3.現実の価値
城門を出た瞬間、空気が変わった。
石畳の道。行き交う人々のざわめき。露店から漂う香辛料の匂い。
さっきまでいた閉鎖的な空間とは違い、ここには確かに"生活"があった。
空が広い。高い建物が少なく、どんよりと沈んだ空が視界いっぱいに広がっている。
「中世ヨーロッパって感じの雰囲気ですね」
隣でミントがのんびりとした声を出す。
「一緒にきて本当に良かったのか?」
「どうでしょう?ただ、お城の中では息が詰まりそうでしたので、良かったんだと思います」
ふわりと笑う。その調子に、わずかに緊張が緩む。
ハルは手に持った小袋を軽く振った。中で平たい金属がぶつかる乾いた音がする。
袋の中身を掌に出す。金属盤。材質、加工精度から見て通貨である可能性は高い。
色から銅貨と銀貨だと想定できる。おそらく銅貨三十枚、銀貨二枚。
「まずは価値の確認だな」
「こういう時は市場で相場を把握って決まってますね」
ミントが音符が付きそうな弾んだ声を出した。
二人は自然と人の流れに乗った。しばらく歩くと、視界が開ける。
広場だった。
石畳の上に、色とりどりの露店が所狭しと並んでいる。
焼いた肉の煙が立ち上り、香辛料と革の匂いが混ざり合って漂ってくる。
天秤を手に値段を交渉する商人、籠いっぱいの野菜を抱えた老婆、剣を品定めする屈強な男。
言葉はわかる。文化は違う。だが、人が生きているという空気だけは、どこも変わらない。
――情報量が多い。
食料、衣類、簡易武具。流通している物資の質は低すぎず高すぎず。
極端な貧富の差は見えない。少なくとも、この市場の周辺では。
魔法を使っている人間はいない。だが、腰に剣や短刀を下げている者は珍しくなかった。武装が日常に溶け込んでいる。それだけ、この世界が穏やかではないということだろう。
「これ、いくらですか?」
さっそくミントが露店の店主に声をかける。
「パン1つで銅貨三枚だよ」
二人で手分けしながら様々な店を回り、値段を確認していく。
野菜、干し肉などの食料品は銅貨数枚で事足りる。革袋や安物の短剣などは銀貨数枚から数十枚まで幅広かった。一通りの値段を確認したことで、銅貨百枚が銀貨一枚に相当するということも見えてきた。
宿にも立ち寄り、一泊の値段を確認した。一般的なところで一泊一人銅貨五十枚程度。
銅貨と銀貨の換算はおおよそ百対一。
ハルは視線だけで袋の中身と照合する。
「二泊が限界だな」
「そんなものですか」
ミントは苦笑した。
「このままだと、すぐに宿無しになってしまいますね」
――稼ぐしかない。
結論は早かった。だが問題はその手段だ。
「……どこで?」
この世界の常識が不足している。どこに行けば仕事にありつけるのか、見当もつかない。
二人は市場の喧噪を横目に、路の隅で足を止めた。
ハルは無言で周囲を観察しながら思考を回す。ミントも同じように、静かに考えている様子だった。
「ちょっといい?」
不意に、凛とした声が飛んできた。
声がした方へ、二人同時に顔を向ける。
そこに立っていたのは、一人の少女だった。
銀髪が、曇り空の光を受けて淡く揺れている。
整った顔立ち。切れ長の瞳は冷たい色をしているが、その奥には強い意志が宿っていた。
すらりとした体型だが、立ち姿に無駄がない。重心が低く、いつでも動ける構えだ。
見えるところに武器は持っていない。だがその立ち振る舞いが、周囲の武装した人間たちとは一線を画していた。強者だけが纏う、独特の空気があった。
「さっきから見てたんだけど」
腕を組み、じっとこちらを見る。
「二人とも、目立ちすぎているわよ。明らかに周りから浮いてる」
「……そうか」
「そうよ」
即答だった。
ミントがくすっと笑う。
「そうですよね。この服装じゃ、浮かないほうが無理ですよね」
少女はうなずいた後、ため息をついた。
「まあいいわ」
少し間があった。少女はこちらを値踏みするように見てから、肩の力を抜いた。
「事情は知らないけど、困ってるのはわかる」
その言葉に、ミントが少し驚いたように目を瞬かせる。
「どうしてそう思うんですか?」
「そんな顔してるからよ」
即答。
「行く当てもなくて、お金もなさそうで、困っている顔」
ぐうの音も出ない。
ハルは一瞬だけ沈黙した。
「その通りだ」
降参だとばかりに、ハルは肩をすくめた。
満足げに頷くと、少女は背を向けた。
「ついてきなさい」
「……?」
「仕事、探してるんでしょ」
振り返らずに言う。
「あなた達みたいな人で日銭を稼ぎたければ、ギルド一択よ」
「冒険者ギルド。依頼を受けて、達成すれば報酬をその場でもらえる」
「それは、今の俺達には願ったりかなったりだ」
「でしょ?」
少女は少しだけ誇らしげに笑った。
その笑い方が、さっきまでの凛とした印象と一瞬だけ違って見えた。
ミントがハルの方を見る。
「行きますか?」
「ああ」
選択肢はない。
二人は少女の後を追った。
しばらく歩くと、大きな建物が見えてきた。
木と石で作られた重厚な外観。看板には剣を模した紋章が描かれている。
出入りする人間の多くが武装している。荷物を背負った者、返り血の跡が残った鎧を着た者、酒瓶を片手にふらついている者。
それぞれが違う顔をしていたが、共通しているのは——みな、修羅場をくぐってきた者の目をしていることだった。場数を踏んだ人間の空気が、ここには満ちている。
「ここよ」
少女が扉を開けると、ざわめきが一気に押し寄せた。
酒の匂い、鉄の匂い、そして人の熱気。
荒っぽい空気だが、どこか秩序がある。
「新顔か?」
「いや、違うな……」
視線が集まる。だが敵意は薄い。
「とりあえず、受付に行きましょう」
振り返らないまま、少女が手をひらりと動かした。ついてこい、という合図だろう。
その背中を見ながら、ハルは小さく息を吐いた。
状況はまだわからない。だが、一つだけ確かなことがある。
どうにか、首の皮一枚つながったようだ。
「そういえば、名前まだだったわね」
受付の前で、少女が振り返る。
「私はリリア。リリア・シュバルツ。みんなからはリリーって呼ばれてる」
その名を口にする声は、どこか誇らしげだった。
「あなたたちは?」
「……ハルだ」
「ミントです」
「ハルにミントね」
リリアはよろしく、と綺麗に笑う。
「とりあえず、しばらくの寝床くらいはなんとかなるはずよ」
「助かった」
「でしょ?」
胸を張る。その姿は、どこまでもまっすぐだった。
ハルはその姿を見て、小さく息を吐いた。
まっすぐすぎる人間というのは、どこの世界にもいるものだ。
――ただ、こういう人間ほど、心に傷を負いやすく脆い。
だが、それは今考えることではない。今は、目の前の一歩がしっかりと地面を踏みしめられたことに安堵しておこう。




