第23話 【祝福】ウチ、生まれて初めての給与明細。だけど、闇金より怖いのは税務署と党本部だったわ。マジで『永田町闇金』じゃん……【悲報】
議員会館の自室で、千道るる奈は人生で初めての「本物の給料明細」を受け取っていた。
特別国会が閉幕し、通常国会が始まって数週間。
段ボールがいまだに積み上がったままの殺風景な事務所で、御子神がいつもの「鉄仮面」と形容すべき無表情のまま、薄い封筒を差し出してきた。
「先生、初回の歳費明細書です。それから、選挙の際に国に預けていた供託金六百万円の返還も、本日無事に確認されました」
「えっ、マジ!? きたこれ!!」
るる奈はソファーから飛び上がった。ニート時代には想像もつかなかった六百万円という大金が、ようやく手元に戻ってきたのだ。
「御子神さん、これ秒で銀行に返して! 一円でも利子減らしたいし、ついでに銀行の支店長にドヤ顔したい!」
勢い込むるる奈を、御子神は片手を軽く挙げて制した。
「了解しました。手続きは速やかに進めます。ですがその前に、こちらの現実……明細の確認をお願いします」
御子神に促され、るる奈は期待に胸を膨らませて歳費明細書を開いた。
彼女の脳内では「国会議員=年収2000万円超え=月々150万円くらい?」という、世俗的でハッピーな計算がサンバを踊っている。
銀座での爆買い、インスタ映えする高級寿司のカウンター……そんなきらびやかな妄想は、記載された数字を見た瞬間に、文字通り粉々に砕け散った。
歳費(額面):1,294,000円
所得税・住民税:約280,000円(累進課税の洗礼)
社会保険料:約180,000円(厚生年金・健康保険最高ランク
民自党「特別負担金」:約150,000円(いわゆる「上納金」)
諸会費・互助会費:約50,000円
差し引き手取額:約634,000円
「……は? 63万円? 嘘でしょ、桁ひとつ間違ってない?」
るる奈の声が、情けなく裏返った。
ニート時代の貯金ゼロ円に比べればもちろん大金だが、連日の殺人的な拘束時間と、秘書たちからのスパルタ教育、そして何より「国会議員」という重圧を考えれば、あまりにも「普通」の金額だった。
「御子神さん、これ絶対バグってるって! ウチ、2000万円もらえるって聞いて議員やったんだけど!」
「先生、それが『高額所得者の悲劇』というものです」
御子神が冷徹に、事務的なトーンで解説を始める。
「所得税は最高税率の網にかけられ、社会保険料も容赦なく上限が適用されます。そして何より、わが民自党は『特別負担金』という名の上納金に対して極めて貪欲です。新人でこれですから、閣僚クラスになればさらに吸い上げられますよ」
「無理無理、マジでブラック企業じゃん!」
るる奈が頭を抱えてのけぞる中、御子神は冷酷に追撃の手を緩めない。
手元のタブレットをタップしながら、さらに生々しい内訳を突きつけていく。
「忘れないでいただきたいのですが、『つなぎ融資1000万円』がありますね。そのうち、闇金の完済に充てたのが660万円。残り340万円のうち、180万円は先生のスーツや靴、小物代、業務用の新規スマートフォン、事務所のカーリース代、そして国から公費が出るまでの我々秘書三人分のつなぎ給与等としてすでに消費しました。手元に残った160万円のうち、予備費として60万円を確保し、100万円はすでに返済に回してあります」
るる奈は必死に頭を回転させ、指折り数えた。
「つまり……あの600万円をそのまま返したとしても、まだ借金は300万円残ってるってわけ?」
「ええ。ですが、まだ説明は終わっていません。利子を含め、毎月の返済額は50万円に設定してあります」
「終わった。63万円の手取りから50万円払ったら、残るの13万円じゃん。オワタワロタ、干っからびって死ぬっしょ」
完全に魂の抜けた顔で椅子に沈むるる奈を見て、丸目がいたたまれなさそうに苦笑しながらフォローを入れた。
「先生、安心してください。歳費とは別に、非課税で月100万円支給される『調査研究広報滞在費』があります。つなぎ融資の返済は広義の政治活動経費として扱えますので、その100万円から毎月50万円を返済に充てます。ですから、先生の歳費手取り63万円はそのまま残りますよ」
「良かったぁ……。これ以上引かれたらマジで餓死してたわ」
るる奈が胸をなでおろした瞬間、御子神の冷たい声がトドメを刺した。
「ですが、つなぎ融資が完済するまでの今後六ヶ月間は、その歳費も私が管理させていただきます。先生の毎月のお小遣いは、一律10万円でやりくりしていただきます」
「10万円……ウチの自由、どこ……?」
教育係である竹中も、眼鏡を外してレンズを拭きながら、渋い顔で苦言を呈した。
