第27話 ウチ、空気読めないんじゃなくて読まないだけ。ていうか、若者の手取り、誰が守んの?
東京の蒸し暑い午後、黒塗りのレンタカーの後部座席で、るる奈は「あー、マジだりぃ……」と小さく毒づきながら窓の外を眺めていた。
今日は福島副幹事長の指令で、板橋区の障害者就労支援施設を視察した帰りだった。
「先生、お疲れ様です。次は会館に戻って、明日の部会の資料読みですね」
助手席の御子神が、バックミラー越しに氷のような視線を送る。
丸目がハンドルを握り、車は永田町付近へと差し掛かった。
だが、桜田門の手前で車列がぴたりと止まった。
「……何これ、事故? 渋滞エグくない?」
「デモですね」
丸目が前方を指さす。
道路を埋め尽くす人垣。色とりどりのプラカード。拡声器から響く怒号のようなシュプレヒコール。
参加者の多くは、るる奈と同世代か、さらに若い20代前半の若者たちだった。
「迂回しますか?」という丸目の問いに、るる奈は答えなかった。
るる奈の目は、ニート時代の自分と似たような格好をした、でもどこか疲れ切った顔の女性に釘付けになっていた。
「……ちょっと降りるわ。ウチ、あの人たちの話、聞いてくる」
「先生!? 危険です、SPもいないのに!」
御子神の制止を「大丈夫だって、それに手取り守るためにも現場見ろって言ったの御子神さんじゃん!」と強引に跳ね除け、るる奈は車を飛び出した。
地味なスーツの上着を脱ぎ捨て、派手なインナーを露出させた「いつものるる奈」に近い姿で、彼女はデモの渦中に突っ込んでいった。
最初、デモの若者たちは彼女を「冷やかしのギャル」だと思って警戒した。
「何? インスタのネタ探し?」
「デモとかマジウケる、とか思ってんでしょ」
るる奈はスマホをポケットに突っ込み、少しだけ腰を落として、地元のダチに話しかけるようなトーンで言った。
「いや、全然。マジで何にキレてんのかなーって思って。……ウチもさ、最近までニートで人生詰んでたから。聞かせてよ、あんたたちの『リアル』」
その気取らない、上から目線ゼロの言葉に、一人の就活生らしき女子大生がポツリと話し始めた。
「私……バイト掛け持ちして学費払って、でも就活全落ち。政治家は『若者の活躍』とか言うけど、結局それって優秀な奴だけの話じゃん。ウチらみたいな『普通』の下は、一生使い捨てなの?」
隣にいた金髪のフリーターも吐き捨てる。
「手取り18万円でどうやって未来考えろっての。民自党は金持ちの味方だし、かといって野党の人たちも『平和がー』とか言って、俺らの財布の中身には興味なさそうだしさ」
るる奈は、御子神に持たされた高級な手帳ではなく、自分のスマホのメモ機能に、彼女たちの愚痴を猛スピードで打ち込んでいった。
「……わかる。マジそれな。平和も大事だけど、まず今日のご飯と、推しのライブ代が出ないのが一番死ぬよね」
その場に、妙な一体感が生まれ始めていた。誰も「政治家」としてではなく、一人の「地元の姉ちゃん」として彼女に本音をぶつけていた。
その時――
「もしかして、るる奈?」
その声は、見るからにチャラい若者、政治系youtuberの川本麒麟丸だった。
「川本麒麟丸!?久しぶりじゃん。アンタ、生きてたんだ」
「取り敢えずね。今は、政治系youtubeで、政治政策討論配信『トレンドQ』で活動中さ」
「あっ、そ。じゃあ、ウチ忙しいから、またね」
「ちょっと、待って。機会あったら、俺の配信番組に出てよ。他の現役国会議員なんて、俺の縁じゃあ、絶対オファー無視だし……」
「あー、多分無理。御子神さん、絶対許可しないと思うし。」
「そこを、何とかお願い」
政治系youtuberの麒麟丸は、政治系ではそこそこ有名で、周囲の若者がるる奈を半信半疑で国会議員かどうか見定める。
(あのギャル、本当に国会議員?)
