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『欠陥品』と婚約破棄された私が嫁いだ無口な辺境伯は、愛を言葉にしないだけで、ずっと私だけを見ていました  作者: 九十九 文


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第4話「王都の舞踏会で、ざまぁは静かに完璧に執行された」



 王都の夜会(やかい)に足(あし)を踏(ふ)み入(い)れるのは、婚約破棄(こんやくはき)の夜(よる)以来だった。


 エレナは会場(かいじょう)の入(い)り口(ぐち)で、一度(いちど)だけ深(ふか)く息(いき)を吸(す)った。隣(となり)にライナルトがいる。礼装(れいそう)に身(み)を包(つつ)んだ彼(かれ)は、普段(ふだん)と変(か)わらず無口(むくち)で、表情(ひょうじょう)も乏(とぼ)しかった。しかしその存在(そんざい)の重(おも)さが、エレナには今(いま)は違(ちが)って感(かん)じられた。


 二人で扉(とびら)をくぐった瞬間(しゅんかん)、会場(かいじょう)の視線(しせん)がさっと集(あつ)まった。


 辺境伯が王都(おうと)に姿(すがた)を見(み)せることは珍(めずら)しい。しかしそれ以上に、人々(ひとびと)は「欠陥品(けっかんひん)と婚約破棄(こんやくはき)された伯爵令嬢(はくしゃくれいじょう)」が今どうなっているかを、ひそかに興味(きょうみ)を持(も)って見(み)ていた。


 エレナは微笑(ほほえ)んだ。久(ひさ)しぶりの社交(しゃこう)の笑顔(えがお)は、辺境(へんきょう)で育(はぐく)んだ何(なに)かが混(ま)じって、以前(いぜん)とは少(すこ)し違(ちが)う色(いろ)をしていた。


────────────────────────


 フィリップが現(あらわ)れたのは、夜(よる)が深(ふか)まった頃(ころ)だった。


 相変(あいか)わらず美(うつく)しい男(おとこ)だった。その隣(となり)で扇(おうぎ)を揺(ゆ)らすアデライードは、確(たし)かに整(ととの)った顔立(かおだ)ちをしていた。しかし目(め)が笑(わら)っていない。口角(こうかく)だけ上(あ)げた笑顔(えがお)が、妙(みょう)に疲(つか)れて見(み)えた。


「久(ひさ)しぶりだね、エレナ。辺境(へんきょう)に埋(う)もれて——大変(たいへん)だっただろう」


 哀(あわ)れみとも嘲笑(ちょうしょう)ともつかない声(こえ)だった。周囲(しゅうい)の令嬢(れいじょう)たちが扇(おうぎ)の陰(かげ)で囁(ささや)き合(あ)う。エレナは静(しず)かに答(こた)えようとした——


 その瞬間(そのしゅんかん)、会場(かいじょう)に人(ひと)が割(わ)り込(こ)んできた。


 王妃(おうひ)だった。


 場(ば)が凍(こお)りついた。王妃(おうひ)が自(みずか)ら歩(ある)み寄(よ)ること自体(じたい)、異例(いれい)だ。彼女(かのじょ)はまっすぐにエレナの前(まえ)に立(た)ち、深(ふか)く頷(うなず)いた。


「ヴァンホーレン辺境伯夫人(へんきょうはくふじん)。先日(せんじつ)の流行病(はやりやまい)——あなたが辺境(へんきょう)の素材(そざい)から生成(せいせい)した解熱薬(げねつやく)が、王都(おうと)で多(おお)くの命(いのち)を救(すく)いました」


 静(しず)まり返(かえ)る会場(かいじょう)。


「しかし今日伺(うかが)いたかったのはそれだけではありません。王宮魔術師長《おうきゅうまじゅつしちょう》が、あなたの薬草(やくそう)の配合(はいごう)を調(しら)べて、大変(たいへん)驚(おどろ)いておりました——あれほど精密(せいみつ)な配合(はいごう)は、通常(つうじょう)の魔力(まりょく)では不可能(ふかのう)です。あなたはご自身(じしん)でお気(き)づきですか? あなたの魔力(まりょく)は」


