8.銅貨3枚の依頼
ギルドを出た三人の足音が、石畳に響く。
空はあの夜からずっと低く、晴れる気配がなかった。
「孤児院か、市場か、どこから当たる?」
リリアが歩きながら言う。
「市場から始めるのが効率的だろう」
ミントはすでに何かを考えながら歩いている。視線は前を向いているが、どこか遠くを見るような目だ。違和感を探している。
「ミント、なにかわかったか?」
「いえ、今のところは特に何もないですね」
市場への道中は特に何か変わったところはないようだ。
男の子から聞いた話を思い出す。昨日、市場、日中、15歳、女の子、それくらいしか情報がない。
市場で話を聞いてみるしかない。人が何の痕跡もなく姿を消すわけはない。必ずどこかに情報が残っているはず。
「とりあえず市場に行ってお話を聞いてみましょう」
ミントはにこっと笑って先を促した。その笑顔の裏で何本もの思考が走っているのを、ハルはなんとなく感じ取っていた。
市場は昼下がりの喧騒に包まれていた。
野菜を売る声、荷馬車の軋み、子どもたちの笑い声。
なんでもない日常の音が、今日はどこか薄っぺらく聞こえた。
三人は自然に散らばって聞き込みを始める。
リリアは声をかけた相手全員と目を合わせ、名前を聞き、礼を言う。「困ってる子がいるの、一緒に探してほしい」という言い方が、相手の警戒を解くのがうまかった。情報を引き出すというより、話したくなる空気を作る——それがリリアのやり方だった。
ハルは逆だった。必要最低限の質問を、感情を抜いた声で投げる。愛想がない分、相手は早く終わらせようと口が滑る。意図してやっているのか無意識なのか、本人にもわかっていない。
ミントは聞き役に徹した。うなずくタイミングが絶妙で、相手が「もう少し話したい」と思ったところで次の質問を差し込む。会話の流れを完全に掌握している。
三人が合流したとき、ミントが静かに口を開いた。
「……一人じゃないです。ここ数日で、少なくとも三人目」
「三人」 リリアの声が低くなる。
「別々の孤児院ですが、全員、孤児院の子で市場に来た日に消えてる。偶然じゃない」
「待って——なんで他の二人の依頼が出てないの?」
リリアが眉をひそめる。ミントは少し間を置いた。
「……おそらく、ギルドまでたどり着く前に諦めた...。憲兵に捜索依頼は出しているでしょうが、『身寄りのない子の失踪は優先度が低い』ということで探しすらしていないのでしょう。孤児の子ならばなおさら。ギルドへの依頼は金銭面から初めから出すことすら諦めていたのでしょう」
リリアの顔が、じわりと曇る。
「今回はラッキーが重なった。リリアさんがその場にいたのと、良い意味での子供の無知が重なって、運よく明るみに出たんですね」
「これだけ人の目があって、忽然と姿を消すことはあり得ないと思うが」
「それについても確認してきました。ガタイのよい男性が、声をかけている様子を見かけたと。最近、孤児院の子に日雇いの荷運びの仕事を回している男がいるって噂です。少し小遣いが稼げるから、子どもたちの間でも口コミになってたみたいです」
「……あやしすぎるな」
ハルは無言で周囲を見渡した。活気のある市場。笑顔の売り子。何も知らない人々。
その風景の中に、仕組まれた何かが潜んでいる。
「おそらくあちらですね」
周囲をぐるりと見渡していたミントが、ひとつの路地を指さした。
「なぜわかる」
「……なんとなく」
その返答にハルは少し眉を動かしたが、それ以上は聞かなかった。
ミントが「なんとなく」と言うときは、たいてい説明が面倒なだけだと、なんとなく理解し始めていた。
ハルとリリアには見えていなかったが、ミントの目には路地の石畳に無数の小さな足跡が映っていた。子どもたちが、何度も何度も、同じ場所を踏んでいた跡。
ミントが指さした裏路地に入ると、空気が変わった。
市場の音が遠くなり、石畳の継ぎ目から雑草が覗いている。湿った土と、何かが腐ったような臭い。
三人の男が、路地の奥で荷を積んでいた。
大きな麻袋。重そうに扱っている割に、音がしない。
