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22.追手

 空は相変わらず厚い雲に覆われていた。雨は降っていない。ただ灰色の雲が天蓋のように低く張りつき、太陽の在処さえ曖昧にしている。

 その下を、ゼインは南へ向かって歩いていた。

 頭の中で数刻前のハルとの会話が反芻されていた。

 

 グレイストーン村の外れ。井戸のそばで肉を焼く匂いが届く距離で、ゼインはハルと向かい合っていた。

「──殺してくれ」

 ゼインはハルの目を真っ直ぐに見た。

「俺に、お前たちの居場所をガルドに報告させてくれ。そうすりゃガルドは追跡隊を出す。俺も同行を申し出る」

「自分から追手を連れてくる、と」

「ああ。そして──戦闘になったとき」

 ゼインの声が、わずかに震えた。

「副ギルド長の前でお前が、俺を殺せ。本当に死んだように見せかけてくれ。最悪本当に殺してくれてもいい」

 ハルはゼインのそんな話を聞いても特に感情が動くことはなかった。ゼインの考えていることが手に取るように分かった。

「お前が死ねば家族が人質から解放される」

 ゼインは頷く。

「鎖の繋ぎ先がなくなるんだ。死人は脅せない。死人は寝返らない。あいつらにとって、俺の家族は、俺を縛るためだけの価値しかない。──俺が死ねば、監視、人質の意味が消える」

 ハルは長いあいだ黙っていた。

 頭の中で、計算が滑らかに回っていた。リスクは高い。リリアがいれば尚更だ。だが、見返りは小さくない。ゼインは優秀だ。それは確かだった。ハルとミントの場所をこの短時間で掴んで目の前に姿を現した。今ハルの前に立っているゼインは、出会ったころの底辺冒険者を装っていたころとは何もかもが違っていた。こうして向かい合っていても存在感が薄い。普通に立っているように見えてもいつでも戦闘に移行できるような重心の置き方をしているのがわかる。

 「死んだ」ゼインは、ガルドの監視の外で自由に動ける。王都に、城の動きを掴める目が一つ手に入る。

 損得で言えば──かなり得になるだろう。

「いいだろう」

 特に断る理由がなかった。

「……いいのか」

「逃げ続けられないことは織り込み済みだ。どうせやりあうなら、奇襲を受けるよりこちらの選んだ場所と時間のほうが圧倒的にやりやすい」

 ハルの声に感情はなかった。

「お前の依頼はその時に果たす。やり方は俺が決める。お前は死んだふりだけしっかりやれ」

 ゼインは何か言いかけて、結局、笑った。気さくな、いつもの笑いに戻ろうとして、なりきれない笑いだった。

「……恩に着る」

「礼はいらん。うまく生き残ったら死んだあとでしっかり働いてもらう」

 会話の矛盾に珍しくハルが表情筋を緩めた。


 ギルド長室の重い扉を、ゼインは叩いた。

 ギルド長の椅子に、ガルドが座っていた。細身の体に鋭い目。ライズがいた頃とは空気そのものが違う。温度が冷たい。

「報告を」

 ガルドは顔も上げずに言った。

「北の辺境、グレイストーン村に二人が滞在しています」

 ゼインは頼りない声を上げた。ガルドの前では”低ランク冒険者”を演じなくてはいけない。

「鉱山の竜を討伐したらしく、しばらく動けない様子です。おそらくこのまま北上して国境を越えるつもりのようです」

「どうやって調べた?」

 ガルドが少し怪しむような視線をゼインに向ける。

「知り合いの商人が情報を持ってきてくれました。俺の力ではとてもではないですがそんな遠出はできないです」

 ガルドは視線だけで続きを促す。

「ヘム・ダラク。商人ギルドの行商人です」

 ガルドはその名前を聞いて、しばらく考える。”あの”ヘム・ダラクからの情報であれば確実だろう。

 しばし机上の一点を見つめていた。それから顔を上げた。無表情の奥で、何かが組み上がっていく。

「追跡隊を出す。私が編成する。お前も一緒に来てもらう」

「……俺が、ですか」

 願ったりかなったりだが、すぐ飛びついては怪しまれる。

「不満か」

「いえ」

 手間が省けたことに安堵しつつ、これから起こることを考え緊張でゼインは唾を飲み下した。

「それと、リリアを同行させる」

 ガルドは続けた。ゼインはガルドの魂胆は分かっていたが何も言う必要がなかった。

「……承知しました」

 ゼインが退室したあと、ガルドは一人、駒を並べる男の冷徹さで盤面を組み直していた。

 逃亡者は北へ向かっている。国境を越えてグラデイウスへ逃げ込まれれば、”ガルドの”ギルドの手は届かなくなる。それまでに仕留めねばならない。

 幸い、手駒は揃っていた。

 リリア・シュバルツ。

 ライズに育てられ、ライズを「殺された」娘。憎しみで研ぎ澄まされた刃。普通の人間は怒りで精度を落とすが、あれは逆だ。怒りが深いほど、正確になる。ハルを追い詰めるには、これ以上の駒はない。

 だが──と、ガルドは内心で先を読む。

 あれは、いずれ目障りになる。ライズの娘で、次期ギルドマスター候補。事の真相に近づけば、必ずこちらに牙を剥く。生かしておく理由は、ハルを狩る間だけだ。

 だから、こうする。

 リリアにハルを追わせ、ぶつけ合わせる。二人が刃を交えたところで、自分の息のかかった連中が仕上げる。ハルとリリアが相打ちで果てた──そういう絵を描けばいい。指名手配の犯人と、それを追った娘が、相討ちで倒れた。誰も疑わない結末だ。