 魔術師長(まじゅつしちょう)が進(すす)み出(で)た。老齢(ろうれい)の男(おとこ)で、王国(おうこく)で最(もっと)も魔力(まりょく)に精通(せいつう)した人物(じんぶつ)だった。


「癒(いや)しの聖魔力(せいまりょく)——数百年(すうひゃくねん)に一人(ひとり)現(あらわ)れるか否(いな)かの、至高(しこう)の治癒(ちゆ)の力(ちから)です。通常(つうじょう)の測定(そくてい)では計測(けいそく)できないため、長(なが)らく『魔力(まりょく)が低(ひく)い』と誤認(ごにん)されてきた例(れい)が多(おお)い。辺境伯夫人(へんきょうはくふじん)——あなたは、欠陥品(けっかんひん)どころか、国宝(こくほう)級《きゅう》の力(ちから)の持(も)ち主(ぬし)です」


────────────────────────


 会場(かいじょう)がどよめいた。


 エレナは自分(じぶん)でも気(き)づかないまま、息(いき)を飲(の)んでいた。


 聞(き)こえた。全部(ぜんぶ)聞(き)こえた。でも頭(あたま)が追(お)いつかない。欠陥品(けっかんひん)じゃなかった。最初(さいしょ)から——最初(さいしょ)から、そうじゃなかった。


 フィリップの顔(かお)が見(み)えた。血(ち)の気(け)の引(ひ)いた、真(まっ)っ白(しろ)な顔(かお)が。「そんな……欠陥品(けっかんひん)のはずが……」と唇(くちびる)が動(うご)いたのが、エレナには読(よ)めた。


 その隣(となり)でアデライードが顔(かお)を青(あお)ざめさせていた。理由(りゆう)を知(し)ったのは後(のち)のことだが——彼女(かのじょ)の「高魔力(こうまりょく)」は魔道具(まどうぐ)による偽装(ぎそう)で、フィリップはそれを知(し)りながら婚姻(こんいん)に利用(りよう)していたのだと発覚(はっかく)する。しかし今(いま)のエレナには、そんなことはもうどうでもよかった。


 大事(たいせつ)なことは、別(べつ)にある。


────────────────────────


 大勢(おおぜい)が見(み)ている中(なか)で、ライナルトがエレナの隣(となり)に歩(あゆ)み寄(よ)った。


 無骨(ぶこつ)な手(て)が、エレナの手(エレナのて)を握(にぎ)った。大(おお)きくて、固(かた)くて、少(すこ)しだけ温(あたた)かかった。


 フィリップが何(なに)か言(い)おうとした。しかしライナルトは彼(かれ)を一(ひと)顧(かえり)みもせず、ただ静(しず)かに、会場(かいじょう)に向(む)かって言(い)い放(はな)った。


「俺(おれ)の妻(つま)を、侮辱(ぶじょく)するな」


 短(みじか)い言葉(ことば)だった。しかし(・・・・)、辺境(へんきょう)の砦(とりで)を守(まも)り続(つづ)けた男(おとこ)の声(こえ)は、広(ひろ)い会場(かいじょう)に静(しず)かに響(ひび)いた。


 それだけでは足(た)りないと思(おも)ったのか、ライナルトは一瞬(いっしゅん)躊躇(ちゅうちょ)して——付(つ)け加(くわ)えた。


「俺(おれ)は……こいつが、誇(ほこ)らしい」


 エレナの目(め)に、涙(なみだ)が盛(も)り上(あ)がった。泣(な)くまいと思(おも)ったのに、堪(こら)えられなかった。


 会場(かいじょう)が静(しず)まり返(かえ)る中(なか)、ライナルトはエレナの手(て)を握(にぎ)ったまま、一歩(いっぽ)も動(うご)かなかった。隣(となり)で盾(たて)になるように、ただそこに在(あ)り続(つづ)けた。


 フィリップが静(しず)かに後退(こうたい)していくのを、エレナは見(み)ていなかった。


 見(み)ていたのは、繋(つな)がれた手(て)だけだった。


────────────────────────


(第5話へつづく)

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