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4.初仕事

 ギルドの扉をくぐった瞬間、空気が変わった。

 熱気と喧騒が一気に押し寄せる。酒の匂い、鉄の匂い、汗の匂い。それが混ざり合って、独特の澱みを作っていた。

 見定めるような視線が飛んでくる。遠慮がない。敵意というより、値踏みに近い。

 この場所では、それが挨拶代わりなのかもしれない。

 壁際には大きな掲示板があり、びっしりと依頼書が貼り付けられている。

 討伐、採取、護衛、荷運び。字が読めないものもあったが、絵や記号で内容が補足されていた。

 テーブルを囲んだ冒険者たちが酒を飲みながら笑っている。その隣では、傷の手当てをしながら険しい顔で地図を眺めている男がいた。

 生活と危険が、同じ空間に当たり前のように共存している。

「うわ……相変わらずうるさいわね」

 リリアが小さくため息をついた。

 そのままカウンターへ向かうと、受付嬢が笑顔で迎えた。

「あ、リリー。今日はどうされました?」

「こんにちは、マオ。途方に暮れていた人間を二人拾ってきたわ」

 マオと呼ばれた受付嬢はハルとミントに視線を向ける。

 わずかに目を細めた。

「リリー。その方たちはもしかして……」

「そうね。たぶん、あなたの想像通りよ」

 二人のやり取りを聞きながら、ハルは即座に理解する。

 ――こちらの素性を察している。

 ミントが一歩前に出た。

「私たちのこと、知っているんですか?」

 マオは小さく息を吐く。

「ここは"召喚の国"と呼ばれています」

 その言葉で、空気がわずかに変わった。

「見慣れない服装。挙動の違和感。……それだけで十分です」

 淡々とした口調だった。慣れている。それが逆に、重かった。

「なぜあなたたちがここにいるのかは存じませんが、数年に一度、同じような服装の方が現れます」

「その人たちは今どこに?」

 ミントの声は穏やかだったが、その目は真剣だった。

「私の知る限り、皆様ご使命を果たされ、元の世界へお帰りになったとお聞きしています」

 使命を果たして元の世界へ。都合のいい物語だ。

 ハルは何も言わなかった。だが城内での対応、追放された経緯を思えば——その言葉をそのまま受け取るほど、ハルは素直ではなかった。

 本当に帰還できたのか。それとも、別の形で"処理"されたのか。

 そのうちわかるだろう。もう顔もはっきり思い出せない高校生たちが脳裏によぎった。

 この話はもう終わりと首を少し振る。

「少し聞いていいか。このギルドの仕組みを教えてほしい」

 マオは少し意外そうな顔をしたが、すぐに表情を戻した。

「冒険者ギルドは依頼の斡旋と、冒険者のランク管理を行っています。ランクは低い順にE、D、C、B、A、Sの六段階です」

「新規登録はEランクからということか」

「はい。依頼をこなして実績を積むことで昇格していきます。ランクによって受けられる依頼の難易度も変わりますし、ギルド内での信用にも直結します」

「Eランクじゃ受けられる依頼は限られるけど、実力があれば昇格は早い。逆に言えば、実績がなければ誰も信用しない世界よ」

 リリアが補足する。

「まず実績を作れということか」

「そういうこと」

「俺たちでも登録できるか?」

 マオが書類を取り出す。名前、年齢それだけだった。後は依頼を受けていく過程で管理されていくそうだ。

 記入を終え、しばらくすると、大きくEと彫られている薄い金属板が二枚、カウンターに置かれた。

 ドッグタグだ。首にぶら下げられるように紐がついている。

 裏には先ほど記入した名前が彫ってあった。

「冒険者証です。これがあればギルドの依頼を受けられます」

 ハルはそれを手に取る。簡素な作りだが、確かな重さがあった。

