第79話
「おばちゃん、コロッケひとつと、メンチカツお願い!」
小学生のように元気いっぱい注文する透也に、ちゃきちゃきと動いていた店主が手を止めにっこりと笑う。
「はぁい、揚げたてあげるからね、ちょっと待ってねえ」
「ありがとー」
「……手」
「ん?」
首を傾げる透也の手から、キョーコは左手を抜こうとする。
が、抜けない。
「はなして、お財布出すから」
「いいよぉ、こっちのポッケに入ってるから」
そう言って、透也は左手だけで器用にふたつ分のお代をトレイに出した。
「だって離したら、キョーコちゃん逃げちゃうじゃん」
「逃げないわよ、……もう」
「自覚はあるんだ」
「うう」
キョーコが右手で額をおさえる。
嘘嘘ごめんと、透也は笑う。
「いいよ、だっていま俺、超幸せだもん」
「お待たせー、はいちょうどね、ありがとー」
差し出された店主の手には、美味しそうな揚げたてのコロッケとメンチカツ。
「食べ辛いから」
今度こそ放してくれと身動ぎすると、透也がパッと手を開いた。
「それもそうか」
これからずっとこんなペースなのだろうか。
どうしようか。心臓が、もたないぞ。
キョーコが、なかばヤケ気味にかぶりついたメンチカツの衣はサクサクで、中からは、ほの甘いアツアツの肉汁と程よい塩味があふれてきた。
「……おいひい」
「コロッケも美味いよ。ほくほく」
「やっぱり揚げたてっていいわね」
「ね、来てよかったね」
「猫運?」
「猫運。────あっ、あっちも良さげ。食べたら行こうよ」
「そうね。でもまずは、こっちを味わってから」
こんなに美味しいもの、急いて食べては勿体ない。
しっかり味わわねば。
「ふっ。俺キョーコちゃんのそういうとこ好きよ」
「どういうとこよ」
「なっいしょー」
「もう」
「────喫茶店なんだ」
ベルのついた扉の窓から、ふたりで店内を覗き込んだ。
「いいよね、こういう昔ながらの憩いの場所、好きよ」
ゆっくりと扉をあけると、エプロンをつけた童顔の女性が元気よく迎えてくれた。
「いらっしゃいませ! 2名さまですか? せっかくのお祭りなので、こちらのお席にどうぞー!」
そう言われて通されたのは店内ではなく、テラス席の丸テーブルだった。
お水とメニューをサーブしながら、女性が目を細めてキョーコに話しかけてきた。
「お姉さん、素敵な浴衣ですね」
「ありがとうございます。────あっ、おすすめってありますか?」
「そうですね、今日はお祭りだから、軽くつまめるものが良いと思います。他の出店も美味しいものがたくさんありますからね。いろいろな味のひとくちフレンチトーストと、お飲み物はいかがですか?」
「いいね」
「それください。シェアします。飲み物は────。私は塩キャラメルラテ、アイスで」
「じゃ俺はね────。カフェモカのホットくださぁい」
◇
「お待たせしました! おひとりさまずつお分けしています」
黒いプレートに並ぶのは、サイコロ状にカットされたフレンチトースト。
雪に模した粉砂糖が、皿のふちを飾っている。
「手前から時計回りに、プレーン、抹茶、カラメル風味カスタードアイス乗せ、最後がクリームチーズと生ハムです」
「おお、美味しそう」
「ごゆっくりお楽しみください」
「いただきます」
「いただきまぁす」
いそいそと最初の一口を噛み締めた透也の表情が、とろけた。
「うんまぁ」
「こっちはカタラーナみたい。美味しい」
「俺、生ハム好きなんだー。ひとつしょっぱい系があるの良いよね」
「わかるわ」
キョーコは深く頷いた。
ひとくちサイズなのも相まって、永遠に食べられそうな気になってしまうのだから、困ったものだ。
うん、一人一皿でも良かったかもしれない。
「あっ、和もあるんだ」
メニューブックをめくっていたら、最後のほうにラミネートされた一枚のメニューが挟まれているのを見つけた。
「自家製鶏ハムを葛うちして、じゅんさいと合わせて冷や汁に……。え、美味しそう」
「葛うちって何?」
透也が首を傾げる。
「ああ、あまり馴染みがない人もいるよね。えっとね、下味をつけた具材に葛粉をまぶして茹でるのね。つるんとして美味しいよ」
などと偉そうに説明しているけれど、キョーコはいつも食べるの専門だった。
母親、そして祖母の味。
「懐かしいな」
「じゃ、それもいこうよ。あっ、ごぼうチップスも食べたい、俺。すみませーん」
「────はい、お伺いします」
「この冷や汁ふたつと、ごぼうチップスひとつ、梅ゼリーひとつ追加で。ゼリーのスプーンはふたつください」
「はぁい。ありがとうございます」
「珍しいですね、こういうお店でじゅんさいなんて」
キョーコの声かけに、女性がふわりと笑う。
「よく言われます」
ちら、と店内の方を見てから、彼女は説明してくれた。
「父がもともと和食の板前で。引退してからは時々、こっちのお店を手伝ってもらってるんです。父のいる時しかないメニューなので、お客さん、ラッキーですよっ」
「ね、気づいてる?」
笑い声が行き交う通りを眺めながら、透也がぽつりと言った。
「何に?」
「キョーコちゃんといるとね、俺最強にラッキーになれるんだよ」
またそんなクサいことを言う。
呆れて向き直った透也の目が思ったよりも真剣で、キョーコの口からツッコミが出てこない。
心の中にずっとうずくまっている小さな不安を、見抜かれたような気持ちになる。
「……たまたまでしょ」
「ほんとだよ」