「私も現職時代はそうだった。歳費の額面だけに目を眩ませて永田町に入ってきた奴は、だいたいこの最初の明細を見て目が死ぬか、あるいは足りない分を補おうと汚職に手を染めるかを考え始める。……千道先生、あなたはどちらですか?」
「……ウチは、どっちも無理」
るる奈は手元の明細書をぐっと握りしめ、乾いた笑いを漏らした。
「はは……。毎日六時起きで、おじさまたちに怒鳴られて、ネイルも派手だからって地味にさせられてさ。命削って手元に残るのこれだけ? 闇金より怖いのは税務署と党本部だったわ。マジで『永田町闇金』じゃん、ここ……」
部屋に、彼女の虚しい笑い声が寂しく響く。御子神は静かに書類をホルダーにまとめると、最後の一刺しを見舞った。
「安心してください。今の先生のスキルでは、仮に今ここを辞めて転職しても、この金額の半分も稼げません。つつがなく一期四年の任期を務め上げることが、先生の人生において最もコスパが良い選択のはずです。一応、順調に返済が進めば六ヶ月で完済し、晴れて歳費は先生の自由になります。その頃には、使わなかったお小遣いの残りと合わせて、約300万円の貯金ができる計算です。……さあ、明日は朝五時起きで部会ですよ」
「……うぃ、了解っしょ。六ヶ月後の300万円まで、爪を研いで我慢するしょ……」
るる奈は窓の外、夜の闇の中に厳かにそびえ立つ国会議事堂を見つめた。
借金は残り300万円。ゴールはうっすらと見えてきた。
だが、かつて憧れ、手に入れたはずの「議員という名の自由」は、税金と党のしがらみ、そして冷徹な秘書という新しい鎖によって、以前よりもずっと強固に彼女を縛り付けていた。
「生きてるだけマシ、か……」
ギャルから国会議員へ。
大逆転劇の代償は、驚くほど世知辛く、そして「手取り63万円、お小遣い10万円」という、あまりにも生々しい数字とともに、25歳の彼女の肩に重くのしかかっていた。
後日、議員会館の自室で、るる奈はソファーに寝転がったまま天井を見つめていた。
手元のスマホ画面には、まだ開いたままの給与明細が表示されている。
『63万円』
ニート時代なら天文学的な大金だったはずなのに、今はなんだか虚しかった。
「……なんかさ、初めてまともな給料もらったのに、家族に何もあげてないのってヤバくない?」
るる奈はぽつりと呟くと、隣で書類を整理していた御子神に視線を向けた。
「御子神さん、相談があるんだけど……」
「なんですか、先生」
「両親と妹に、なんかプレゼントしたいの。兄にもちょっとだけ。ウチ、こんなに稼いだんだし……初めてでしょ?」
御子神は一瞬、鉄仮面のような表情をわずかに緩めた。
「なるほど。ならば、商品券とメッセージカードが無難かと。現金は税務上ややこしくなりますし、品物を送ると『議員が贅沢している』とネタにされる可能性もあります。商品券ならオンラインショップで即購入・即送信可能です」
「マジで? それいいじゃん!」
るる奈は即座にスマホを握り直した。
御子神が素早くおすすめのオンラインギフトサービスを教えてくれる。るる奈は慣れた手つきで操作を始めた。
まず、父親の春男と母親の冬子には、それぞれ1万円分の全国百貨店共通商品券。
妹のりり華にも、同じく1万円分。
メッセージカードには、るる奈らしく少し照れくさそうに打った。
『お父さん、お母さんへ
いつもごめんね。
ウチ、ちょっと頑張ってみることにしたよ。
これで好きなもの食べてね。るる奈。』
『るる奈より りり華へ
真面目でえらいね。
ウチも少しは見習うわ。
勉強頑張ってね♡』
兄のしし男には、商品券はなし。メッセージカードだけ送った。
『しし兄へ
いつも家族のために働いてくれてありがとう。
ウチも少しずつ、ちゃんとしようと思う。
迷惑かけてごめんね。るる奈』
送信ボタンを押した瞬間、るる奈は小さく息を吐いた。
「……これでいいのかな」
御子神が静かに言った。
「十分です。最初はこれくらいで。派手にやればやるほど、後で『税金で遊んでる』と叩かれますから」
「はぁ……政治家ってめんどくせー」
るる奈はスマホを胸に抱き、ソファーに仰向けになった。
画面には、家族に送ったギフトが「送信完了」の表示になっている。
たった3万円と数行のメッセージ。
でも、ニートだった頃の自分では絶対にできなかったことだった。
闇金に人生を担保にされた借金生活。
手取り63万円の議員生活。
それでも、社会人になって初めて「誰かに感謝のプレゼントした」という事実は、意外と温かかった。
「……ま、63万円のうちの3万円使っただけだけどさ」
るる奈は自嘲気味に笑って、銀髪エクステをクシャッと掻き回した。
まだ始まったばかりの議員生活。
慣れない職場も、家族との関係も、全てこれからだった。
でも今夜だけは、少しだけ胸が軽くなった気がした。