「Eランクで受けられる依頼を」

 マオが依頼書を数枚並べる。

「採取・街の雑務といったものが中心になります」

 リリアが覗き込みながら言う。

「最初は街の人からの依頼がいいわ。荷運びとか、迷子の家畜を探すとか。地味だけど確実に稼げるし、街の人たちとの顔つなぎにもなる」

「討伐は?」

「Eランクで討伐依頼……一応あることはあるけど」

 リリアは少し渋い顔をした。

「あなたたちの実力、まだわからないし。いきなりは勧めないわ」

 そこでミントが依頼書を一枚手に取った。

「これはどういう依頼ですか?」

 マオが覗き込む。

「薬草採取です。北の森で採れるルーフ草を最大三十個まで買い取ります。一個銅貨三枚、三十個達成でボーナスが付いて銀貨一枚になります」

「薬草……採取なら私でもできそうですね」

 ミントが笑顔で言う。

 ハルは別の一枚を手に取った。

「これは」

「郊外の小規模討伐依頼です。はぐれゴブリンの討伐です。一体につき銀貨一枚です。間違えても集団のゴブリンとの対峙はしないでください」

「ゴブリンとは何だ」

 マオが少し目を丸くした。リリアも意外そうな顔をする。

「知らないの?」

「ああ、”よそもの”だからな。そう言った生物は向こうにはいなかった」

「小型の魔物よ。身長は人間の半分くらいで、群れで動く。単体なら弱いけど、油断すると死ぬ」

「どの程度の脅威だ?」

「安全かつ確実に対処するならEランクの冒険者が三人ってところね。到底今日登録した人が単独で受けるような任務ではないわ」

 普通は、という部分を強調するように言った。

「受けよう」

「……はっきり言わないとわからない?あなたでは無理よ」

「問題ない」

「問題ないって......」

 リリアは腕を組んで、じっとハルを見る。

 しばらく沈黙があった。

「……わかった。ただし、私もついていく。何かあってからじゃ遅いから」

 異世界人なので常識がわからないのか。一度痛い目見れば部をわきまえておとなしく活動してくれるだろうとリリアは考えた。

「構わない」

「ミントはどうする?」

「私は薬草採取の方を」

 ミントが依頼書を掲げる。

「なるほどね。あなたは堅実ね」

 リリアが満足そうに頷いた。

 二枚の依頼書がカウンターに置かれる。

「では手続きを」

 マオが書類を処理する間、ハルは一つ気になっていたことを口にした。

「武器がない」

 リリアが眉をひそめる。

「……そういえば、何も持ってないわね」

「ギルドで貸し出しはあるか」

 マオが少し考えてから答える。

「一応、貸出用の武器はございます。ただし粗末なものしか」

「見せてくれ」

 しばらくして、カウンターに一本の剣が置かれた。

 幅広の刀身。重心はやや前寄り。造りは荒いが、形状は見覚えがあった。

 ――ブロードソードに近い。

 手に取る。握り心地は悪い。刃の精度も低い。高周波ブレードとは比べ物にならない。

 だが、ないよりはましだ。

「借りる」

「返却は依頼達成後にお願いします。破損した場合は弁償になりますのでご注意を」

「わかった」

 剣を腰に下げる。重さと重心を確認する。

 慣れるのに時間はかからないだろう。

「じゃあ行きましょうか」

 リリアが先頭に立つ。

 ミントがハルの方を見て、小さく笑った。

「いってらっしゃい」

 マオの声に見送られ、三人はギルドを後にした。

「初仕事がいきなり討伐って、普通じゃないわよ」

 リリアが肩をすくめながら歩き出す。

「普通が分からない」

「でしょうね」


 依頼書に記載された場所にリリアの案内で向かう。ミントの依頼品の採取場所も道中にあったので途中まで一緒に行くことになった。

 街の喧騒が遠ざかり、代わりに風と葉擦れの音が広がる。

