11.召喚の国
重厚な扉が閉じられ、室内は静寂に包まれていた。執務室で椅子に腰かけている国王の対面に、召喚の時に顔を見せた男——国王の側近が立っていた。
「佐伯ユウトの破壊衝動、想定通りの推移です。魔力適性と連動して、徐々に増幅されています」
側近が各所からの報告書類を見ながらまとめて伝える。
「白石カナの幻覚の症状は?」
「発現確認済みです。本人は後遺症と認識、疑いなし」
「三浦ナナミは」
「感情の波が出始めています。まだ初期段階ですが」
国王は頷いた。
「それぞれの副作用に合わせてうまく操れるように手を打っておけ」
「ただ、黒瀬アキトだけ特に変化はありません。おそらく発現が遅れているのでしょう。四人の中でも成長が遅いので」
国王は鼻で笑った。
「従順で、魔力量も高位魔術師クラス。氷属性の扱いも安定している。あれは"使いやすい駒"だ。後遺症が出ないなら、それはそれでどうとでもなる」
側近が少し間を置く。
「ギルド長が動くかもしれません。孤児の誘拐がギルド側に知られました」
国王の表情がわずかに曇る。
「そうか。もともとギルド長は我々に反感を持っていた」
国王は少し間を置いた。
「そろそろ頃合いか……ギルド長には退席願おうか。あの男は優秀だ。だが、国の方針に逆らう者は不要だ」
国王はゆっくりと指を組んだ。
「ユウトを使いましょう。彼が一番まっすぐで、洗脳も進んでいます」
「……そうだな」
国王は深く頷いた。
「純粋な者ほど、正義の名のもとに動かしやすい。敵と認識させ、"守るために戦え"と言えば、迷いなく剣を振るうだろう」
「では、計画を進めますか?」
「進めろ。ただし——」
国王は目を細めた。
「ギルド長の死は、"国の手"であってはならん。今ギルドに反発されるのはまずい」
「承知しました。それでは、我々が追い出した召喚者を使いましょう」
——あぁ、報告にあった召喚者か。
「——噂の二人か」
そこで側近は手に持っていた書類に視線を落としてページをめくる。
「召喚時の鑑定で魔力ゼロ、ギフトなし。戦力として見込めないと判断し、最低限の金銭だけ渡して城の外に出しました。その辺で野垂れ死ぬと思っていましたが——」
側近はわずかに表情を曇らせた。
「しぶとく生き残っています。オーガを二人で仕留めたという報告もあります。オーガの死体はギルド側が処理してしまったので、どのように戦ったのか、把握できていません」
「ふむ」
「ギルド長がその実力を買い、信頼を置いているようです。今回ハルを犯人に仕立てれば、ギルド長の信頼がそのまま疑惑の重さになります」
「どのようにハルを犯人に仕立て上げる?」
「ハルが使用している武器と同様のものを準備します。ギルドに記録が残っているので、照合すれば一致する」
国王は静かに聞いていた。視線だけで話の続きを促す。
「ガルド副ギルド長に動いてもらいます。発見者として現場に居合わせ、"黒髪の冒険者が逃げるのを見た"と証言する。ハルの特徴と一致させれば十分です」
側近はわずかに口角を上げた。
「ユウトをどうやって動かす?」
「段階を踏みます」
側近は書類を一枚めくった。
「まず、ユウトと親しい人間を通じて、ギルド長に関する"噂"を流します。ギルド長が召喚者を危険な任務で使い捨てにしようとしている、という内容です」
「その噂の根拠をどうする?」
「ユウトは仲間を守ることへの執着が強い。根拠より感情が先に動く。噂を聞いた時点で、すでに疑いの種は植わっています。根拠などなくても今の洗脳状態ではまず疑うということをしないでしょう」
側近は続ける。
「次に、ユウトが直接ギルド長の"危険性"を確信できる状況を作ります。身近な人物から、もう一押しの情報を与える。別々の方向から同じ情報が来れば、人間は疑わなくなる」
「その身近な人物とは」
「彼につけている、孤児です。おそらくユウトは疑わないでしょう」
「なるほどな」
国王は満足げに頷いた。
