五日目 モルディブ⑤ この旅はけっしてビジネスではない
モルディブ編の最終回です。もっと優雅な滞在記になると思っていたのですが。…嘘です、思ってませんでした。やはり分不相応ということはあるものですね。
「…ええと、ここで待ってればいいんだよね?」
「ねえ、本気でここにずっといるつもり?」
「仕方ないだろう。僕たちが乗る飛行機は午後10時発だし、空港行きのボートは7時発だそうだ」
ここはリゾートホテルのカフェ、私たちはすでに12時にチェックアウトを済ませて、夕方に出る空港行のスピードボートを待っている。
「夕ご飯はどうするのよ?7時間待ちだなんて、それまでもたないわ」
「我慢しなさい。ここで食べると軽食でも二人で一万円だ」
私たちはビーチに面したガゼボ(壁のない東屋のようなもの)でゴロゴロしてボヤいている。
チェックアウト時にホテルスタッフから『出発までここでウェイティングオーケーです』と言われた。
私は一応尋ねる。
「夕飯はここで食べられるのかい?」
「オフコース、ミスタ」
「イッツフリー?」
「ワッハッハッハ」
スタッフが大声で笑った。冗談を言ったつもりではなかったのだが。
1時間が経過する。
「ねえ、ヒマだわ」
「みんなそうだ。君も僕もみんなみんな生きているんだ」
「友達ではないけれど…本当にいいところね、綺麗だわモルディブ」
「ハハハ。マッタクダ。来てヨカッタ」
私は文庫本から顔をあげない。
「…」
「…」
「海がきれいだわ」
「それはヨカッタデス」
「…」
ガゼボの大きなクッションに横たわって、部屋から持参したミネラルウォーターを飲みつつ、妻が大きなため息を漏らした。
さらに2時間がたった。
「ねえ」
「…」
「ねえってば」
「…」
「返事しろや、こら」
「ガラが悪いな。ここはリゾートだよ。僕らはセレブの(ふりをしている)ヒトだよ」
私は三白眼になっている妻を宥める(というか若干煽っていると言えなくもない)
「ふん」
何か妻が声にならない息を吐いて私の脛を蹴とばした。
「痛ててて、何をするんだ。僕らはセレ」
「セレブだかセレロンだか知らないけど」*「セレロン」=昔の安価パソコンのCPU
わかりにくいツッコミで妻が遮る。
「あとどのくらい」
「えっと」
私はスマホを眺め、乾いた笑い声を出す。
「あと半分ちょい、4時間ほどだね。アハハハ」
「はあ?」
わかっているくせに妻は大げさに驚いて見せた。
「この状態でまだあと半日?退屈で死んでしまうがな」
誰の真似なんだ。私は聞こえないふりをして再び文庫本に目を落とした。
「くそう」
セレブのマダムらしくない捨てゼリフで妻はトイレに立った。
「お腹が空いたわ」
どう見てもをHPゲージを大幅に減らしている妻は眼の下にクマができている。リゾートのカフェでゆったりしていてなぜHPが減るんだ。
「空港まで待てないか。ここの食事はクソ高い」
「セレブのくせにクソとか言わないでよ。暇だわ。お腹が空いたわ。クソだわ」
「わかったよ。5000円のピザを一枚と1500円のカプチーノを2杯頼もうじゃないか。クソ後悔しないね」
「ぐう」
いったいどこからどんな機能でその音が出るのかわからないが、妻がぐうの音を出した。
その後、私たちは結局一枚のピザと一本のビールを二人で分けて夕食を取り、その後も「俺たちセレブだよな」「確かそうだったはずよ」「間違いない」「そうねそうねゲラゲラ」などと不毛な会話をしつつ、ガゼボでさらにゴロゴロと転がって時間を潰した。
「あと」
「あと1時間だ。もう少しだから我慢するんだ。どうどう」
「グルルルル」
野生動物かい。
夕闇が迫り、今日も何というか非現実的なほど綺麗な夕焼けが眼前にあるが、そんな昨日までは綺麗だったサンセットもHPゲージがゼロに近い私たちにとっては悪い夢のように見える。
「お腹が」
「もう一万円払うかい?」
…
「…我慢するわ」
ものすごく間をあけて妻が呟いた。唇を噛みしめている。
「空港のラウンジで軽食が食べられる。そこならタダだ」
妻が涙ぐみながらガゼボで立ち上がり、海に向かって両手を広げる。
ああ、歌って気が紛れるなら歌うがいいさ。
「♪金あるふりして二人 割と貧乏だねと 言われ続けたあの頃 生きるのがつらかった
私待つわ いつまでも待つわ たとえボートが振り向いてくれなくても」(『待つわ』)
ボートが振り向くってどういうことだ。疲れていてキレが悪いぞ、わが妻よ。
2025年10月5日 モルディブ⑤
モルディブも最終日、ついにチェックアウトだ。問題は次の目的地トルコへの出発時間は夜の10時であるということ。ホテルからはスピードボートで送るのでビーチのカフェで待機するよう言われた。まあ、他に選択肢はない。ボート7時間待ち、飛行機3時間待ち…一見リゾートホテルのカフェや空港のビジネスラウンジでの優雅なウェイティングだ。
しかし、それでも私たち二人は確実にHPゲージを減らしていった。
