12.休日
オーガ討伐の報酬が出たのは2日後のことだった。
ギルドの窓口でマオが差し出した袋の重さに、ミントが「思ったより重い」と呟いた。
「緊急討伐の割増と、街への侵入を単独で食い止めた分の特別報酬です。あのまま侵入されていたら被害は甚大だったとのことで、ギルド長が色を付けてくださってます」
銀貨六十枚。一日一人銀貨一枚で済む計算なら、二人合わせて一ヶ月は不自由なく暮らせる額だった。
「余裕もできましたし、少し休憩しませんか?それに、ハルさんの武器もそろそろ調達したほうがいい気がするんですよね」
ミントが言った。
「そうだな」
ハルに特に反論はなかった。毎回ギルドに武器を借りて討伐に行くのもどうかと思うし、この前のオーガ戦のように突然の戦闘が起きる可能性があるなら、普段から武器を携行していたほうがいい。
武器屋が開くにはまだ時間が早いので、一度宿に戻り朝食をとることにした。
ミントと向き合って、硬いパンとスープの朝食を食べ終わり、食後のお茶を飲みながらハルは機械眼へのアクセスを試みていた。
城から追い出された日から何度となく繰り返してきた行為だ。しかし一度も反応が返ってくることはなかった。
ただ、壊れているというより何か裏で処理が走っているような感覚はあった。完全に壊れている場合は視界がブラックアウトするはずだ。それがない以上、死んでいるわけではない。何かが、動いている。
「"眼"にアクセスしようとしているんですか?」
ミントが当たり前のように質問してきた。
「お前に"これ"がわかるのか?」
「ええ、ごくわずかにですが反応してますよ。ちゃんと見せてもらってもいいですか」
ハルは少し間を置いた。
「……場所を変えよう」
おそらくこの会話を聞かれても理解できる人間はまずいない。だがなんにせよ、情報はなるべく隠しておいたほうがいい。それは異世界にいても変わらない習慣だった。
ハルの部屋に移動すると、ミントが迷わず距離を詰めてきた。グイっと顔を近づける。鼻と鼻がぶつかりそうな距離だ。
ハルは動じなかった——動じる前に何をしているのか読めたからだ。
ミントの眼が金色に光った。何かを読み取ろうとするように、視線がハルの機械眼の表面をゆっくりと走る。
「うーん、型番からかなり危険な代物という情報が出てきましたけど……」
「わかるのか?」
「ええ、私の"眼"に組み込まれたデータベース上にありましたよ」
ミントはゆっくりと距離を戻した。
「その目は脳への負担もさることながら、ナノマシンを併用しないとまともに使うこともできない。というよりナノマシン専用の眼ですね」
でも——と続ける。
「少し量産型とは違いますね……」
ミントの眼の光が揺れた。何かを確かめるように、もう一度だけハルの機械眼を見る。
「少しこちらで解析してもいいですか?完全に機能停止しているわけではないようなので、アクセスはできると思うんです」
なんともないようにミントが言ってくる。が、それは半分ハッキングに近い行為だ。
「だめだ」
即答だった。軍の機密がある。異世界にいようが、それは変わらない。
ミントは特に食い下がらなかった。「そうですか」とだけ言って引いた。却下されることは最初からわかっていたような顔だった。
「確認なのですが、その眼は最先端という認識で合ってますか?」
ハルはうなずいた。
「そうですか……」
ミントは少し考えるような間を置いた。
「私の眼とはかなり仕様が違いますね。ハルさんのような戦闘特化の設計は、私の眼にはほとんどない」
「なぜ俺の眼の仕様を知っている」
「型番から照合しました。データベースにあったので」
「どこのデータベースだ」
「さあ、どこでしょう」
笑顔のまま、答えなかった。
ハルは追及をやめた。このまま会話をしても聞き出せる気がしない。
「実は私の眼も、まだ少し本調子じゃないんですよね」
ミントが続ける。
「魔法に関しては体に負荷がかからないよう最適化をすぐにしてくれました。でも、この世界でいうギフトと呼ばれている特別な力に関してはまだうまく処理できていなくて、今も三割程度のメモリを割いて解析し続けている状態です。それが影響しているのか、全体的に動作が重くなっています」
「それで解析を申し出たのか」
「ええ。ハルさんも同じような状態になっているのではないかと思いまして」
ミントは少し困ったように笑った。
「私の眼を使ってハルさんの眼の解析を手伝えば、そちらの眼の何割か制限が解除されると思ったんです」
見返りを求めているわけではなく、純粋な親切——そういう顔だった。しかしその奥に何かがあることをハルは感じた。
「お前の眼で解析しているのはギフトだけか?」
思ったより直接的な問いが口をついて出た。
ミントは一瞬だけ目を細めた。それから、いつもと変わらない穏やかな声で答えた。
「……この世界全体の、と言ったほうが正確ですね。魔法の構造、ギフトの干渉、空間そのものの性質——それが全部把握できて初めて、私の眼は本来の機能を取り戻せるんです」
「本来の機能」
「ええ」
それ以上は言わなかった。ハルも追及しなかった。
軍の機密は渡せない。それは変わらない。だがミントが自分の不調を隠したまま動き続けていたことは、今初めて知った。
「体の一部がなくなる感覚に近いはずなので、かなり違和感は感じているはずです」
「問題ない。慣れはしないが、それを含めて行動するしかない」
「そうですか……まぁ、気が変わったらいつでもおっしゃってください。お手伝いしますよ」