ミントの目が金色に光った。
袋の中の重量分布、男たちの重心、袋の持ち方、視線の送り方——。
「人が入ってます」
ハルとリリアに聞こえる程度の声で、ミントがつぶやく。
「ちょっといい?」
リリアが声をかけると、男たちは露骨に顔をしかめた。
「なんだよ、姉ちゃん。邪魔すんな」
「昨日ここで子どもを見なかった?」
「知らねぇな。帰れよ」
リリアの目が細くなる。
「嘘ね」
一番手前の男が舌打ちして、リリアの胸ぐらに手を伸ばした。
その腕がリリアに触れるより先に——ハルの左手がそこにあった。
掴んだのは手首の少し上。骨と腱の境目を親指で押さえながら、逆方向にゆっくりとねじる。痛みが来る前に関節が限界を教える角度。男は声を出す間もなく膝をついた。
「ぐっ……!」
次の瞬間、ハルの右足が顎を捉えて地面に沈めた。
一瞬あっけにとられた残り二人が、すぐに動く。右が拳、左が短刀。
拳をハルは右手で受け止めた。短刀の方はリリアが先に動き、喉元に氷の刃を突きつけていた。
ハルはリリアが仕留めるつもりがないと判断し、受け止めた拳に力を込めて男の体勢を崩す。そのまま一歩踏み込んで顎を打ち上げた。意識だけを刈り取る加減。
十秒もかからなかった。
「おお~」
ミントが目を見開いて、ぱちぱちと拍手している。場違いに呑気な音が路地に響いた。
「さて、もう一度聞くわね」
リリアが喉元の氷の刃をかすかに肌へ食い込ませる。細い赤い線ができ、血が一筋垂れた。
「昨日ここで子どもを見なかった?」
男の喉が上下した。
「……見た」
「どこへ連れて行った」
「俺たちは運ぶだけだ……! 行き先なんか聞かされてねぇ」
「依頼主は」
男は黙った。リリアが無言で刃を少し押し込む。
「っ……教会だ……! 南区の教会の神父から話が来た……!」
リリアの表情が凍る。
「……あの人が?」
ハルが男に近づく。意図がわかったのか、リリアが刃を下げた。
ハルが自分よりもガタイの良い男の首を手でつかむ。
「子どもを集めて、何に使う」
力を少しずつ込める。
「知らねぇよ、本当に!俺たちは金をもらって運ぶだけでっ——」
「何回、やった」
男は口をつぐんだ。
ミントとリリアからは見えないが、ハルの目が戦場のそれに代わった。
ハルは何も言わず、ただ男を見ていた。感情のない目。急かす様子もない。何人も人を殺めてきた人間の目だ。答えなかったら待っているのは死。
「……さ、三回、だ。これで、よ、四回目」
「ちっ」
ハルはそのまま力を込め、男を気絶させた。
路地に沈黙が落ちた。そのとき、ミントが倒れた二人のそばからすっと立ち上がり、一枚の紙を差し出した。ポケットを漁っていたらしい。
「——これ」
広げると、名前、年齢、髪の色、目の色、健康状態。
孤児院の子どもたちの特徴が、整然と書き並べられていた。
リリアは紙を受け取り、一行ずつ目で追った。
手が、少しずつ震え始めた。
「……許せない」
声は静かだった。怒鳴るより、ずっと怖い声だった。
リリアはすぐに麻袋の口を解いた。中から、丸まった体が現れた。
十五歳くらいの女の子だった。手足を縛られ、目隠しをされている。意識はある——かすかに肩が動いていた。
リリアがすぐにしゃがんで、目隠しと縄を外す。
女の子が目を開けた。光に慣れるまでの数秒、ぱちぱちと瞬きを繰り返して——リリアの顔を見た瞬間、唇を噛んで、それでも涙がこぼれた。小さな子どものように泣くのが恥ずかしいのか、声を殺して泣いていた。
「もう大丈夫」
リリアが迷わず肩を抱く。女の子はしばらく抵抗するように体を強張らせてから、力が抜けてリリアに寄りかかった。
ミントが隣にしゃがんで、縛られた跡の残る手首をそっと確認する。
「痛いところはありますか」
「……ない、です」
「よかった。もう少しだけ頑張れそうですか」
女の子は小さく頷いた。
ハルは縛り上げた男三人を路地の壁に並べ、動けないことを確認してから振り返った。
「歩けるか」
ハルが女の子に向かって短く聞く。女の子はリリアの袖を少し握ったまま、こくりと頷いた。




