第二十五話 漂流者たち(上)
(壱)
記憶───この忘却と想起のプログラム。
男は、ひたすらに自らの生涯を反芻する夢路をたどる旅人だった。だが、無意識の領分である夢もまた男と同じく正直ではない。その虚実混然たる真偽不詳の遍歴を肉体を持たぬ少年がひたすらに凝視する。少年もまた天性の嘘つき。
(弐)
異端者、革命児という称号は生ぬるかった。レィヴンは、いまや逆賊であり謀反人。けだし、この星に死をもたらす紛う方なき破壊者だった。
それでも───。
破戒無慙な魂の持ち主でありながらも、一方において彼はこの世の地獄を打ち破る救済者だった。来るべき終末からひとり逃げ出すことを潔しとはしなかった。彼には彼なりの信義があった。
(俺は間違ってはいない)
レィヴンは、確信の揺るぎなさを求めて目を閉じると、おのれの心情に問いかけた。いまや信ずるべきものは自らの力量以外なかった。
瞑目の先に横たわる底なしの闇にちらちらと翻るのは、あれは熾天使の翼だろうか。
より高次に抽象化されたそれは、人間じみた形態からかけ離れた事象として実在った。夜の帳のごとく世界を押し包む六翼の羽には、千の眼が埋め込まれ、肉体は光輝を放つ巨大な光球と化していた。そして、怪物はお決まりの三聖唱を喚き散らした。
(聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、全能者にして主なる神。昔いまし、今いまし、やがてきたるべき者)
レィヴンはその翼有る眼を、普く見るもの(オールシーイング)を恐れた。畏るべき聖霊は無意識の遙か彼方に存在する神的世界と卑近なる現実を生きる自己との仲介者であり、彼自身でもあり、彼の生涯の敵でもあった。常に彼を脅かし、決意を鈍らせ、打ち砕こうとする良心そのものとも言えた。
別れ際、愛する女は地球より伝わる一篇の詩を朗じた。かつて、少年時代にともに過ごした日々のように、天上の調べにも似た柔らかな声で。(それは長い長い警句であり、冷ややかな洞察力に満ちた予言だった)
山陰に、カインはいねず、夢おぼろ、
烏羽玉の暗夜の空を仰ぎみれば、
宏大の天眼くわつとかしこくも、
物陰の奧よりひしとみいりたるに、
わなゝきて「未だ近し」と叫びつゝ、
倦みし妻、眠れる兒等をうながして、
もくねんと、ゆくゑも知らに逃れゆく。
(聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、全能者にして主なる神。昔いまし、今いまし、やがてきたるべき者)
心のうちに潜む天眼に脅かされながらも、レィヴンは宮中のうちのもうひとりの重要人物と会うことにした。
彼と行動をともにするものたちは宇宙港の全員と地上の千人。民衆を扇動し、反乱軍の指揮を執る自らの力量に不足を感じることはなかったが、問題はその後である。亜光速船であろうとも、逃亡期間は気が遠くなるほど長く荒んだ道行きだろうと想像できた。連中には拠り所が、痛みを鈍らせる麻薬が、すなわち某かの信仰が必要だった。そして、彼は神の言葉なぞ語ることはまっぴらだった。
すぐに、最適な人物が思い浮かんだ。彼と同じくらい狡猾なうえに、言葉巧みに弁を操る天性の嘘つき。その目の辺りに浮かぶ抜け目なさから、有利な条件を提示すれば容易にこちら側になびくと思われた。
さらに言えば、レィヴンはまた無意識のうちに庇護者を求めていた。いまや片腕となった傭兵ピノに求めるものとはまた違った意味で。
ジョーアン・バウティスタ司教。浅黒い肌の異星人。メシアの先駆者である洗礼者ヨハネの名をもつ宮廷司祭。
司教は宮廷礼拝堂の会衆席にひっそりと座っていた。薔薇窓は、老いたソルの衰微のひかりを七色に染めあげていた。
レィヴンは司教を自分と同種の人間、すなわち信心など持たない輩と見なしていたが、どうやらそれは見当違いで、どっしりとした巨躯を粗末な堅い椅子に埋めて、ひとり慎ましやかに祈りを捧げている様子だった。
やがて、司教が伏せられていた目をあげた。その瞳に慈悲の色は見いだせなかったが、どこか冷笑的で明晰な知性がうかがわれた。
「やはり、来たね。レィヴン。わたしは間違っていた。君に期待しすぎたようだ」
ジョーアン司教は冷ややかだった。その冷たく醒めた黒い瞳で、レィヴンの目をまともに覗きこむことはなかった。