 犯人ハルを消し、目障りなリリアも同時に始末する。一度の遠征で、二つ。

 効率がいい、とガルドは思った。

 窓の外を、灰色の雲が流れていく。雨は、まだ降らない。

 

 リリアはハルを探してあちこち駆け回っていたが、ギルドからの招集がかかったため、一度王都に戻っていた。

 ハルの居場所が分かったという報告を受け、追跡隊への編成を聞かされた。

 あの夜の光景が、瞼の裏で何度でも再生される。倒れたライズ。傍らに立つハル。地面に落ちた、血に濡れたハルの剣。

 信じていた。あんなにまっすぐな目をしていたのに。「この国にはそういう人が必要だ」と、ハルは確かに言った。

 ──全部、嘘だったのか。

 問うたびに、答えが出ない。出ないことが、何より苦しかった。嘘だと断じきれたら、いっそ楽になれたのに。

 その出口のない問いごと、リリアは憎しみという燃料に変えて燃やし続けていた。考えるのをやめるために、走り続けるしかなかった。

 自分が今、ガルドの計画で始末する対象として数えられていることなど、彼女は知る由もなかった。

 ふと、視線を感じて振り返る。

 ゼインが、回廊に立っていた。

「……ゼイン」

 あの夜、ハルを犯人だと証言した男。今度は同じ隊に組み込まれた、かつての顔見知り。

 その目が、自分と合った瞬間、すっと逸らされた。後ろめたさを隠すように──いや、何かを堪えるように。

「今回の追跡はガルド自身が指揮を執る」

 ゼインは言った。

「明日、発つ。お前には先頭を頼みたいそうだ」

「望むところよ」

 リリアは即答した。ゼインは何か言いかけて、結局、口を閉じた。

 言えるはずもなかった。この娘が、自分と同じく「使い捨ての駒」として盤上に置かれていることも。

 そして自分が、その盤をひっくり返すために、ここにいることも。

 追跡隊が、北へ向けて動き出す。


 同じ頃。北の辺境では、雲でどんよりとした朝が明けていた。

 グレイストーン村の宿の食堂で、ハルとミントとヘムは食事をとっている。あの宴から四日後のことだ。

 村人は休みなく鉱山の復旧に奔走していた。空模様とは裏腹に、村には笑顔が戻り、活気に満ちている。竜の眼、鱗、爪──様々な素材はすでに売り先の目途が立ち、村の今後の計画も固まりつつあった。

「これからお二人どうなさるので?」

 とヘムが言った。

「このまま北上して山を越えようと思っている」

「その予定です。ここより北は何がありますか?」

 ミントがヘムに質問をする。

「国境がありやすね。そこを越えるとグラデイウスでございやす。確かに、国境を越えられれば追っ手もついてはこられやせん。ただ──」

「ただ?」

「簡単には国境は越えられやせん」

 ヘムはパンをちぎりながら答えた。

「お二人だけでは、かなり難しいかと」

 ヘムは指についた粉を払った。

「おそらく検問には国の手が回ってると思いやす。おそらく普段よりも入念に確認が入ると思いやす」

 ハルとミントは押し黙った。

「そこでです。あっしがご一緒いたしやす。ちょうどグラデイウスに用がありやしたし、この前の検問のようにすれば簡単に抜けられるでやす」

「いいのか」

「なぁに、北へ商売に出る荷が二つ増えるだけのことでさ。今回の件でかなり儲けさせていただいたんでね。その恩返しもかねてでやす。それに、あっしはすっかりお二人のファンになってしまいやして」

 ヘムは事もなげに言った。

「ただ、すぐにとはいかん。ギルドに越境の手続きを取って、荷を仕立て直して──あと数日はほしいでやす」

 なんてことはないという感じでヘムはパンをちぎった。この男がどこまで状況を把握しているのか、ハルにはまだ測れないままだった。

 その目は、いつものように愛嬌のある形に細められている。だが奥の方は、少しも笑っていない。ニヘラと笑う口元と、観察をやめない瞳。中立を名乗りながら、何かを見定めようとしている。

 向かいで、ミントが温かいスープを両手で包むように持っていた。その手が、ふと止まる。

(探知に反応。南です)

 ミントの声が脳に届いた。

(複数。……五か六。それ以上は、はっきりしません)

(まっすぐ、こっちへ。距離はまだあります)

 掴めるのは、おおよその数と方角まで。詳細な情報は曖昧だ。

 だが、それで十分だった。来ることは、最初からわかっていた。

 ゼインが動いただけの話。追っ手が近づいてきた。盤は、もう動き始めている。

 ハルはスプーンを置いた。

 あとは、場所だ。村でやるわけにはいかない。住民がいる。地形も悪い。もっと開けた、こちらの都合のいい場所まで引き込む。

「出るぞ」

 ミントに向けて言うと、ハルは立ち上がった。

「村を巻き込むわけにはいかない」

「どうしたんで?」

 ヘムはいきなり立ち上がったハルに驚き、状況を把握しようとした。

「ああ、知り合いが近くまで来たみたいでな。ちょっと会いに行ってくる。越境の準備はよろしく頼む」

 ヘムはしばらくハルを見て、それから、何も聞かずに笑った。


 窓の外、灰色の空の下を、煙が一筋、真っ直ぐに昇っていた。

 その煙の向こう──遥か南から、三つの思惑を乗せた足音が、確かに北へ近づいていた。

 ハルを犯人と信じて追う、リリア。

 その娘ごと相打ちに仕立てて消そうとする、ガルド。

 そして、自分の死をハルに託した、ゼイン。

 それぞれの思惑はハルを通して交わる。

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