十三日目 フランス➁ シードルで酔っぱらうわけないのらぁ
レンヌ編です。といってもレンヌというフランスの小都市をご存じの方は、要するに世界遺産モンサンミシェルを目指したことがある人ではないかと思われます。ただ、この街が意外といい。「いい」というのはどういいのか説明しずらいのですが、「ちょうどいい」と私は思いました。街の規模や人々の雰囲物価とか少しだけある見どころとか(失礼)。
「では乾杯!」
「かんっぱ~い!」
私と妻がシャンパングラスをカチリと鳴らす。見たところちょっとハイソだが、中身はいつものボンクラ二人組である。
「いやあ、疲れた。移動に苦労したし、何よりよく歩いた」
「あれだけ歩いて建物には入らないって、あり得るの?」
妻は多少不満そうだが、モンサンミシェルの中なんて古い修道院だ。そんなに面白いもんじゃない、きっと多分メイビー。
「まあ、そう言わず。ほら、君が楽しみにしていたガレットとシードルだよ」
私がそう言うと妻も満足そうに『チーズときのこのガレット』を頬張り始めた。
ここは私たちがモンサンミシェルを訪れるために宿泊地として選んだレンヌの街のレストランだ。ホテルのフロントのきれいなお姉さんに『ガレットとシードルを美味しく味わえてお値段はムニュムニュ…』みたいなことを尋ねたら笑って教えてくれた。ニュアンスは伝わったようでパリに比べれば随分温かみのあるお値段だ。
ガレットはそば粉で作るクレープのようなもので、このブルターニュ地方の名物料理である。こういう食事になる種類もあれば、フルーツやクリームで甘く食べられるメニューもあった。
シードルは要するにリンゴの発泡酒、そんなに度数は強くないけれど、飲み口が甘いのでスイスイ飲み過ぎてしまう。お酒に弱い上に本日はお疲れ気味の私には油断できない相手だ。
…油断できないのに油断してしまうのが私の弱点であり脳の欠落点であり、美点でもある。なのかな。
要するに1時間ほどで私はベロベロになってしまった。
「うぇっぷ」
「汚いわね。このくらいで酔っぱらうとは情けないわ。日本人として、いいえ人として」
妻が指さして、嘲笑った。
「何だ、そりゃ。君はだいたいだね。僕の妻としてマドモアゼルとして、いやさプリンセス」
「ゲラゲラ。で結局、モンサンミシェルの中には何があるのよ」
「多分だ、たぶん!モンさんがいらっしゃる。プーッ」
「ギャハハハハ、ちっとも面白くないわ」
笑ってんじゃん。
「そんな君には中をミッシェてあげない!ぶひひひ」
「しょーもない。あなたのガレットが減っていないわ。面白くないから一枚取ってやってくれ、山田君」
妻はそう言って、私がデザートにと思って注文した塩キャラメルソースのガレットをナイフで切り始めた。
「待て、ま、待つのら」
私は一瞬止めようとするが、もう食べられないような気もしてきた。いや、甘いのは別腹…などと逡巡している間にどんどん私のガレットが妻の口に放り込まれていく。
*ちなみに妻は『うわばみ』の愛称を持っている。
「ホーホッホホホ、シードルモードロね!」
わかりにくいし、前回からまだ貴族が抜けてなかった。
妻が店のステージ(などというものはないが、暗喩というか象徴的なそんな何か)に立つ。店員が気を利かせて照明を当てた。なぜ。
「♪ミシェルモンちゃんご用心 用心しなくちゃ駄目さ シードルの口あたり 度数高めてるよ 旦那がモンちゃんでご乱心 ろれつ回ってないよ、へべれけで かわりに君のガレット頂くよ」(『赤ずきんちゃんご用心』)
古い、古すぎるしマニアックだ。それにしても何だ、その選曲と「ミシェルモンちゃん」って…はっ、ボーカルの愛称がミシェルだからか、すごーい!…ってわかるかい!
