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沈黙の推理者  作者: 最後に残った形
第9章

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第11章 第8話:第十一章の終焉と、最初の場所へ


あらすじ:篠崎誠一郎の言葉を集め終えた智也と美優が、篠崎への接触を実現させる。その対話は、これまでの旅の中で最も静かで、最も重い対話だった。篠崎は、自分の意図と結果の間にある深い溝を、初めて正面から見つめることになる。そして、田中陸斗の母親への、もう一つの約束が果たされる日が来る。第十一章は幕を閉じ、智也の旅は、また新たな季節へと向かっていく。


---


六月の後半。


雨が続いていた。


美優が、篠崎誠一郎の言葉を集めるのに、二週間かかった。


過去二十年分のインタビュー記事、講演の文字起こし、審議会の議事録、そして業界誌への寄稿。


それらを全て読んだ智也は、一つの確信を持った。


篠崎は、偽善者ではない。


彼の言葉には、一貫した誠実さがあった。


詰め込み型の教育への批判。


子供たちの創造的思考の育成への情熱。


日本の教育が国際的に遅れていることへの危機感。


それらは、三十年以上、ぶれることなく、同じ方向を向いていた。


「この人は、本当に教育を良くしたいと思っていた」


智也は、その確信を、美優に伝えた。


「だから、対話が難しい」


「そう。善意の人ほど、自分の方法の問題に気づきにくい。なぜなら、目的が正しいと信じているから、手段も正当化されてしまう」


「篠崎に会いに行く時、何を話すつもり?」


「彼の目的を否定しません。より良い教育を実現したいという願いは、正しい。ただし、その方法が、人の同意なく認知に介入することである時、その願いは実現できない、ということを伝えます」


「なぜ実現できないのか、という根拠は?」


「同意なき介入は、必ず、気づかれた瞬間に信頼を失います。そして、信頼のない教育は、教育ではなく、管理です。篠崎が本当に望んでいたのは、教育だったはずです。その教育と、彼が選んだ方法の間にある矛盾を、彼自身の言葉を使って、示します」


木村刑事との協議の末、篠崎への接触は、任意同行の前に、一度、対話の場を設けることになった。


ミライ・エデュケーション・グループの顧問弁護士を通じて、面会の申し入れが行われた。


篠崎は、弁護士に相談した後、面会に応じることを決めた。


場所は、篠崎が指定した、都内の静かな会議室だった。


六月の最後の週、雨の月曜日だった。


智也と木村刑事が、その会議室に入った。


篠崎は、既に着席していた。


六十代の、白髪の男性だった。


背筋が伸び、表情は穏やかだった。


写真で見た通りの人物だったが、実際に向かい合うと、その目の深さが、印象に残った。


長年、何かを考え続けてきた人間の目だった。


「千葉智也さんですね」


篠崎は、落ち着いた声で言った。


「はい」


「あなたのことは、以前から、知っていました」


「第一章の頃から、ですか」


篠崎は、少し驚いた様子を見せたが、すぐに頷いた。


「そうです。あなたが警察に協力していると、知りました。当時、私は、警察との連携プログラムで、定期的に警察署を訪れていた。ある時、廊下で、一人の高校生とすれ違いました」


「それが、私だったと」


「そうかもしれません。確信はありませんが、あなたの写真を後で見た時、記憶に引っかかるものがありました」


「その記憶は、私にもあります」


二人は、しばらく、その事実の重みの中にいた。


三年以上前の、廊下での一瞬のすれ違い。


それが今、この場で意味を持っていた。


「なぜ、今日、会うことを決めましたか」


智也は、本題に入った。


「あなたが、私に会いたがっていることを、弁護士から聞きました。そして、あなたがこれまでに行ってきた調査の内容も、把握しています。あなたが私に何を聞きたいかは、分かっています」


「では、最初に、一つだけ確認させてください」


「どうぞ」


「斎藤教師は、あなたのグループの元社員でした。彼が設計したゲームによって、田中陸斗が命を失いました。その事実を、あなたはどのように受け止めていますか」


篠崎は、その問いを受けて、静かに目を閉じた。


長い沈黙があった。


十秒。二十秒。三十秒。


やがて、篠崎は、目を開いた。


その目に、涙は見えなかった。


しかし、何か重いものが、宿っていた。


「斎藤が私のグループで働いていたことは、事実です。彼は、優秀な教育コンテンツの開発者でした。ただし、彼がその後、ああいった行動を取るとは、想像もしていませんでした」


「想像していなかった、というのは、指示を出していなかった、ということですか」


「直接的な指示は、出していません。ただし——」


篠崎は、そこで言葉を切った。


「ただし、何ですか」


「ただし、私が長年追い求めてきた考え方が、斎藤に影響を与えていた可能性は、否定できません。思考の型を作ることが教育の本質だという考え方を、私は公言してきました。斎藤は、その考え方を、私が想定していた以上の形で実践してしまったのかもしれません」


その言葉が、智也の推理の輪郭を、完成させた。


「つまり、あなたの教育哲学が、斎藤のゲームの設計思想の一部になっていた可能性がある、ということですか」


「そう考えることが、誠実な向き合い方だと、今は思っています」


「それを、認めることができますか」


篠崎は、静かに頷いた。


「認めます。田中陸斗さんが亡くなったことに、私は無関係ではない。直接的な原因ではないとしても、間接的に、その状況を生んだ土壌の一部を、私が作っていたかもしれない」