「ここらへんがルーフ草の群生地よ。開けた場所だから魔物は出ないと思うけど、周りに注意しながら採取しなさい。終わったらすぐに街道に沿って街に戻ればいいから」

「ありがとう。探してみる」

 街道を三十分程度歩いた場所の付近でミントと別れた。

 ミントは依頼書の絵を片手に、ルーフ草を探し始めた。ピクニックでもしているような雰囲気だ。

 さらに街道を三十分ほど歩いて、ゴブリンの目撃情報があった場所についた。

「ここから林に入るから、警戒して」

 街道をそれて、林の中に入っていく。

 湿った土が靴底に吸い付く感触。曇り空も重なり、木々の隙間から差し込む光は弱く、昼間でも薄暗い。

 ハルは無意識に周囲をスキャンしようとしたが——機械眼はまだ沈黙したままだった。

 ならば、自身の感覚を研ぎ澄ますしかない。耳を澄ます。目を凝らす。注意深く周囲を観察する。

 ナノマシンの制限もまだかかっている。それでも、感覚を数倍に引き上げることはできた。

「ゴブリンは群れで動くけど、今回はぐれゴブリンだから危険性は低いわ。基本は弱い」

 前を歩きながらリリアが言う。

「基本は?」

「油断すると死ぬって意味」

「なるほど」

 木の根を踏み越えながら、ハルは静かに索敵を続ける。

 風向き。足音。枝の揺れ方。情報が積み重なっていく。

 ――いた。

 三体。右前方、距離およそ八十メートル。目視で捉えた。

 ゴブリン。身長は人間の半分ほど。黄色く濁った目が、獲物を探すように動いている。

 手には錆びた短剣と粗末な棍棒。動きは荒く、統率もとれていない。

「右前方に三体。距離八十メートル。まだ気づかれていない」

 リリアがすぐに腰を落とし、ハルの視線の先へ目を向ける。

 確かにいた。

 先に敵を見つけることのアドバンテージは計り知れない。声は出していないが、リリアが息を呑むのが伝わってきた。

 これだけの経験を重ねてきたリリアよりも先に獲物を捉えたのだ。その事実が、一瞬だけリリアの思考を止めた。

 視線をゴブリンからハルに戻そうとした瞬間——ハルはすでにそこにいなかった。

 リリアの混乱が加速する。視線が必死にハルを探す。

 次の瞬間だった。

「ギギャーッ!」

 八十メートル先で、醜い悲鳴が上がった。

 ハルが動いていた。借り物の剣を抜く。重心が悪い。だが関係ない。

 先頭のゴブリンが反応する間もなく、剣の腹で首の側面を打つ。鈍い音と共に首がひしゃげ一体が崩れ落ちた。

 さらに一歩。それだけで次の標的への距離が詰まる。

 二体目が棍棒を振り上げる。軌道が見える。右にずれながら、肘が鳩尾に入る。くの字に折れたところへ、柄頭が顎を打ち抜いた。

 三体目が短剣を突き出す。一歩外へ踏み出し、手首を掴む。そのまま体重をかけて地面に叩きつけた。そのままの勢いで、靴の底で顎を踏み抜く。

 動かなくなる。完全な殺戮。そして沈黙。

 最初の悲鳴から十秒も経っていなかった。

「……え?」

 八十メートル離れたリリアの間の抜けた声が、静まり返った空間にやけに大きく響いた。

「任務完了だ」

 ハルは剣を鞘に戻した。

 リリアはまだ動けずにいた。十秒足らずで三体を無力化した。その事実を、頭が処理しきれていない。

 ようやく足が動いて、ハルの元まで歩み寄る。地面に転がる三体を交互に見て、それからハルを見た。

 言葉が出てこない。経験を積んだ冒険者でも、三体同時に相手取れば多少の時間はかかる。それをこの人間は、まるで散歩でもするように片付けた。

 ようやく絞り出した言葉がこれだった。

「……あなた、何者?」

「軍人だ」

「軍人?」

 聞き慣れない言葉にリリアは聞き返す。

「こちらの世界でいう兵士みたいなものだ」

「……そう。でもこれはあまりにも……」

 つぶやくリリアの表情は、読みにくかった。次の言葉は出てこなかった。

 