2025年 10月13日 フランス➁ パリからレンヌへ
昨日パリに着いたばかりだというのに早朝5時起床で出発するのだ。正気とは思えない。アパート近くの地下鉄駅を発見してそこでパリの鉄道カード『ナビゴ』を2枚購入、さらに20ユーロほどチャージした。パリにはスリが多い、と事前学習のYouTube動画やガイドブックやアパルトマンの管理人から繰り返し言われているせいか神経質になっている。財布を取り出すだけで周囲をキョロキョロして、逆に不審な感じがしないでもない。ちなみにパリメトロの運賃は2,55ユーロ、我々が観光するパリ市内の場所はほとんどこの2,55ユーロゾーン一律といってよい。
15分ちょいでどうにか無事にモンパルナス駅へ到着した。ホッとしつつ地下鉄から高速鉄道への乗り継ぎ場所を探す。
ちなみにこのモンパルナスから目的地のレンヌまではTGVという特急列車で向かう。この列車のチケットはヨーロッパの鉄道予約専門サイト『Omio』で70ユーロ程、1等車と2等車があり、違いはほぼ席の広さだけらしい。私たちは当然2等車だ。1等車だとゆったり座れて、しかも落ち着いた雰囲気らしいが、1時間半ほどの移動だし、それほど変わんないはず…と私は判断したのだった。
「どこなの、いったい、どこから乗ればいいの?」
妻が不安げにつぶやく。二人でウロウロと歩き回るがTGVの乗り場が見つからないのだ。ふと見ると東洋人の女性三人組が同じように近辺をさまよっているのに気がついた。とある事前情報で朝早くからモンサンミシェルを目指すのは日本人が多い、とあったような気がする。
私は思いきって声をかけた。
「あの、日本の方ですか?」
三人組がビクリと体を固まらせ、それからこちらを向いた。
「あらあら、そちらも?」
良かった、いい人達そうである。この旅に出てから私の人間の分類は3種類「いい人」「他人」「犯罪者」だ。
私たちはあっちから来て探してて、僕たちはこっちに行って…などと情報交換をし、ようやくその入口に移動することが出来た。一安心だ。
一安心はしたが今度はプラットフォームを探すのにまたウロウロ。ようやくこの列車らしいと思って乗ってみれば、周囲はなぜか地元の小学生1クラス分(推定)が我々の席の周りを取り囲んだ。何らかの社会見学活動だろうか。滅茶苦茶うるさい。何でこんな目に。
「安い席にするから…」妻が言っているが、予約するときは「最安の席をゲットするべし」と軍曹のような口調だったくせにな。(軍曹から何か言われたことはないけれど)
1時間半の間、周囲を「お菓子食べていい?」だの「おい、こっち来てトランプしようぜ!」だの「エマって可愛いな」「お前エマ派?俺ルイーズ派、オッパイでかいじゃん」だの「先生、おしっこ漏らしちゃった」だのの喧騒の中、ようやく列車が目的地レンヌに到着する。(*セリフはもちろんすべてフランス語で作者の予想である。きっと間違いない。フランス語まったくわからないけど、間違いない)
レンヌ駅でサンドイッチを購入してようやく朝の腹ごしらえを終え、さらに1時間ちょいほどバスに乗ってようやくモンサンミシェルビジターセンターに辿り着いた。長かった。
かなり寒いし、風もある。いつもこんな強風なのだろうか。シャトルバスが出ているけれど、私たちはあえて歩くことにした。歩いても20~30分ほどらしいし、やっぱりじょじょに近づき視界に入ってくるモンサンミシェルが見たい。風はあっても天気が良かったせいか、私たちの他にも結構徒歩で向かっている人がいた。
しばらくして小さく島の形が見えてきた。どんどん輪郭があの写真で見た形になってくる。それにしても周囲はホントに何もないのだ。広い広い湿原の真ん中に何か要塞のようなシルエットが浮かび上がってきた。私もさすがに興奮する。
「ついに…」
「そうね。ついに来たのね」
「ああ、これが昨夜僕の枕元にやってきた大天使ミカエルの」
「黙れ、ボケナス。感動が台無しになる前に」
そう、私たちはついに憧れのモンサンミシェルにやってきたのだ!よく頑張った!感動した!
