かせて足早に会見場を去った。
――その夜。
ネットの海は、この会見動画によって憲政史上最大の爆発を見せた。
『るる奈、闇金でピースしてたの草。考えなさすぎて逆にブレないの好き』
『人生ログアウトのリスクを何も考えずに背負って、結果的にシステムをハッキングしたギャル、強すぎるだろ』
『ハッキングの被害者である黒金さんも、まさかこんな形で動画がバズるとは思ってなさそう』
ハッシュタグ「#供託金600万は高すぎ」が、世界トレンド1位を独走。
当初、ただの無鉄砲なやらかしから始まった「闇金でのピースサイン」は、一晩にして、「命懸け(本人は天然)で既得権益の壁をブチ破った、庶民の圧倒的な代弁者」の象徴へと塗り替えられていったのだった。




