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17.鉄の村と竜

 ヘムの荷台は昨日よりも揺れた。

 引き続き街道を北に向かっている。山の稜線が近づくにつれてだんだん石の敷き詰め方が雑になっていたり、割れている場所が修復されていなかったりしている。幌の隙間から外を見ると、空は厚い雲に覆われていた。光の差し込む余地がなく、景色全体がくすんだ灰色に沈んでいる。

 ハルは荷台の端に腰を下ろしたまま、揺れのたびに右手で梁を掴んでいた。

 ミントはハルの隣で荷物に背をもたせかけ、目を閉じていた。眠っているわけではないことはわかっていた。

 機械眼が微かに動いているのが瞼越しでもわかる——視界を遮り、何かを処理している時の動きだ。

「調べものか」

 ハルが声をかけると、ミントは目を開けてから小さく頷いた。瞳が金色に輝いている。

「周辺の地形の把握を行っていました。モンスター?と呼ばれる有害生物の数は少なそうですね。追手も、私が視える範囲ではなさそうです」

 ミントの眼に一瞬何か引っかかったが、すぐに反応は消えた。眼も本調子でないのでたまに入るノイズだろうと片付けた。

「だんだん人が少なくなっているな。何か北にあるのか?」

「特に特別な反応はありませんし、私自身何か引っかかることもないですね」

 ハルが幌を少しだけ開けて、顔を外に出し、ミントに聞いたことをヘムにも確認した。外の空気は冷たかった。雲の底が山の輪郭に触れるほど低く、稜線がかすんで見えた。

「へい。最近、最北の村の鉱山で問題が起きているようで、鉄の出荷量が減ったという噂は聞いておりやす。そのせいで、村から出ていく人が多くなり、寄り付く人も減っているってことでさ」

 ふむと言ったきり、ハルは何も言わなかった。商人ギルドの情報網がどこまで張られているのかは不明のままだが、かなり広範囲の情報を拾っているようだ。

 夕方前に馬車が止まった。

 幌の端をめくると、木々の向こうに石造りの家屋が見えた。鍛冶の煙が空に細く上がっている。曇り空に溶けるように、煙はすぐに見えなくなった。

 村に入る手前の坂道で、子どもが一人、荷車をじっと見ていた。ヘムが御者台から声をかけると、子どもは踵を返して坂の上へ駆けていった。

「着きましたよ。グレイストーン村です」

 村の入り口に差し掛かった時、空気が少し変わった。

 鉄と油の匂いが鼻腔を刺す。すぐに慣れたが。

 村の規模は昨日宿泊した村よりひとまわり大きかった。家屋は石を積んだ形で、どれも頑丈そうな低い造りをしていた。曇天の下では石の色がいっそう暗く見えた。

 井戸の周囲に人が集まっていたが、ハルたちが来るのを見ると一人、また一人と目を向けてきた。

 歓迎でも警戒でもなく、疲れた顔をした人々が外から来た者を確認している、そういう視線だった。

 宿屋は村の中央に近い場所にあった。看板に「石頭亭」とある。ヘムが馬車を預けて先に中へ入り、ハルとミントは少し遅れて後に続いた。扉を開けると、外との温度差がはっきりわかった。

 宿の主人は四十程度の男で、ヘムと顔見知りらしく、二言三言で部屋を押さえてくれた。一階に酒場兼食事処がある。夕食の時間までは少し時間があった。

 ハルとミントは部屋で荷物整理を行っている間に、ヘムは情報収集に出かけていた。


 三人はそれぞれの用事を済ませると、食堂に集合した。

 食事処には先客が三人いた。いずれも村の男で、卓を囲んで酒を飲んでいたが、会話はほとんどなかった。窓の外は暗い。日が落ちたというより、もとから光のなかった空がそのまま夜に変わったような暗さだった。

 カウンターの向こうで女将が煮込み料理をかき混ぜている。煙草の煙が薄く漂っていた。

 ヘムが三人分の夕食を頼み、卓に着いた。ハルはヘムの隣に座り、ミントは向かいに収まった。

 運ばれてきたのは芋と豆の煮込みと、黒麦パン、それに薄い肉のスープだった。

 ミントがパンを千切りながら先客の男たちに目をやった。

「みなさん元気がないですね」

 ミントは純粋な感想を口にした。

「へい」

 とヘムが同意した。

「噂通りこの村は今、厳しい状況のようで。噂と実際見聞きするのとでは情報量が違いやすね」

 ハルはスープに口をつけてから、ヘムを見た。

「詳しく聞かせてもらえるか」

「へい」

 ヘムは卓に両肘をついて、声のトーンを落とした。

「グレイストーン村の産業は鉄でやす。この山の鉱山から良質な鉄が採れる。それの交易でこの村は栄えてきたんでさ」

「過去形か」

「なんでも約一ヶ月前から採掘ができなくなっているらしいんで。鉱山に危険な魔物が住み着いてしまって、採掘ができないらしいんでさ」

「危険な魔物……?」

 ミントが静かに言った。

「アイアンドラゴン、でさ」

「なるほど、オーガが南下した理由もそれですかね」

「おっしゃる通りで」

 ヘムは低く頷いた。

「オーガが南に下りてきたのも、鉱山からアイアンドラゴンが出てきたことで縄張りを追われたからだと思いまさ」

 ハルはパンを置いた。

「鉱山が使えないということは、このままだとこの村は……」

「へい、あと一ヶ月程度でこの村は立ち行かなくなるでっさ。鉄の在庫が尽きるのも時間の問題らしいでやす。次の税の支払いは無理でしょう。払えなければ国から罰則が来るでっさ。話だと冒険者ギルドに依頼も出したそうですが、色々とあって辺境の村のことは後回しにされているそうでやす。先日はギルド側の都合で依頼が取り下げられてしまって、途方に暮れているそうでやす」