「そういえば……、そろそろ武器屋、開く時間ですね」
それだけ言って、部屋の扉のほうに目を向けたと同時に、ノックの音が部屋に響いた。
「ほら、いらっしゃいましたよ?」
「開いている」
ハルが短く返すと扉が開いた。入ってきたのはリリアだった。挨拶よりも先に口を開く。
「武器屋に行くよ。案内する」
「どうして……」
「ギルド長に頼まれたの。オーガのお礼もかねて、一本買ってやれって」
リリアは少し間を置いてから続けた。
「それと——あなたの動き、立ち振る舞いを見ていたら、本来は武器を使うタイプの人間だってわかるって言ってた」
ハルは素直に感心した。なるべく動きや重心から情報が読まれないよう意識してきた。それでも見抜かれた。
「わかった。ギルド長の言葉に甘えよう」
「素直でよろしい」
リリアが短く言って踵を返す。ミントがハルの横を通り過ぎながら小声で「ほら、やっぱり来ましたね」と囁いた。
予測していたのか、と返そうとしてやめた。どうせ肯定が返ってくるだけだ。
武器屋の主人は老人だった。無口で、客が入っても手元の作業を止めない。
カウンターの奥で黙々と刃を研いでいる。その静けさが、ハルには心地よかった。
「ハルって、この前のゴブリン退治の時に使っていた片手剣が一番得意な武器?」
リリアはとりあえず剣の棚へ向かい、顎に手を当てて剣を見渡した。品揃えを確認しているというより、どれを勧めるか既に考えているような目つきだ。
「だいたい刃渡り八十センチ程度の片手剣を一本と、狭い場所での戦闘用にナイフを一本使っていた」
「なるほど」
リリアが棚に沿って移動し始めるのを横目に、ハルも棚の前に立った。機械眼なしでも、重量・バランス・刃の厚みは手で十分に把握できる。一本ずつ手に取り、握り込んで重心を確かめる。
数分もかからなかった。切れ味を重視したブロードソードを一本と、刃渡り二十センチ程度のナイフを一本。それだけ選んで棚に戻した。
「そんな量産型のでいいの?」
リリアが眉をひそめた。
「武器は命を預けるものなんだから、もう少しいいものを選んだほうがいいんじゃない?予算もかなり余裕があるけど」
「この世界の武器水準だと、かなり良い武器でない限りあまり差はない。すぐに武器が悲鳴を上げてしまう」
「武器が悲鳴を上げる……」
リリアが微妙な顔をした。武器を大切に扱う人間からすれば、あまり聞き心地のいい言葉ではなかっただろう。うーんと首をかしげながら、それでも何か言い返す言葉が見つからないらしく黙った。
納得はしていないが、反論もできない。そういう顔だった。
ミントは別の棚で軽い短剣を一本選んでいた。両手で持って重さを確かめ、満足そうに頷いている。
「万が一用です」と胸を張って説明したが、リリアに「それ使えないと意味ないよ」と即座に言われて少し肩を落とした。
「使い方、教えてくれませんか?」
「……まあ、ちょっとなら」
リリアは少し考えてから続けた。
「使えない武器を持っているのは、持っていないよりも危険になることもあるからね」
ミントはにこにこと笑顔でお礼を言った。
リリアは「別に大したことじゃない」と言いながら、少し照れたように視線を棚に戻した。
武器屋を出ると、通りに露店が並び始めていた。昼前の市場は人の往来が増え、焼いた生地の甘い匂いが漂ってくる。
リリアが迷わず露店の前で足を止め、焼き菓子を三つ買った。財布を出す間もなかった。
少し一緒に行動してわかったことだが、どうもリリアはあればあるだけ金を使ってしまうタイプのようだ。報酬が入ればその日のうちに消え、足りなければ足りないなりに生きている。
その件についてハルが口を開きかけたが、すでに菓子を渡されたあとだったので諦めた。指摘したところで直る性格でもないだろうという判断もあった。
三人で並んで通りを歩く。特に行き先は決めていない。
「そういえば、リリアって将来の夢とかありますか」
ミントが焼き菓子をもぐもぐしながら突然そんなことを聞いた。脈絡がないようで、ミントの場合は大抵何か考えがあって話を振ってくる。
リリアは少し間を置いた。口に入れていたお菓子を飲み込むと口を開いた。
「……ギルドマスターになることかな」
「ギルド長のように?」
「たぶんギルド長みたいにはなれないと思う」
リリアは前を向いたまま続けた。照れているわけではなく、ただ静かに言葉を選んでいる顔だった。
「でも、私がギルド長に救われたように、できるだけ多くの人を救いたいと思っている。ギルドが今のまま、人の役に立つ場所であり続けさせたい。逃げ込める場所でも、立ち直れる場所でも、なんでもいい。ただ、誰かがここに来たとき、来てよかったと思えるギルドにしたい」
短い沈黙があった。
自然とそれができる人間だと思った。短い期間だったが、リリアという人間を見ていると、そういう結論に至った。
正義感でも使命感でもなく、もっと単純な話だ——リリアは、誰かのために動ける人間だ。
「リリアなら出来る」
意外な言葉がハルから発せられた。リリアは一瞬だけ足を止めた。
「……急に何」
「思ったことを言った。それだけだ」
「…………」
リリアはそっぽを向いた。耳が少し赤い。それ以上何も言わず、また歩き始める。
ミントは菓子を齧りながら前を向いたまま、満足そうな顔をしていた。
夕方、三人は宿の近くの広場に戻ってきた。
今日一日で大きな事件は何も起きなかった。誰かを助けたわけでもなく、何かが判明したわけでもない。
それでも悪くない日だった、とハルは思った。




