第12話 新貨幣の発行と、新たな日常の始まり(後半)
新経済圏の発足に伴い、冒険者たちが周辺地域のパトロールや街道の警備を行うようになったことで、一つの大きな変化が訪れた。
かつて魔王アストラゼノスがアルザード城を囲むように展開していた、広大な『超巨大結界』が解かれたのだ。
結界が消えたことで、噂を聞きつけた王国側の旅人や商人たちが自由に行き来を始め、物資や情報の流通によってアルザード城および周辺の街はこれまでにない活気を見せ始めていた。
――そして、その往来する群衆に紛れるようにして、もう一つの影が動き出す。
「魔王領の不気味な動向」を探るべく派遣された、王国軍の密偵(偵察隊)たちであった。
「ヒッ……! ここが魔王軍の傘下に入ったというアルザード城か……」
「気をつけろ。街の住民は魔物に痛めつけられ、悲惨な奴隷生活を強制されているはずだ……!」
黒いフードを目深にかぶった二人の王国軍密偵は、刃に毒を塗ったナイフを忍ばせ、死を覚悟しながら城門をくぐる。
――しかし。
彼らの視界に飛び込んできたのは、凄惨な地獄絵図などとは程遠い、あまりにも平和な光景だった。
「いらっしゃい! 採れたての木の実と、保存肉の干し肉だよー!」
「おっ、いつも通り上等な肉だな。新しい魔王国の銀貨で払うぜ」
「毎度あり! ギルドの街との貿易のおかげで、仕入れも順調で助かるよ」
市場では、人間と魔物の行商人が並んで笑顔で商売をし、住民たちが新貨幣を手に楽しそうに買い物をしている。街道の隅では、巨大な魔獣が小さな人間の子供に頭を撫でられ、気持ちよさそうに目を細めていた。
「な……なん……だと……!?」
密偵の先輩は絶句し、顎が外れそうなほど口を開け放った。
「バカな……! なぜあの子供は魔物に食われない……!?」
「拷問も……恐怖政治の跡もない!? 住民たちが……自分の意志で笑っている……!?」
パニックに陥る先輩密偵の耳に、近くの屋台から住民たちの談笑が飛び込んでくる。
「ほんと、新しい流通が始まって助かったわよねぇ」
「ああ、これも全部、影で魔王様をお支えしている『軍師様』って方が道筋をつけてくださったおかげだってさ」
「あの御仁の経済政策には頭が下がるぜ……」
その言葉を聞いた瞬間、先輩密偵の背筋に氷を突き立てられたような戦慄が走った。
(((ま、まさか……アルザード城を瞬時に無血開城させ、人間どもを恐怖ではなく『圧倒的な幸福と経済』で完璧に精神支配したという、噂の裏の最凶軍師……!!)))
「ひ、ひぃぃぃっ……!! すべてはその軍師が描いた策略か……! 人間の民を豊かに見せかけることで、王国の求心力を奪う恐るべき洗脳魔法だ……!!」
頭を抱えて震える先輩の横で、もう一人の後輩密偵は、漂ってきた香ばしい干し肉の匂いをクンクンと嗅ぎながら、のんびりと辺りを見回していた。
「……なぁ、先輩」
「なんだ!? 気を引き締めろ、この街は魔王の洗脳にかかっているんだぞ!」
「いや……俺、この街なんか気に入ったかも……」
「おい! しっかりしろ! これは洗脳魔法だ!!」
「いやいや、先輩! 洗脳されてませんって! ほら、空気も美味しいし、衛兵のスケルトンも優しく道教えてくれましたよ?」
「正気かお前はァーーーっ!?」
王国の精鋭であるはずの偵察隊は、早くも魔王領の平和な空気に毒され始めていた。
自分の預かり知らぬところで、王国軍の末端まで狂わせる「最凶の悪魔」として勝手に神格型されているとは露知らず――。
当のロッシュは、今日も街道の工事現場で「よし、この段差も綺麗になったな!」とスコップを片手に汗を拭い、爽やかな笑顔を浮かべているのだった。