「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである」
司教は、山上の垂訓、その至福の第一端を思わせぶりに唱えた。滑らかな語り口だったが、何故かレィヴンの心をざわつかせる不快な響きが混じっていた。
「なるほど、然り。然り。然り。物質文明とは無縁の、無欲で慎ましやかなこの星はまさに至福千年に等しい。君には到底理解できないことだが」
「神の国などどこにも存在しないさ。あんただって承知のはずだ。一目見たときから、あんたが途方もない大嘘つきだということは解っていたぜ」
司教の浅黒い顔はより一層青黒く染まっていた。病魔に冒されているのだろうか。レィヴンには死に神の影すらみえた。
「普く見るもの(オールシーイング)よ。君には本来すべてを見通す力が備わっていた。だが、臆病者の君は未来を見る力を捨てたね。でなければ、このような愚かな企てなぞ思いつきもしなかろう」
図星だった。
昼半球の中心で巨大な竜巻に呑まれたあの日、レィヴンは(時の翁)とひとつの取引をした。それは、彼自身の予知力を切り捨てること。繰り返し悪夢を見せつけられるのはもう真っ平だった。彼の刹那的な人生に未来を見通す力など端から必要なかった。
「教えてやろう、レィヴン。真実は君のたわいのない嘘のひとつひとつを暴くが、君は知る必要がある。自分が何もので、何のために産み出されたのかを」
司教の声は歌うように澱みなかった。
「遙かな昔、クンルーンの文明がまだこの宇宙の一角を統治していた頃、かの帝国のメインフレームは、古来からの占い、占筮のプログラムによっていくつかの予言を吐き出した。幾億もの筮竹によって得られた乱数のカオスが人類の滅亡と新生の運命を高らかに歌い上げ、算木のアルゴリズムによって救済者が誕生する正確な時と場所が導かれた」
「それが、この星でありこの時代なのだ。爾来、この星の君主は救済者の誕生を密かに待ち続けた。そして、我が教団も監視をつづけた。打ち棄てておくほかはない不毛の星にわざわざ歴代の司教を送り込んで。この星、テオティワカンは地球の未来だ。滅びゆく地球の写し絵。白色矮星の絶望の陽射しは、おそらくは今この瞬間にも地上のすべてを焼き尽くしている太陽の最終的な姿だ。全くもって救済者が現れるにふさわしい」
「結論からいえば卜占は当たらなかった。わたしがこの星を訪れたときには、この衰微の星には変化の兆しすらなかった。だが、もうひとつの事実を明らかにすれば、予兆は別の星にあった。数光年しか離れていない我が母星に。半世紀前、人の心を読むことのできる幼な子はその薄気味悪さ故に生みの親に捨てられ劣悪なる環境の修道院へと預けられた。異能者である彼は孤独と憎悪をしたたかな野心に変えて、ひたすらに位階制の頂点を目指した」
「それが、わたし。すなわち、わたしこそが人類新生の徴なのだ。この能力は使い方次第だ。人の欲望を易々と読むことのできるわたしが教団のなかでのし上がることは容易だった。やがて、新しい人類の創生というこの宇宙の大いなる謎にたどり着いた。そして、自らこの星の監視役に志願した。先代の女王に取り入るのは赤子の手をひねるよりも簡単だったよ。造作もなく今は亡きクンルーンとテオティワカンの歴代の統治者との密約を知った。若い時分のわたしは君に似て偏屈だったが、一方でユーモアを解していてね。ちょっとした遊び心から、わたしはその予言を叶えてやることにした。また、人類の新生に対してある種の理想を抱いていたことも事実だ。かくして、我らが救済者は産み出された」
司教は、老いて病みつく以前の太陽そのもののような薔薇窓を、その花弁ひとつひとつに幾何学的な祈りが連なる奇しき薔薇の花を仰ぎ見た。
「天の女王よ喜ばれよ、アレルヤ」
司教が両腕を広げると、礼拝堂の陰りのここかしこに潜む聖人像がカタカタと揺れ、なかばがらくためいた聖物が空を飛び交った。
レィヴンは、しばらく唖然としていたが、やがてすべてを呑み込むとその暗い目に憎悪の火が灯された。
「続きは語らなくてもいいぜ、胸くそ悪い生臭坊主よ」
「だが、君にはわたしの心は読めなかろう。なに、それほど長い話ではない。わたしは、君をずっと見守ってきた。君の育ての父は毛色の違う君の出生を疑い、君を虐げるたびにあの酔いどれの神父の懺悔室を訪れ、悔い改めたのちに次なる罪を重ねた。そして、最後には君をあの好色家に売り払った」