そんな感動のモンサンミシェル、私たちは『グラン・リュ』といわれる石造りの参道を行ったり来たり、お茶をしばいたり、お土産屋さんでマグネットを買ったりした。さらにもう一度桟橋のたもとでしばし座って建物を眺め、最後にもう一枚写真を撮って帰り支度をしたのだった。超満喫だ。
そう、私たちはモンサンミシェルの中には入らなかった。中は修道院であるし、二人とも「パスでいいね」という意見だった。あれは外から見て価値があるものなのだ。(という暴言)
…というか、だんだん風も強く寒くなってきて早く帰りたくなってきた。
帰り道は寒いのでシャトルに乗り、再び路線バスでレンヌの街に戻る。なぜか朝出会ったおば様三人組に再会した。とはいえ、あのTGVで来ていると、このバスで帰ることになるのはだいたい同じスケジュールらしい。
「どうでした?」「風がクソ強くてね」「スフレオムレツ食べました?」「見掛け倒しで」「オホホホホ」などと見かけ上品なくせに、毒のある会話を楽しみつつレンヌの街へ帰還。
ホテルは「キリアド」という小さめでもお洒落なところを予約してある。外観も部屋も、そして受付のお姉さんも可愛かったのでこれまた当たりだ。ホテルに関しては今のところ外れを引いていない。
すでに午後の8時、「ガレットを食べるなら」とホテルが勧めてくれたレストランに向かった。
前述の通り、私はごく早朝からの移動と緊張、そして風の中ではしゃぎ過ぎた報いを受けてベロベロになってしまったのだった。元々お酒には弱いのだが、シードルでそこまで酔っぱらう人間もあまりいない。やはり疲れ切っていたのだろう。私は自分の分のガレットも半分妻に食べられ…食べていただき、レストランを後にした。
長い長い一日がようやく終わった。
<Tips14> 「鉄道旅」
さて鉄道旅です。今回の小旅行を含めて何度か鉄道で都市を移動するという冒険をしました。このモンサンミシェルへの旅はまだパリにアパルトマンの拠点をおいての割と身軽な移動ではありますが、この後イタリアではミラノからベネチアへ、それからスペインでバルセロナからマドリッド、さらには南米でのペルーレイルと難易度の上がる移動が控えています。
当初イタリアでの「ローマ→フィレンツェ→ミラノ→ベネチア」というほぼ北イタリア縦断の大移動も鉄道を考えていて、それはそれでワクワクしていたのですが断念しました。(第7話参照)
本文の通り南米以外では『Omio』という鉄道旅のアプリを使用しました。このアプリは出発と到着の駅が決まっていればそれを記入するだけで路線と時刻、料金が出てきて予約までそのまま進むことが出来ます。このヨーロッパでは重宝しました。
*バスや航空機などの予約にも使えるようです。
ヨーロッパの高速鉄道は基本的に航空会社のシステムによく似ています。そこに私たちは大いに戸惑ったのですが、まず第一に出発の日時で料金が違うことです。同じ日に同じ場所に行くのにも安い時間帯と高い時間帯が存在するのです。つまりピークには高く、ローシーズンといわれる閑散期の料金は安く設定されています。(あと乗り継ぎの回数や停車駅の数、つまり目的地までの時間なんかも需要の高さに応じて高値になるらしい。ということは一般の旅行者が一般的に欲するチケットは高額ということ)
ふたつめ、こっちの方が私たちにはどうにも理解できなかったのですが、出発するかなり直前(だいたい10分から20分前)まで列車が何番ホームから出るのか決まらないことです。電光掲示の案内板には30分前くらいから確認しようとする人だかりができます。理由を調べると『限られた線路の数を有効に臨機応変に使用するため』と出てきます。私は多分ですが、駅員が怠けているからじゃないかと思います。(きっと違います)
みっつめ、幸いにして私たちは直面しなかったのですが、フランスでもイタリアでも、そしてスペインでもちょくちょく鉄道はデモで運休になるということです。その情報は次の都市で次のフライトが待ち受けている私を震撼させました。その遅れで飛行機に乗り損ねれば完全に『自己都合』です。世界一周航空券は自分のミスでフライトに間に合わなかった場合、何とその飛行機だけでなく以降の旅程すべてが自動的にキャンセル扱いになる場合があります。(詳しいことはよく知らない。恐ろしすぎて調べなかった。絶対に乗り遅れないぞ!と決意するにとどめた)
さて最後に、そういった高速鉄道は私たちのような旅行者のために車両の数か所にスーツケースを置く専用のスペースがあります。ただし数は必ずしも充分とはいえず、私たちは何度か自分の席で狭い思いをしながら保管しました。また盗難も心配で防止用のチェーンなど対策も施しましたが、私たち以外でそんな仰々しいチェーンをつけている人を滅多に見かけませんでした。謎です。
いろいろと胃の痛い思いをする列車旅ですが、今振り返ると目的地以外の風景や現地の人々が見られる数少ない場所ではありました。テーブル席で対面に座ったオバちゃん(という状況は普通)とお菓子を交換したり、車窓からいきなり物凄く完成度の高い壁画(というか落書きともいう)を目撃したり、スペイン語以外はまったくわからない駅員から身振り手振りのみで車両や席を教えてもらったりと楽しい?思い出が一杯です。
読んでいただきありがとうございました。モンサンミシェルがメインのはずなのに、ただの酔っぱらいのダジャレおじさん編になってしまい、申し訳もございません。次回はパリに戻って今度こそ素敵なおしゃれ生活編が!などと…クスクス。よければお付き合いいただきたいと。




