第26話 選挙ボランティアで怒鳴られてる国会議員、たぶんウチだけで草www
福島副幹事長からの呼び出しは、相変わらず正午過ぎ。事務室の空気は、使い古された灰皿と昭和のパワハラを煮詰めたような重苦しさに満ちていた。
「都議補選と区議補選のボランティアに行け。ただし、本部派遣の一般党員としてだ。いいか千道、議員バッジは絶対に外していけ」
福島は老眼鏡の奥から、冷酷な目でるる奈を射抜いた。
「目的はわかっているな? 本部が地方議員に恩を売る。あちらには『体力だけはある若手党員を二日貸し出す』と伝えてある。お前は地盤の必要ない比例単独の駒だ。ちょうどいいだろう。いいか、万が一にも自分が国会議員だなどと口にするな。バレたら例のノルマ免除、即刻取り消しだと思え」
「……うぃ、了解っしょ。……我慢するわ、すべては手取りのために!」
るる奈はグッと唇を噛み、借りてきた猫のように殊勝に頭を下げた。
胸の奥では「ウチ、一応センセイなんだけど!? 年収2000万円(予定だった)の女なんだけど!?」というギャル精神が爆発していたが、500万円の交付金返上の縛りが頭をよぎり、涙を飲んでその叫びを胃に流し込んだ。
補選初日。都議候補者の選挙事務所。
るる奈は、政策秘書の御子神がユニクロでガチ選定してきた『親しみやすさと従順さを演出する非戦闘型ステルス・ギャルコーデ(総額4900円)』に身を包み、爪のデコ盛りネイルもベージュ一色の素朴なスタイルに封印して現れた。
「党本部から派遣されました党員の千道でーす! 今日一日、よろしくお願いしまーす!」
元気に挨拶したるる奈を、地元の事務所スタッフたちは「今どきのバイト感覚で来た、ちょっと軽いちゃんねー」としか見なかった。
特に、ボランティア歴三十年の大ベテラン、通称『ポスター張りの鬼』こと佐藤(六十代・頑固親父)は、るる奈を一目見てフンと鼻で笑った。
「おい、千道! ポスターの右上が一ミリ浮いてんだよ! 糊の塗りが甘い! 選挙をナメてんのか、これだから今時の若いネーチャンは!」
「ひぇっ! すみませーん! すぐ直しまーす!」
炎天下、脚立に上り、汗だくで糊を塗る。指先はベタベタ、盛った髪は強風でぐしゃぐしゃ、通行人には冷たく無視されながらチラシを配る。佐藤の鬼のダメ出しはノンストップで続く。
「位置がズレてんだよやり直し! ちゃんと腰を落として、空気抜いて貼れ! 声が小せえんだよ、もっとシャキシャキ動け!」
(マジこいつ……!! ウチ、あんたが一生かかっても拝めないような金ピカの議員バッジ持ってるんですけどー!? 議員会館じゃ『先生、お茶をどうぞ』って言われてるんですけどー!?)
脳内で佐藤を百回くらいローキックでぶっ飛ばしながらも、福島の冷徹な顔が浮かび、るる奈は全力の営業スマイルで耐えた。
「了解っしょ! ギャル根性見せるわ、佐藤先輩!」
だが、ここで終わらないのがるる奈の生命力だった。
持ち前の追い詰められた時のコミュ力と無理矢理のポジティブすぎる姿勢で、るる奈の配るチラシの受け取り率は事務所トップを記録。
次第に周囲の若いボランティアたちは「千道さん、マジで仕事できるし良い子じゃん……」と、謎の『千道信者』を形成し始めていた。
補選最終土曜日。駅前の事務所前は最高潮の熱気に包まれていた。
党本部から応援の重鎮国会議員(SP付き)が到着し、華々しい演説が行われる。
るる奈はそのサクラの輪の最前線の端っこで、誰よりも低い姿勢で、通行人に「最後のお願いでーす!」と声を枯らして頭を下げ続けていた。
やがてマイクが切られ、重鎮国会議員の黒塗りの車が去った後、汗だくの都議候補者が、事務所のスタッフ全員をロータリーに集めて深々と頭を下げた。
そして、なぜか真っ直ぐに、一番端でタオルを首に巻いていたるる奈の方へ歩み寄った。
「千道先生……!! 本当に、この二日、ありがとうございました!」
候補者の、スピーカー並みの大音声が駅前に響き渡った。
「え?」と、るる奈が呆けた声を出す。
「まさか、現職の国会議員であらせられる千道先生が、党本部の命令とはいえ、バッジを外して一党員としてここまで泥臭くポスター張りやドブ板のチラシ配りをやってくださるとは……! その謙虚すぎる姿勢に、我が陣営一同、本当に涙が出るほど勇気づけられました!」
「……………」
一瞬、駅前の時間が完全に停止した。
佐藤の手から、三十年使い込んだ糊のバケツがガシャァァンと音を立てて落ちた。若いスタッフたちは口を半開きにして、目が飛び出そうなほど固まっている。
「……せん、どう、さん……が……こっかいぎいん……?」
「嘘だろ……俺、さっきまで『バカ』とか『シャキシャキ動け』みたいな勢いで怒鳴り散らしてたぞ……」
次の瞬間、事務所内を支配したのは、北極圏並みの絶望的な静寂と、それに続く猛烈な羞恥の阿鼻叫喚だった。
るる奈をただのパシリ扱いしていたベテランたちが、一斉に顔をドス赤くしてガタガタと震え、視線を空中へと泳がせる。
(勝った……! ウチ、完☆全☆勝☆利、パーフェクト……!!)
脳内で勝利のファンファーレを爆音で鳴らしながらも、るる奈はここで踏んぞり返らなかった。
御子神から耳にタコができるほど叩き込まれた『偉くなっても低姿勢』の教えを、ギャル語に翻訳してニコリと笑う。
「いやいや、候補者さんが一番ガチで大変っしょ! ウチなんてただの運だけで受かった新人だしさー。っていうか、ポスター張りのコツ、佐藤先輩がマジで厳しく教えてくれたおかげで、ウチ、超プロ級に上達したし! むしろ佐藤先輩にマジ感謝なんだけど!」
「ひっ、あ、いや……!」
佐藤の顔が、今度は別の意味(恐怖と恐縮)で破裂しそうに真っ赤になった。申し訳なさで今にも消え入りそうな『ポスター張りの鬼(笑)』の肩を、るる奈はポンとフランクに叩いた。
「じゃ、午後は区議のほうのパシリ行くから、ウチはこれで失礼するね! 皆さん、最後まアゲアゲで駆け抜けちゃってー!」
るる奈は、軽くピースサインを作って雑踏に消えていった。
タオルを首に巻いたその背中は、どんなハイブランドのスーツを着ている時よりも、最高に「センセイ」らしく輝いていたという――。




