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紅芯久はどちらかというと得をするタイプの人間だ。
運動神経はそこそこ、勉強もちょっとの努力で上位に入る。
父、母、妹が1人ずつの4人家族で、芯久が2歳の時に妹の久乃 (ひさの)が生まれた。
生まれつき体が弱かった久乃は保育園へ行く事もままならず家で寝ている事が多かった。
遠足は1人だけバスで移動、運動会は見学というのが久乃のスタンスだった。
「久乃はいいな。バスで楽チンで」
遠足の日の夜、残ったお菓子を食べながら芯久が久乃に言った。
もう布団の中に入っていた久乃は寝返りをごろんとうって枕にあごをのせた。
「お兄ちゃんは歩くのきらい?」
「最初は楽しいけど、途中すっごい疲れる。しかも隣がハナちゃんだったんだ。翔君は大貴君とだったのに」
「ハナちゃん、イヤなの?」
「女の子と手つなぐの、なんかいや」
「どうして?」
「どうしてって・・・久乃も大きくなれば分かるよ」
大人ぶりたい可愛い幼心だ。
男と女の違いを意識する、最初の時期。
芯久5歳、久乃は3歳。
「バス涼しかったでしょ。いいなー」
「クーラーいっぱいでちょっと寒かった」
「本当?大丈夫?寒かったらちゃんと言わなきゃだめだよ。久乃は体が弱いんだから」
わかった?
芯久がそう言うと久乃はちょっと悲しそうに笑って「うん」と頷いた。
「よかったよかった」と芯久は真顔で頷くと話を再開させた。
「何の話してたっけ」
「バスの話。ハナちゃんとか翔君とか」
「ああそうだ。久乃はバスの中で何した?」
「んーしりとりとか。お兄ちゃんは?」
「僕もしりとり。でもハナちゃん下手くそだったからつまんなかった。ハナちゃん同じ言葉ばっか使うし答えるの遅いし」
久乃はぶちぶちと文句を言う芯久をまぶしそうに見つめた。
「でも、ひさは歩いたほうが楽しいと思うけどなぁ」
「なんで」
想像だにしなかった事を言われて芯久は度肝を抜かれた。
「バス、つまんないよ。すぐ向こうに着いちゃって、みんな来るの待ってる」
久乃はごろんと仰向けに寝転がる。
「景色もね、ビュンビュンってあっという間にかわっちゃうの。きれいだな、って思っても、覚える時間もないからすぐ忘れちゃう」
「いいじゃん別に。車は速いほうが楽しいよ。みんなを抜かして走るのが気持ちいいんじゃん」
「そうかな」
「そうだよ」
久乃はそれきり黙った。
時計を見ると10時をまわっていた。
眠ってしまったんだろうと思い、芯久は部屋の電気を消して歯を磨きに洗面台へ向かった。
久乃が小学校に上がる頃には久乃の体はだいぶよくなっていた。
懸念されていた入学式も杞憂のうちに無事終えた。
芯久はクラスでも人気者だった。
授業ではいつも手を挙げ、昼休みにはクラスの男子たちと一緒に校庭に出てサッカーをした。
芯久が小学4年生、久乃が小学2年生の時のことだ。
季節の変わり目の9月。久乃は案の定風邪を引いた。
ひきかえ芯久の元気さといったら折り紙つきで、このままいったら皆勤賞を狙える勢いだった。
久乃は本が好きだったので芯久は久乃が休むと代わりに本を借りに図書室に行く事がよくあった。
芯久の通う学校の図書室は1人3冊まで借りる事が出来、2冊を久乃のために1冊を自分用に借りる。
図書カードに名前を記入してからカウンターへ持っていくと係りの下級生の女の子が確認してくれた。
「返却は1週間後です」
いつもならそのまま教室に戻るところだがその日は何故か図書室にある別の本を読む気になった。
適当に面白そうな本を選んでとって入口に一番近い席に座る。
話を読む前に挿絵を見るのは読書を趣味としない子によく見られる傾向で芯久もそのうちの1人だった。パラパラと4つ目の絵を見ていたときの事である。
「え、じゃあ久乃ちゃんまた休みなの?」
妹の名前に思わず本をめくる手を止める。
久乃なんてよくある名前だが――――また休みなの?
それは、しょっちゅう休んでいる者に使われる副詞。
さっき芯久の借りた本を処理してくれた女の子がカウンター越しにいる別の女の子と話していた。
聞くつもりがなくても入ってくる嫌そうな声。
「何それ、じゃーグループ学習どうなるの。久乃ちゃんのところだけ全然進んでないんだけど」
「グループ学習の調べものは全クラス合同でするもんね。同じ班だったんだ。でもいいじゃん。そっちはグループ学習の時だけだけど同じクラスだともっと大変なんだから。掃除とか班活動とか」
「ああ、わかるー」
「席近くにならないように皆必死だよー」
その日一日をどうやってすごしたか分からない。
怒りや悔しさや悲しさよりも、何より芯久が感じたものは「恥」ずかしい。
恥ずかしかった。悪口を言われるような妹が。
人気者でクラスの中心で皆から好かれている芯久からは到底考えられない評価。
その日1日をどうやって過ごしたか覚えていない。けれど、
その日初めて久乃の部屋へ行かなかったことだけは覚えている。
芯久の過去になります




