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9.リリアという人間

 女の子をギルドの知り合いに預け、三人は南区へ向かった。

 道中、リリアはずっと黙っていた。

 怒っているのとは少し違う。何かを抑えているような、静かな顔だった。

「……リリア」

「わかってる。冷静にやる」

 聞いてもいないのに答えが返ってきた。自分に言い聞かせているようだった。

 ミントがハルの横に並んで、小声で言う。

「神父が逃げる前に着けますよ。たぶん、まだ知らない」

 ハルは頷いた。

 南区の教会が見えてきた。白い尖塔が、曇った空の下で妙に白く浮いていた。

 開いている教会の扉の中は薄暗く、祭壇の蝋燭だけが静かに揺れている。香の残り香と、かすかな人の気配。

「裏だ」

 ハルが短く言って、建物の脇へ回る。

 裏口に出ると、神父が馬車に荷を積んでいた。かなり慌てた様子で手伝いの男が荷物を馬車に運んでいた。荷の中身を確認しなくても、なにかは想像がついたし、急いでいる理由もわかっている。

「止まりなさい!」

 リリアが叫ぶ。

 神父はびくりと肩を震わせてから、ゆっくり振り返った。

 顔は穏やかだった。それが余計に気持ち悪かった。

「……やれやれ。冒険者風情が何か用事かね?」

「子どもたちをどこへ運ぶつもりだったの」

「はて、何のことやら。私には見当もつきませんが...」

 三人の様子を見て、すべてを悟ったように、頷いてから静かに口を開く。

「城ですよ。召喚者様のもとへ」

 リリアの眉がわずかに動く。

「召喚者の、もとへ?」

「そうです。見知らぬ世界に放り込まれた若者たちには、寄り添う存在が必要だ。精神が安定すれば、彼らは力を発揮する。彼らが力を発揮すれば、国が守られる。実に合理的でしょう」

 召喚者に"あてがう"。縛り付けるための一番効果的な人質。

「子どもを売ることが合理的?」

「売る、という言い方は好みませんね。礎になる、と言っていただきたい」

 リリアの拳が握られる。ハルが一歩前に出た。

「聞いていいか」

「なんですかな」

「そこに子どもの意志は入っているか」

 神父は少し目を細めた。

「……子どもに意志決定を委ねる意味はありませんね」

「そうか」

 ハルとミントの服装を見て神父の表情が初めて揺れた。怒りではなく——値踏みするような目になった。

「……あなた、召喚者か」

「関係ない」

「いいや、大いに関係がある」

 神父の声が少し低くなる。

「この国にとって、召喚者は資源です。あなた方の力を最大限に引き出すために、国は最善を尽くしている。なぜその資源のあなた方がここに——」

「黙れ」

 リリアだった。

 声は低く、震えていた。怒りを絞り出すような声だった。

「子どもを道具にして、それが最善? あなたには家族がいないの? 大切な人が誰かの都合で売られたとしても、同じことが言えるの?」

 神父は少し間を置いてから、声を荒げた。

「……愚問ですね。私はすべてを差し出す覚悟がある!それが私の命だったとしてもっ!!」

 そう言い残すと、神父が馬車に走った。

 リリアが加速スキルで先回りし、神父の行く手を塞ぐ。それと同時にハルが御者台へ跳び乗り御者を蹴り飛ばし、手綱を両手で引いて馬を落ち着かせた。

 手伝いの男が神父を助けに向かおうとする。ミントが男の前に回り込んで、にこりと笑った。

「やめておいたほうがいいですよ」

 右手に火をまとわせながら、笑顔で忠告する。

 全体を見渡して、神父は観念したように肩を落とした。


 ハルは神父たちを縛り上げる。それを横目にリリアとミントが馬車の荷台の扉を開けた。

 中は暗かった。多くの荷物の奥からかすかに息を呑む音がする。

「大丈夫ですよ。もう終わりました」

 ミントが静かに声をかけると、奥から女の子がゆっくり顔を出した。

 目が赤い。ずっと泣いていたのか、泣くのを堪えていたのか、判断がつかない顔だった。

「頑張ったね」

 リリアが手を差し伸べる。

 女の子は一瞬躊躇ってから、その手を掴んだ。荷台から降りた瞬間、膝が笑って倒れそうになる。リリアがすかさず支えた。

「……っ、ありがとう、ございます」

 絞り出すような声だった。十五歳なりのプライドが、泣き崩れるのをぎりぎりで堪えていた。

「もう少しだけ頑張れる? 安全なところに連れて行くから」

 女の子は小さく頷いた。

 

 ミントとリリアが馬車の中を調べ、女の子を救出している間に、ハルが神父の正面に立った。

「今まで何人運んだ」

 神父は目を逸らした。唇を結んで、答える気がないのは明らかだった。

 ハルはしゃがんで、縛られた神父の右手を無造作に掴んだ。人差し指を一本、静かに持ち上げる。

「答えろ」

 神父は黙ったままだった。

 ハルは迷わず、逆方向へ折った。

 乾いた音がした。

「がっ……ぁ……!」

 神父が顔を歪める。ハルの表情は変わらなかった。まるで作業をこなすような手つきで、次の指に触れる。

「もう一度聞く。何人だ」

「……っ、三人だ……! 三人……!」

「全員、城にいるか」

「……っ」

 神父は言いよどんだ瞬間、二度目の乾いた音がした。

「がっああぁぁ……ぁ……!」

 三本目の指に手をかける。

「……城の、東棟に……!」

 それだけ聞くと、ハルは神父への興味を失ったように手を離して立ち上がった。

 