 先客の男たちが静かに立ち上がり、一人ずつ出ていった。後に残ったのは酒の残りと、消えかけた煙草の煙だけだった。

 ミントがスープを一口飲んでから、少し考えるように目を動かした。

「アイアンドラゴンの素材価値ってどんなものですか?」

「へい。この村を持ち直させてもなお持て余すほどの価値があります。滅多にお目にかかれないモンスターなので、生態調査などの目的で、素材にならない部位でも高く売れるでやんす」

「なるほど。それでは討伐することさえできれば——」

「理論上はそうでやす。しかしそれを倒せる者が——」

 ミントとヘムがそこで止まった。ハルを見ていた。

 ハルは何も言わなかった。黒麦パンの残りを取り、食べた。

「俺はまだ本調子ではない」

「ええ、それは分かっています。ただ、この村の問題とは別に私たちも大きな問題を抱えています」

 ハルは卓の木目を少し見てから、ミントを見た。

「路銀か……」

「そうです。王都の宿に大半のお金を置いてきてしまいました。今の持ち分だと、この宿二泊が限界です」

 ハルはため息を吐いた。

「加えて武器もない」

 武器もリリアとの戦闘から離脱するときに置いてきてしまった。

「それは心配いりません。私が準備いたしましょう。服も併せて準備いたしやす」

 ――その服では目立つでしょう。もちろん討伐がうまくいったら、お代は多めにいただきまっせ、と付け加えた。

 とんとん拍子に話が進む。そして、断る理由がなくなった。ミントは何も言わなかったが、微笑んでハルを見ていた。

 ハルは視線を戻した。

「鉱山内部の地図はあるか」

「へい。明日、討伐の件を伝えるついでに、村長に聞いてみましょう。村長は顔馴染みなので時間はとってくれると思いやす」

 ヘムはそう言って立ち上がり、女将に追加の酒を頼んだ。ハルはそれを断った。

 ミントは受け取って、一口だけ飲んだ。

「ところでアイアンドラゴンはどういった生物なんですか?」

「へい」

 とヘムは目を少し細めた。

「私もうわさでしか聞いたことがありやせんが。名前の通り、体の表面を鉄に近い鱗で覆っていて、普通の剣では傷もつけられないらしいでっさ」

「翼は?」

「ありやせん。地を這うタイプでさ。空は飛ばない。だから坑道のような狭い場所にも入れる」

「火は吐くのか」

「へい。喉に油袋を持っていて、それを霧状に吹き出す瞬間に金属でできた上と下の歯をぶつけて着火させ、火を吐くようでさ」

「鉱山に住み着く理由って何かあるんですかね?」

 とミントが聞いた。

「鉄分を含む岩石を噛み砕いて摂取する習性があり、表面の鱗もその成分から生成されている者みたいでさ。鉱山に住み着くのも道理でして」

 そのあと、アイアンドラゴンのことをしばらく話した後、この場はお開きになった。


 部屋は二階の端にあった。

 ミントとハルは隣同士の部屋を割り当てられた。廊下で分かれる前に、ミントがハルに話しかけた。

「ハルさん」

「何だ」

「アイアンドラゴンなんですが……」

「正面からは戦わないほうが無難だろう。質量が違いすぎる」

「ですよね」

 ミントは少し安心したように息をついた。

「そもそも、もとの世界にはそこまで大きい敵対生物は存在しなかったから、戦い方がわからない。それに——」

 俺は対人戦専門だ、とハルは続けなかった。言わなくてもミントには伝わるとわかっていた。

「もう少し情報を集めて、戦略を練りましょう」

「弱点の候補は何がある」

 ミントは少し間を置いた。機械眼が動いている。

「爬虫類型であれば、急激な温度変化に弱い傾向があります。鱗が鉄質なら熱膨張と急冷で負荷がかかる。あと火を吐く仕組みですが——霧状の油を噴出するには一度大きく息を吸う必要がある。その瞬間は動きが止まります」

「隙になる」

「ええ。他にも光への感度は高いと見ています。坑道の中で暮らしているなら、なおさら。強い光源を使えば視覚を一時的に奪える可能性はあります」

 ハルはそれを聞いて黙った。いくつかの攻略の筋が頭の中で動き始めていたが、まだ組み立てるには情報が足りなかった。

「なんにせよ、今日はやれることはないので、ゆっくり休みましょう」

 ミントはすでに自分の部屋の扉を開けていた。中に入る前に一度振り返り、「おやすみなさい」とウィンクをして扉を閉めた。

 廊下が静かになった。

 ハルは自分の部屋に入り、ベッドに腰を下ろした。窓の外は暗かった。雲が厚く空を塞いでいて、月も星も見えない。

 一人になると、考えないようにしていたことが戻ってくる。

 ——リリアを頼む。

 ライズの静かな声が頭の中で何度も蘇ってくる。

 ハルは小さく息を吐いて、目を閉じた。意識が落ちるまで、時間はかからなかった。

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