第2話「愛されていないと気づくまでの半年間」
辺境の朝は、早い。
王都では夜明け前まで夜会が続き、淑女は昼過ぎまで眠るのが習わしだった。しかし辺境伯城では、鶏が鳴くよりも先に兵士たちが動き始め、厨房から薪を割る音が響いた。エレナはいつの間にかその音で目が覚めるようになり、夜明けの薄明の中を薬草園へと向かうことを、日課にするようになっていた。
嫁いで、半年が経っていた。
薬草園はエレナが自ら申し出て拓いた場所だ。城の南側に日当たりのいい空き地があると気づいたとき、恐る恐るライナルトに相談した。「薬草を育てたいのですが」と。彼は一言「好きにしろ」と言っただけだった。それだけで、エレナは三日がかりで図面を描いた。
今では、ここが一番落ち着く場所だった。
土に膝をついて雑草を抜き、葉の色を確かめ、乾燥させた薬草を束ねる。その傍らに来て「奥様、腰は痛くないですか」と声をかけてくれるのは領民の老婆で、「奥様の作った薬で、孫の熱が引きました」と礼を言いに来るのは若い母親で——エレナは、この場所で初めて、必要とされているという感覚を知った。
王都では一度も、感じたことのなかった感覚を。
────────────────────────
ライナルトとの夕食は、いつも静かだった。
静か、というより沈黙、と言った方が正確かもしれない。彼は食事中に喋らない。エレナが話しかければ短く返事はするが、自分から話題を振ることはほとんどなかった。
最初は、それが怖かった。
次第に、慣れた。
そして今は——寂しかった。
エレナは膳の上の焼き魚を箸でほぐしながら、斜め向かいに座る夫の横顔をそっと盗み見た。硬い輪郭。伏せられた琥珀の瞳。何を考えているのか、半年経っても、まったくわからない。
私は、この方に必要とされているのだろうか。
その問いが、最近、頭から離れなかった。
辺境伯夫人として務めは果たしている。領民の医療に貢献し、城の家事を取り仕切り、夫の食卓に毎朝花を飾った。しかしライナルトは、その花に一度も言及したことがない。エレナの薬草の話も、「そうか」と「ああ」で終わる。
愛してほしいとは、もう思わない。
ただ——必要だと、一言でいいから言ってほしかった。
────────────────────────
王都から招待状が届いたのは、そんな夜のことだった。
差出人の名を見て、エレナの手が止まった。
フィリップ・デュノワ。アデライード・デュノワ。結婚一周年記念夜会へのご招待。
便箋には達筆な文字で、旧交を温めたいと綴られていた。悪意があるのかどうかさえ、判断できなかった。ただ確かなのは、エレナが婚約破棄されてから一年が経ち、フィリップはアデライードと添い遂げ、その記念を祝っているという事実だけだった。
自室に戻って扉を閉めた瞬間、エレナは初めて、崩れた。
泣くつもりはなかった。嗚咽を抑えて、膝を抱えて、冷たい石の壁に背を預けた。涙は静かに落ちた。声は、出なかった。
私はここで、何をしているのだろう。
愛されることを諦めたのに、必要とされることさえ、わからない。
領民が必要としてくれる。それは嬉しい。けれど——夫に、一度でいいから。
泣き尽くした後、エレナは鏡の前で顔を拭い、微笑みを作った。いつもの、完璧な微笑み。
そして静かに、決意した。
*このままでは、私が壊れる。*
────────────────────────
翌朝、エレナが薬草園に向かうと、見慣れない種の袋が棚の上に置かれていた。
ハンネが首を傾げる。「いつの間に……? これ、王都でも滅多に手に入らない幻草の種ですよ、奥様。薬の原料になる、高価な」
エレナは袋を手に取った。表に、一言も書かれていない。
誰が持ってきたのか、聞くまでもなかった。
城でこんなものを手配できる人間は、一人しかいない。しかし彼は、何も言わなかった。言わずに、置いていった。
エレナは種袋を胸に抱いたまま、しばらく動けなかった。
*どうして、言葉にしてくれないの。*
その問いは声にならないまま、薬草園の空気に溶けていった。
────────────────────────
(第3話へつづく)