目の前を動くのは波だけ、たまにスタッフが目の前をゆったり通り過ぎていく。聞こえるのも波の音のみ、音楽も緩やかなジャズが耳を澄ませば…くらいに聴こえてくる。暇だ、ヒマすぎる。泳いだりするにも水着はスーツケースの中だし、出発前に濡れるのも嫌だ。
結局私たちはここで7時間の間、海をのんびり眺めたりウトウトしたり海をゆったり眺めたりグッスリ眠ったりしながら乗り切ったのだった。ぐへ。
PM7:00ようやくスピードボートに乗せられて空港まで行き、またそこのラウンジで3時間ほど待ってイスタンブール行きの飛行機に搭乗した。
ただここのビジネスラウンジでは軽食ではあるけれど、当然無料であるからサラダやヨーグルトをたっぷり食べて過ごすことができた。例によって酸っぱいのだ。何でやねん。また胃腸の調子が良くなってしまう。
ターキッシュエアラインは噂にたがわずゴージャスでスタッフもめちゃ丁寧だった。きれいなお姉さんCAに最初からフルネームで「ミスタjima、Welcome to Turkish Airlines. Thank you for choosing our airline.」と話しかけられた。ムズムズが止まらない。
それから私はもはやそんなセレブ扱いにもすっかり慣れ、シートを倒したり引き上げたりを繰り返していたが、よく考えたら、いやよく考えないでもそんなセレブはいない。
ごくごく快適な機内生活も眠気には勝てない。私はまたも酸っぱいゴージャス機内食もそこそこにグッスリと眠った。寝る前に少しだけタブレットで「なろう」のサイトを覗き、欠伸をしてゴトリとサイドポケットに置いた。
思えばこれが翌日イスタンブール空港で私を襲うことになるこの旅最大級の悪夢の始まりでもあったのだった。大げさなヒキだが大げさではないのだ。次回を読んだらあなたは「そんな馬鹿がいるのか。海外でそんなことになったら泣くぞ」と私に同情するであろう。いや呆れるのが先かもしれないが。
<Tips6>「空港ラウンジ」
今回世界一周航空券をビジネスクラスで指定したのは…①移動時に休憩できる ➁その他様々な特典が漏れなくついてくる…という理由でした。その特典とは、まず優先チェックインと優先搭乗、さらに持ち込める荷物の重さや数が増え、機内WiFi無料でアメニティグッズも貰える、などいろいろあるんですが、何と言っても、これ! そう!空港のビジネスラウンジが使用できるんです。
旅行好きの私ですが、今までカードラウンジ以外は使ったことがありませんでしたので、このビジネスラウンジをめっちゃ楽しみにしておりました。
HISにルートを作ってもらう時には「空港での待ち時間は長くてもOK、というか結構長くとってほしい、なぜならラウンジを満喫したいから」と指定したほどです。もちろんここでタダ飯を食って食費を浮かせたい!という貧乏な野望もありましたが。
一番豪華だったのはやはりイスタンブールのラウンジだったでしょうか。でもシンガポールも凄かったし、ヒューストンのラウンジでバリスタに淹れてもらったエスプレッソの味も忘れられない(ような気がする)ですね。実はあんまりよく覚えていません。
ただ旅が進むにつれて、ラウンジはお楽しみから本当に休憩のための場所になっていきました。最初は物珍しくあちこち探検していたのですが、旅が1か月を越えビジネスラウンジも慣れてくると、まず空いている席の確保に必死になります。何回かは結構な混み具合で、仕方なくバーの背の高いチェアみたいのに1時間以上座って尻を痛くしたり、夜便のトランジットで少しでも眠りたいのに満席で断られたりと、必ずしも快適が約束されているわけではないのですね。
あと、私たちがラウンジで必ず探したのは「生野菜のサラダ」(欧米でもあんまり種類がなかった)と「ヨーグルト」(プレーンが少ない。たいがいフレーバーがついていて、しかもかなり甘い)…ここら辺は普段の生活では毎日採っていたのに、旅先でなかなか手に入りにくかったものです。
もう二度と使わないかもしれないビジネスラウンジ…今思うともっと満喫しておけばヨカッタ、などと振り返ったりします。
*調べるとビジネスクラスに搭乗する以外にも、ラウンジを使う方法は結構いろいろあって、「プライオリティパス」とか「特典付帯のクレジットカード」とか。あと「プレミアムエコノミー(通称プレエコ)」もビジネスラウンジ使える場合があるみたいです。*JALやANAは使えるらしい。
読んでいただきありがとうございました。文中で私がトルコ風の味付けに辟易している描写がありますが、私個人の感想で(私はやや酸っぱいものが苦手です)妻は「美味しい。すごく美味しい」と常に食欲旺盛でした。そしてこのモルディブから次の国トルコの滞在中、私のお通じは絶好調で(普段やや便秘気味)胃腸の状態はすっかり改善したのも事実です。世界三大料理、恐るべしです。次回はトルコ編、珍しく大事件が起こります。刮目して…いいえ、さほどでもないのでよろしければ読んでください。ハードルは上げないに限ります。