「その認識は、ヴィクトラムの研究への関与とも、繋がりますか」


「そうです。私は、より良い教育を実現したいという一心で、ヴィクトラムの研究に関心を持ちました。認知の設計が可能なら、それを教育に応用できると思った。しかし、その考え方が、根本的に誤っていた可能性があります」


「どのように誤っていたと思いますか」


篠崎は、しばらく考えてから答えた。


「教育とは、人が自分で考える力を育てることだと、私は信じてきた。しかし、認知を設計するということは、人が何を考えるかを、外部が決めることです。その二つは、矛盾しています。私は、その矛盾に、長い間、気づいていなかった」


「気づいていなかった理由は、何だと思いますか」


「目的が正しいと信じていたからです。より良い人材を育てることは正しい。だから、その目的を実現する方法も、正しいはずだと。しかし、その論理は、誰が『より良い』を決めるかという問いを、回避していた」


智也は、その言葉を聞いて、静かに言った。


「篠崎さん、一つだけ伝えさせてください」


「どうぞ」


「あなたが今日、この対話に応じてくれたことを、評価します。そして、あなたが今語った言葉は、教育の本質への、深い問い直しだと思います。その問い直しを、今後の教育への貢献として活かしていただければ、田中陸斗さんの死が、何かに繋がることになります」


「それは、過大な評価です」


「そうでしょうか。あなたは今日、三十年間信じてきた考え方の誤りを、認めました。それは、簡単なことではありません」


篠崎は、しばらく沈黙した。


「彼のお母さんに、謝罪をしたいと思っています。どのような形が適切か、弁護士と相談しながら、考えます」


「それが、できれば、一つの区切りになると思います」


対話が終わった後、木村刑事が事情聴取を行った。


篠崎は、弁護士の同席のもと、知っている全ての事実を話すことを、約束した。


会議室を出ると、雨が上がっていた。


空の一部が、明るくなっていた。


木村刑事が、智也に言った。


「今日の対話で、篠崎の心証が、大きく変わりました。この調査の中で、最も重要な接触の一つになるかもしれません」


「ありがとうございます」


「あなたは、どうして、こんなに長い時間をかけて、相手を理解しようとするのですか。さっさと証拠を揃えて、逮捕に向かう方が、効率的かもしれない」


智也は、少し考えてから答えた。


「証拠だけでは、問いが終わらないからです。なぜこのことが起きたのかを理解しなければ、また同じことが起きます。篠崎の善意が、なぜ誤った結果をもたらしたかを理解することが、次の田中陸斗を生まないために、必要なことです」


木村刑事は、静かに頷いた。


「進藤が、あなたのことを誇りに思っていると言っていました。私も、今日、その意味が分かりました」


「進藤さんは、お元気ですか」


「元気ですよ。大学の講義が、楽しくてたまらないと言っています」


それを聞いて、智也は、初めて微笑んだ。


その日の夕方、田中陸斗の母親に連絡した。


「篠崎誠一郎という人物が、息子さんの死に間接的に関与していた可能性が確認されました。彼は今日、その事実を認め、謝罪の意思を示しました」


電話の向こうで、しばらく沈黙があった。


「ありがとうございます」


小さな声だった。


「約束を、また果たしていただいて」


「まだ、完全には終わっていません。ただし、一つの区切りを迎えました」


「息子は、今、どこかで見ていますかね」


「どこかで、見ていると思います」


「そうですね。私も、そう思います」


電話を切った後、智也は、図書館の奥の席に座った。


雨上がりの夕空が、窓の外に広がっていた。


第一章の最初のページを、頭の中で開いた。


**「飛び降り事件。田中陸斗。なぜ、彼は死んだのか。」**


その問いから始まった旅が、今ここまで来た。


完全な答えは、まだ出ていない。


篠崎の全ての関与が明らかになるには、まだ時間がかかる。


第二世代のコンテンツへの対抗技術も、まだ完成していない。


ヴィクトラムの研究データの解析も、続いている。


しかし、一つ言えることがある。


田中陸斗の死の背景が、この旅を通じて、少しずつ、照らし出されてきた。


その照らし出しが、彼への最善の追悼になっていることを、智也は信じていた。


ノートに、智也は書いた。


**「第十一章を終えて。篠崎誠一郎と向き合った。彼の動機は善意だった。しかし、善意は、問い直しなしには、支配になる。その矛盾を、彼は今日、認めた。」**


**「田中陸斗のお母さんに、また一つ、伝えられた。完全ではないが、一つの区切りが来た。」**


**「この旅は、最初の場所から始まり、最初の場所に戻ってきた。円環の構造を持っていた。しかし、その円環は、閉じたループではない。螺旋だ。同じ場所に戻りながら、以前よりも深い場所に立っている。」**


**「第十二章は、どこかで、既に始まっているかもしれない。ヴィクトラムの研究データの解析。篠崎の刑事的な手続き。第二世代コンテンツへの対抗技術の完成。それらが、次の章を形作る。」**


**「しかし、今夜は、一つだけ確認して終わりにする。問い続けることをやめない人間が、複数いる限り、希望は続く。その言葉が、今夜も、本当だと思う。」**


窓の外の空が、夕焼けに染まり始めていた。


雨上がりの空は、いつもより鮮やかだった。


その色の中に、智也は、この旅の全てを見た気がした。


始まりと、中間と、今。


そして、まだ見えていない、続き。


推理者の旅は、終わらない。


それが、智也の確信だった。


そして、その確信が、次の一歩を踏み出す力になっていた。


---


**沈黙の推理者 第十一章、完。**


**第十二章へ続く——**


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