 ちょうどそのとき、リリアが女の子の手を引いて馬車から降りてきた。ミントがその後ろに続く。

 女の子の目が神父を捉えた瞬間、体がびくりと強張った。リリアがすかさずその視線を遮るように前に立つ。

 女の子は小さく頷いて、リリアの袖をぎゅっと掴んだ。

 ミントがハルの隣に並んで、神父の折れた指をちらりと見たが、特別何か言うことはなかった。

「……これからどうしましょうか?」

 ミントが疑問を口にする。

「……憲兵を呼んでも無駄ね。今回は国が関与している以上、握り潰されるのがオチだわ」

 リリアが静かに言う。感情を押し込めた声だった。

「ギルドに報告する。それだけ伝えておくわ」

 神父は何も言わなかった。痛みで顔が青ざめたまま、ただ地面を見ていた。

 リリアが女の子を連れて先に歩き出す。ミントがその隣に並んだ。

 ハルは最後に残った。

 神父の隣にしゃがみ、耳元に口を近づける。

 何を言ったのか、リリアにもミントにも聞こえなかった。

 神父の顔から、残っていた色が消えた。

 ハルは何事もなかったように立ち上がり、二人の後を追った。

「何を言ったの」

 リリアが振り返らずに聞く。

「ああ、ただの忠告だ」

 ——この国は、想像以上に腐っているな。

 そう思いながら、ハルは歩き続けた。

 

 孤児院の扉を開けると、中から声が溢れ出した。

「リリーお姉ちゃん!!」

 子どもたちが一斉に駆け寄ってくる。リリアはしゃがんで両手を広げ、なだれ込んでくる小さな体を全部受け止めた。

 その輪の外で、連れ帰った少女がぽつんと立っていた。

 孤児院の見慣れた光景のはずなのに、足が動かないようだった。

 院長が小走りで駆けてきて、少女の顔を見た瞬間、声を詰まらせた。

「……よかった。本当に、よかった」

 それだけ言って、少女の頭をそっと引き寄せる。少女はしばらくじっとしていたが、やがて院長の胸に額を押しつけて、小さく泣いた。

 さっきまで堪えていたものが、ようやく出てきたようだった。

 ミントがその様子を少し離れたところから見ていた。目を細めて、静かに微笑んでいた。


 子どもたちの波が落ち着いたころ、院長がリリアたちのところへやってきた。

「本当にありがとうございました」

「いいんです。見つかってよかった」

 リリアが笑って答える。院長は三人を順番に見て、深く頭を下げた。

「あの……もし、よろしければ。夕食だけでも」

「今日は遠慮しておきます。また来ます」

 リリアがそう言ったとき、人垣の奥からとてとてと小さな足音が近づいてきた。

 今朝、ギルドに来た男の子だった。

 三人の前に立つと、ズボンのすそをぎゅっと掴んで、上目遣いで見上げてくる。

「あの……ありがとう、ございました」

 ぺこりと頭を下げる。そのまま顔を上げられないでいた。

「どういたしまして」

 リリアがしゃがんで視線を合わせると、男の子はようやく顔を上げた。目が少し赤い。

「……ちゃんと、帰ってきた」

「うん。ちゃんと帰ってきたよ」

 男の子は何度も頷いて、それからリリアに飛びついた。リリアは笑いながらその背中を叩く。

 ハルはその光景を、少し離れたところから見ていた。

 ——腐っている国にも、まだ希望はあるのかもしれない。

 ミントが隣に来て、小さな声で言う。

「ハルさん、召喚制度のこと……もう少し調べてみようと思います。これは氷山の一角だと思っています」

 ハルは無言で頷いた。

 

 ギルドへの報告は短く済ませた。依頼完了、子どもの保護、関係者の身柄確保——それだけを告げて、詳細は伏せた。リリアの判断だった。

 受付を離れながら、リリアが小声で言う。

「詳細は直接ライズに話しておくわ。ここで広めるより先に」

 ハルは頷いた。ミントも異論はないようだった。

 ギルドを出ると、空はすっかり暗くなっていた。

 ミントが歩きながら、ふと口を開く。

「……今日のこと、思ったより根が深いかもしれないです」

「国が絡んでいる以上、そうだろうな」

 三人はしばらく無言で歩いく。石畳を叩く足音だけが、夜の路地に響いた。

 しばらく歩いたところで、リリアが急に立ち止まる。

「……ねえ、二人とも。今日のお礼、させてくれない?」

 ハルは少し間を置いた。

「依頼料はもらっている」

「そういうことじゃなくて」

 リリアが苦笑する。

「ごはんでも奢るわよってこと」

「……問題ない」

 ミントはすでに頷いていた。


 三人はこぢんまりとした食堂に入り、素朴な料理を囲んで、しばらくは他愛ない話をしていた。

 料理が半分ほど減ったころ、リリアがふと手を止める。

「私ね、小さい頃に両親を亡くしたの。ギルド長が拾ってくれて……それからずっと、あの人が唯一の家族なの」

 唐突な話だった。

 ハルは黙って聞いていた。ミントも、静かに耳を傾けている。

「だから、困ってる人を見ると放っておけないの。あの人みたいになりたいって、ずっと思ってる」

 リリアは照れたように笑った。

「……変かな?」

「いや。この国にはそういう人が必要だと思う」

 リリアが目を丸くする。ハルは視線をそらした。

「事実を言っただけだ」

「ふふ」

 とリリアとミントが笑う。

 その笑顔を見て、ハルの胸の奥で少し変化が生じる。

 本人はまだ把握できていないほど小さな小さな変化が。

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