レィヴンは反駁の声の代わりに、その能力を解放した。
聖餐台に供された白百合はみるみるうちに萎びていき、天使を象った燭台の炎がはげしく燃えて四方に飛び散ると、高層に掲げられた十字架が炎で煽られた。背障に描かれた聖家族は憎悪に顔をゆがめ、幼な子のイエスは泣き叫んだ。
薔薇窓は狂ったような目眩く光線を放ちながら渦巻きはじめ、礼拝堂は巨大な万華鏡と化した。
「そう、これは君が繰り返し心に描いていた物語とはあきらかに違う。君は期待の息子で、父親から愛されていたはずだからね。だが、君とて真実を知っていたはずだ。君が不義の子であることを。虚構にさらなる虚構を重ね、君は本当の父を夢想した。巷間伝わるような荷担ぎ人足などではない。おそらくは、異星からやって来た浅黒い肌のシャトル・パイロットだとね。君の誕生日が近くなると、君がいつもむごい折檻を逃れて身を隠す岩陰の隙間にちょっとした贈り物をみつけた。それは、多くはこの星ではみることのない色彩を連想させるもの。ちょっとした画材だったり、あざやかな彩色で描かれた絵物語だったりしたはずだ。それはすべてわたしからのささやかな贈り物だ」
とうとう、薔薇窓の彩色硝子が弾幕のように飛び散った。司教は軽く片手をあげて見えぬ傘でその硝子片の散弾を遮断したが、いまや、火の手はあちこちにあがり、火の粉と白煙が礼拝堂を呑みこむのも時間の問題だった。
「とまれ予言が当たらぬから、わたしは自ら救済者を作り出した。君の母の助けを借りてね。それが君だ。君は人類の革命だ。君はその与えられた力で世界を按手する癒やし手となるはずだった」
「だが君のなかに愛は育たなかった。憎しみとねじけた正義、それが君のすべてだ。そして、わたしも気がついた。この世界はもはやあらたな救済を望まぬと。主が山上の垂訓に説かれた至福八端はすでにこの地に存在する」
「ふざけるな。生殺しも同然の奴隷人生のどこに幸福があるというんだ」
「我々は、高度な文明を築きながら、心の平安を得ることはなかった。きわめて巧緻な機巧を造りあげることができても、戦乱や疫病、飢餓、環境汚染といった諸々の災いを完全に封じ込めることはできなかった。思いつく限りの享楽を感受しても精神の深奥を極めることはなかった。宇宙への航路を開拓するほどの知恵と富を持ちながら、人類はついに貧困を克服することはなかった。ルネサンスと大航海時代、すなわち人間性と地理上の発見は、世界にありとあらゆる変革をもたらしあらゆる方面で新時代を画した。科学革命、宗教革命、産業革命、市民革命、その総仕上げとして後近代の賢しらなナイフで神とおのれの良心を殺し、人間は千年余の暗黒時代を完全に脱したかに錯覚した。だが、あたらしい何かが産み出されるたびに、それはすさまじい破壊力で地球と人類を打ちのめし、世界は退歩していった。神の国はかなたに遠く、うちなる中世はひたすらに続いた。しかるに、この地には逃れようのない終末がある。滅び行く地球を捨てたことで一度は逃してしまった救済に最も近づいている」
「好色な破戒僧かとおもったら、たちの悪い狂信者でもあったとはな」
激しい怒りが彼の血脈を駆け巡り、流れる血潮を沸騰させようとしていた。いまや負のエネルギーは身体中に充ち満ちて、放出のはけ口を求めていた。
「何度繰り返しても同じだ。立ち止まるのだ、レィヴン。人類という種の寿命は尽きかけている。新しい血はもはや必要とされない。どうあがこうと、物質世界に生きるままでは安らぎは得られないのだ。すべてを終わらせて、より高次の世界に旅立つときが来たのだ」
「俺はあんたを買いかぶっていた。あんたのような狂信者を俺の計画に誘おうなんて一瞬たりとも思ったのが馬鹿だった。あんたのいう神の国は現実世界を反転した陰画であり、幻影に過ぎない。主客はまるで逆だ。この世界が消えれば、影もまたかき消えるのさ。現世の痛みがあればこそ、あちら側の世界はうつくしい。万が一、天国が実在するなら、その土台はこの世界の苦しみだ。それだけのことだ」
「見解の相違だな、レィヴン。では、最後にもうひとつの秘密を教えてやろう。我が血を引くものは君だけではない。能力は受け継がなかったがな」
レィヴンの青ざめた面に現れたのは、もはや怒りではなく恐怖だった。
「やめろ。それ以上言うな」
震える喉が絞り出した声は、絶叫に限りなく近かった。レィヴンは、ただひとつの愛が逃れがたい呪いと変じたことを悟った。同時にその呪いを生み出した当人に対する強い殺意が生まれた。