(さすがに違うだろ。麒麟丸のショート動画のネタだろ)
(だよね。コントにしては、あまり面白くないけど……)
そこへ、デモの先頭を歩いていた野党の重鎮たちが近づいてきた。
市民党の櫛党首は、元大学教授らしいインテリな微笑みを浮かべ、人民政党の友村党首は、拡声器を片手にるる奈を見下ろした。二人とも政界を生き抜いた女傑だった。
「おやおや、熱心な若い女性ですね。ですが、お嬢さん、デモをファッション感覚で楽しまれては困りますよ」
櫛が優雅に、だが明らかに「何も知らないバカな若者」を諭すような口調で言った。
「君たちが苦しんでいるのは、民自党の腐敗した政治のせいです。我々の掲げる『大きな正義』の下に集いなさい。少しは社会のお勉強をすることをお勧めしますよ」
友村も追い打ちをかける。
「現実的なパンの話もいいですが、資本主義の構造的欠陥を理解しなければ解決しません。民自党の飼い犬のような大人たちに騙されてはいけませんよ」
周囲からクスクスと笑いが漏れる。るる奈は、ただの「無知な一般人」として、野党の女傑たちに公開説教をされている形になった。
るる奈は、静かに頭を下げた。
「……っすね。ウチ、バカだから難しいことはわかんないっす。でも、さっきこの子たちが言った『明日の家賃』の話に、正義とか構造とか、そんなかっこいい言葉ひとつも出てこなかったよ。おばさんたちの話、全然心に響かないんだけど」
「……何と、おっしゃいました?」
友村の眉が跳ね上がる。
その時、後方から「どいてください! 道をあけてください!」と鋭い声が響いた。
国会警備員四人が血相を変えて駆けつけ、るる奈をガードするように囲んだ。
さらに、顔を真っ青にした丸目と、冷徹な殺気を放つ御子神が割り込んできた。
「千道先生! 無事ですか!」
一瞬、その場の空気が凍りついた。
「……先生?」
「え、千道……るる奈? マジで、国会議員?」
「はあ!? さっきまで一緒に愚痴ってたギャル、国会議員なの!?」
若者たちの驚愕が波のように広がっていく。櫛と友村の顔が、見たこともないような奇妙な形に歪んだ。
「……千道……るる奈議員ですか?」
櫛が絶句する中、るる奈は御子神に差し出された議員バッジを、わざとらしく見せつけるように胸元にピンと弾いて付けた。
そして、スマホの画面を掲げて、若者たちに向き直った。
「あんたたちの言ったこと、全部メモったから。民自党の素敵なおじさまたちの耳元で、最大音量でリピートしてやるわ。……あ、櫛センセ、友村センセ。お勉強のアドバイス、マジあざっす! ウチ、バカなりに頑張りまーす!」
るる奈は、ポカンと口を開けたままの野党党首たちにピースサインを送り、警備員に誘導されながら黒塗りの車へと戻っていった。
背後では、若者たちの「うおおお!」「マジかよ!」という叫び声と、無数のスマホのシャッター音が鳴り響いていた。
車内に入った瞬間、御子神が低い声で言った。
「……先生。福島先生への報告書、どう書くか覚悟しておいてくださいね」
「えー、いいじゃん。ウチ、今日初めて『議員やってるわー』って実感したし」
るる奈は、窓の外でまだ自分を指さして騒いでいる若者たちを振り返り、小さく手を振った。
その夜、SNSには「#ギャル議員がデモに潜入」「#野党党首を論破」という動画が爆発的な勢いで拡散され、永田町の長い一日を激震させることになる。
千道るる奈。地盤なし、看板なし、知識なし。
だが、彼女の放った「リアルの言葉」が、初めて巨大な議事堂の壁を、内側から少しだけ揺らした瞬間だった。
あと、川本麒麟丸は、るる奈とのやりとりの録画を普通に忘れていた。