「ユウトに"今夜しか機会がない"という切迫感を与えます。判断を急かせれば、人間は考える前に動く。その状態で"守るために戦え"と囁けば——」
側近は静かに言い切った。
「ユウトは自分の意思で動いたと信じたまま、ギルド長を殺します」
沈黙が落ちた。
「アキトは使わないのか」
「黒瀬アキトは——」
側近が一瞬、間を置いた。
「現状、後遺症の発現が見られません。精神的に安定しすぎている。ユウトのように感情で動かすことが難しい」
国王は頷いた。それ以上アキトについては触れなかった。
「進めろ」
側近が一礼して、扉へ向かう。
「ひとつだけ」
扉を出る前に国王が静かに呼び止めた。
「ハルの処分はどうする?」
「犯人に仕立てた後は、奴の行動次第です。捕まるならそのまま処刑してしまえばいい。死人に口なしです。もし逃げるようならギルドが動くでしょう。リリア・シュバルツが奴を見つけてそのまま屠るでしょう。それくらいあの娘はギルド長へ依存している」
「副ギルド長とその息のかかった冒険者も同行させ、リリア・シュバルツも相打ちという形で処分しましょう」
「好都合だな」
国王の声には、人を物として見ている者特有の軽さがあった。
「はい。あの娘も将来的に国の邪魔になる。使えない召喚者と邪魔者、二兎を同時に潰せます」
国王は満足げに頷いた。側近が退室する。
重厚な扉が閉じられ、執務室に静寂が戻った。
その頃、アキトは自室の窓際に座っていた。
灯りは落としていた。曇り空から漏れる薄い月明かりだけが、部屋の輪郭を浮かばせている。
——ユウトを動かす気か。
アキトは目を細めた。脳裏に薄暗い執務室の様子が浮かんでくる。
国王と側近の会話もすべて拾うことができた。
——ギルド長を消す。ハルとかいう召喚者に罪を着せる。なるほど、手際がいい。
純粋に感心していた。これが何年も人を騙し続けて研ぎ澄まされた手管というものか。
アキトは手のひらを見た。
皮膚の下で黒い魔力が静かに脈打っている。まだ馴染みきっていない。体が完全にこの魂を受け入れるまで、もう少し時間がかかる。
——俺が動くのは、まだ早い。
焦る必要はない。
この国を壊すのに、正面からぶつかる必要はない。
国が自ら、崩れていけばいい。
ギルド長が死ねば副ギルド長がギルドを掌握し、国と結託する。そうなれば、各地に拠点を持つ独立組織——ギルドの連合が黙っていない。国はギルドを手中に収めたつもりで、外側から完全に孤立する。
孤立した国には、やがて波紋が生じる。
小さな波紋が、大きなうねりになるのに時間はかからない。
あとは、その隙間に火種を一つ落とすだけでいい。
国という巨大な構造は、外から砕くより、内側から腐らせる方が静かで、確実で、残酷だ。
三十年前、アキトはそれを目の前で見ていた。国がどう動き、人がどう使われ、どう捨てられるかを。
国が仕組んだ通りにユウトが動き、国が望んだ通りにギルドが揺れる。
だがその先は——国の思い通りにはならない。
アキトはそこまで考えて、静かに目を閉じた。具体的な手順はまだない。今は種を蒔く時期ではなく、土壌を耕す時期だ。
ふと、ユウトの顔が浮かんだ。
黙っていても伝わってくる、仲間を守るという意思。あの真っ直ぐさは使えると思う。思うのだが——。
——お前は真っ直ぐだな。
ふっとアキトの顔が和らいだ。失ったと思っていた感情が少し顔を出した。
アキトは目を閉じた。
暗闇の中で、三十年前の記憶が一瞬だけ浮かんで、沈んだ。
召喚されたばかりの頃の自分。何も知らなくて、役に立ちたくて、疑うことを知らなかった頃の。誰かに必要とされることが、ただ嬉しかった。
あの頃の自分も——ユウトと同じ顔をしていた。
——どうでもいい。
アキトは目を開けた。
過去は過去だ。感傷は要らない。あの頃の自分はもういない。残っているのは怒りと憎しみだけだ。
窓の外、曇り空は何も変わらなかった。
この世界に来てから、晴れた空を見たことがない。
——三十年前はどうだったか……。
アキトはそれだけ思って、窓から離れた。