「何を恐れる。王配の身分は君を引き上げるための形だけの方便。そもそも、あれは君の好みにはあわんだろう」
そう言いながらも、司教はレィヴンの苦悩の在処を正確に読み取った。
「なるほど、そういう訳か。嘘から出た真。あれも愚かな恋をしたものだ」
言葉が終わらぬうちに、憎悪の暴発によって、司教の巨躯は宙高く吹き飛ばされた。そして、天井近くの十字架にあたかも受難像のごとく打ち据えられた。異能者として能力の差は歴然だった。そのまま、見えざる空気の圧力によって張りつけられた。平静を保とうとする男の目に敗北感と恐怖の感情を垣間見たことで、レィヴンはその残酷な復讐心のほんの一部を満足させた。
やがて、壁を這うように火炎が激しく立ち上った。
「貴様など、髪の毛一本余さずに、燃えちまえ」
まさに、呪殺。
炎がごうと勢いを増し、悲痛な断末魔の叫びが聖所に満ち満ちた。
それが自己撞着を抱えながらも潤色の膠で練り上げられた虚構の陰で、ひたすらに憧憬の対象であった不在なる父の最期だった。あるいは、これもまたひとつの物語、真実から逸脱した自己逃避、自己憐憫による空想の産物なのかもしれなかったが、今となっては知るすべもなかった。
見よ、主の目は主を恐れる者の上にあり、
そのいつくしみを望む者の上にある。
幼き日の安息日の教会、半ば朽ちた信者席に座る母の膝で耳にしたものだろうか。思わず心に浮かんだ言葉にしたがうかのように、レィヴンは、薔薇窓があった空隙を仰いだ。そこにもはや色はなく、永遠につづく白夜の淡い衰微の光がさやさやと零れていた。
やらはれの、伏眼の旅ははてもなし、
眠なく、いこひもえせで、はるゞと
後の世のアシュルの國、海のほとり
荒磯にこそはつきにけれ。「いざこゝに
とゞまらむ。この世のはてに今ぞ來し、
いざ」といへば、陰雲暗きめぢのあなた、
いつもゝ天眼ひしと睨みたり。
(聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、全能者にして主なる神。昔いまし、今いまし、やがてきたるべき者)
(参)
自らの領土に立ち戻ったレィヴンは、いまや愛の亡霊であり呪いでもある地上の女からふたつの餞別を受け取った。
それは、復元された翼あるハーレイと、そしてコンテナ一杯に詰められた王室の蔵書だった。(知ってのとおり、これはまた千年のちに別のロマンスを産み出すことになる)
生き残りの農奴たちを密かにシャトル便でテノティチトランの要塞に運び込むと、予定通り、地球への巡礼者たちが眠る亜光速船が宇宙港に停泊した。
平時にあっての非道行為としては宇宙史上その残虐さにおいて十指に数え上げられるが、この海賊行為について語るべきことはそれほど多くない。
オートパイロットで制御された巡礼船は、泊渠に格納されると同時に慣例通り自動防衛装置を解除した。正規の港湾警備兵に率いられた農奴と港湾人足からなる混成軍に囲まれると、雇われの武装船員たちはあっけなく帰順した。
ほぼ無血のうちに強奪された船からは、本来の乗客たちを納めた生命維持装置が宇宙空間に打ち棄てられた。
巡礼者たちは生きながら宇宙の闇へと葬られたのだ。反乱軍に加わったものの多くは、それを蝋人形のように生々しい屍を納めた精巧な棺として疑わなかった。
かくして、赤子の手をひねるように略奪と虐殺と反乱は遂行された。
やがて、虐殺の真実が寝返った乗員たちの重い口から漏れて、逃亡者全体の間にひそやかに流布されると、かつての善男善女らはその罪の重さと逆賊の運命と、あれほど身近だった救済がもはや約束されてはいないことを悟った。
救世主と聖家族を喪失した彼らには、目前の凍えた宇宙空間とやるせない終末観だけが残された。その喪失感こそが後のオメガ教の萌芽であった。不法者たちを乗せた船には、監獄船のごとき沈鬱な雰囲気が漂った。
それが、長きに渡る漂流の幕開けだった。
舫いを解かれた亜光速船は、ソーラーモジュールの帆を拡げて、冷えて凍えて拡散する時空、無窮にも似たエントロピーの海原を彷徨いはじめた。
さてこゝに坑を穿うがてば「よし」といひて、
たゞひとり闇穴道におりたちて、
物陰の座にうちかくる、ひたおもて、
地下の戸を、はたと閉づれば、こはいかに、
天眼なほも奥津城にカインを眺む。