 幸いにハルの動きは決して人間離れした動きではなかったため、しばらくしてリリアは落ち着くことができた。

 ハルに討伐証明の部位を持ち帰らないといけない旨を説明した。ゴブリンの場合は耳。

 それを回収し、来た道を戻り始めた。

 林を抜けて街道に出たところで、前方から見知った顔が歩いてくるのが見えた。

 ミントだった。腰の袋が膨らんでいる。

「お疲れ様です。こちらは三十個、ちょうど集まりました」

「あれ?先に街に戻っていてもよかったのに」

「いえいえ、せっかくなのでお散歩がてら二人と合流しようかなと思いまして」

 にこっと笑う。

「それにしても早かったわね」

「一つ見つければ、あとは簡単でした。実物があると探し物がしやすいですね。探し物が光って見えました」

 リリアがミントを見る。それからハルを見る。

「心配しなくても、二人は問題なく冒険者をやっていけそうね」

 少し寂しそうだが、安心したような声音でリリアが二人をそう評価した。

 三人はしばらく無言で歩いた。しばらくすると、街の輪郭が見えてきた。

「お腹、空いてない?」

 不意にリリアが言った。

「……空いてます」

 ミントが素直に答える。

「じゃあギルドに戻る前に何か食べましょ。私がおごるわ」

「ああ、ありがとう」

 ハルが即答する。

 ハルの口から感謝の言葉が出たことにリリアが驚いた。

 それを察したのか、ハルが続ける。

「腹が減っているのは事実だ。断る理由がない」

 リリアは少し拍子抜けした顔をしてから、笑った。

「素直でよろしい」

 三人は露店の並ぶ通りに入った。

 リリアが迷わず一つの店に向かう。常連らしく、店主と気軽に言葉を交わしている。

 焼いた肉と、野菜を挟んだパンのようなものが三つ、手渡された。

「はい」

 差し出される。受け取る。一口食べる。

 悪くない。

「……おいしいですね」

 ミントが目を細める。

「でしょ。ここ、安くて美味しいのよ」

 リリアが得意げに笑った。

 

 ギルドに戻ると、マオが目を丸くした。

「もう戻られたんですか?」

 ハルは討伐部位をカウンターに置く。ミントが薬草の入った袋を並べた。

 沈黙。

 マオが確認する。周囲の冒険者の視線が、自然と集まってきた。

「……討伐確認、三体分。薬草三十個、ボーナス込みで銀貨一枚。合計銀貨十枚のお支払いになります」

 ざわめきが広がる。

「新人がもう終わらせたのか?」

「リリアがついてたとはいえ早すぎるだろ」

「つーか、あの二人誰だ?見たことない顔だけど」

 視線が集まる。

 リリアは肩をすくめた。

「だから言ったでしょ。普通じゃないって」

 ハルはその視線を無視する。

 重要なのは結果だけだ。

 銀貨十枚を受け取る。手の中で、硬貨が冷たく光った。

 夕暮れが近い。曇り空が、じわりと橙に染まり始めていた。

「今日はどうする?」

 ミントが聞く。

「宿を取る。あと服か外套が欲しい。この格好では目立ちすぎる」

「ですね」

 ミントが自分たちの服装を見てから確かに、納得した。

「宿はしばらくは安いとこね。お金ないんでしょ?」

 リリアが横から言う。

「そうだな」

「明日も来るんでしょ?」

「ああ」

「じゃあ、またあした」

 手を振る。その背中が、街の中に溶けていく。

 ハルは空を見上げた。

 曇り空は変わらない。だが夕暮れの色だけが、わずかにその隙間から滲んでいた。


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