第11章 第6話:見えていなかった顔
あらすじ:帰国した智也は、ヴィクトラムが示した「日本の企業グループ」の特定を急ぐ。木村刑事とインターポールが資金フローを追跡する一方、智也は別の角度から推理を展開する。コグニティブ・ブリッジ・リサーチが必要としていたものと、それを提供できる日本の企業グループの条件を絞り込んでいくと、一つの業種が浮かびあがった。教育産業だ。そして美優の独自取材が、その業種の中の特定の企業に辿り着く。その企業の名前を聞いた時、智也は、この旅の最初の頃に一度だけすれ違った記憶が、静かに蘇るのを感じた。
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五月の下旬。
帰国して一週間が過ぎた。
クアラルンプールでの対話の余韻は、まだ智也の思考の中に残っていた。
ヴィクトラムは、マレーシア当局の事情聴取に応じた後、インターポールに身柄を移された。
彼の研究データの全面開示は、インターポールの法的な手続きと並行して進められることになった。
村上准教授が、そのデータの技術的な分析を担当することになった。
「膨大なデータです」
村上は、最初の確認の後、智也に言った。
「ヴィクトラムは、十年以上にわたって、認知操作の実験を続けていた。そのデータの規模と精密さは、これまで見てきたどのシステムとも異なります」
「その研究の全容が明らかになれば、認知操作への対抗手段も、より精密になりますか」
「そう期待しています。ただし、解析には時間がかかります。年単位で考える必要があるかもしれません」
「分かりました。引き続き、お願いします」
一方、木村刑事は、コグニティブ・ブリッジ・リサーチへの資金提供者の特定を、急いでいた。
「ヴィクトラムは、任意同行後の聴取で、資金提供者についての詳細な情報を提供することを、約束しています。ただし、彼自身の弁護士との協議に時間がかかっており、まだ正式な証言は出ていません」
「その証言を待たずに、別の角度から特定する方法はありますか」
「それを、今、検討しています。ただし、ヴィクトラムが言った『日本の企業グループ』という情報だけでは、まだ範囲が広すぎます」
智也は、電話を切った後、自分の推理を展開することにした。
ノートを開き、「コグニティブ・ブリッジ・リサーチが必要としていたもの」を書き出した。
第一に、資金。
第二に、コンテンツを配布するためのプラットフォーム。
第三に、ターゲットとなる知識層へのアクセス。
第四に、研究の「学術的な正当性」を担保するための、学術機関との関係。
これらを全て提供できる日本の企業グループの条件を考えると、一つの業種に絞られてくる。
教育産業だ。
特に、学術コンテンツの提供と、教育機関との関係の両方を持つ企業。
エデュポータルを運営するエデュテクノロジーは、その一つだった。
しかし、エデュテクノロジーはフューチャーマインド・ラボと繋がっており、それはヴィクトラムの証言とは別の系統だった。
「もう一つ、別の企業グループがある」
その日の夜、智也は美優に、自分の推理を話した。
「教育産業の中で、学術コンテンツの提供と教育機関との関係を持ち、かつコグニティブ・ブリッジ・リサーチの初期段階で資金を提供できた企業グループ。それを、取材で探せますか」
「やってみる。教育産業に詳しいジャーナリストを、何人か知っている。情報収集してみます」
「ありがとうございます。もう一つ、条件があります」
「何?」
「その企業グループは、表向きは教育への貢献を謳いながら、実際には、特定の認知パターンの形成に、商業的な利益を見出している可能性があります。つまり、教育が人を作るという考え方を、文字通り、商品として扱っている企業です」
「人を作る商品」
美優は、その言葉を繰り返した。
「その表現は、書籍に使えるかもしれない。書きながら、取材します」
三日後、美優から連絡が来た。
「候補が一つ、見つかりました。話せますか」
「今すぐ話せます」
「ミライ・エデュケーション・グループという、東京に本社を置く教育関連の企業グループです。学習塾のチェーン、教育コンテンツの出版、教育テクノロジーの開発、そして複数の大学との連携プログラムを運営しています」
「設立はいつですか」
「二十年以上前です。老舗の教育企業として知られています。ただし、三年前に、グループ全体の経営方針を大きく転換したという情報があります」
「転換の内容は、何ですか」
「従来の受験対策中心のビジネスから、認知能力の開発という新しいコンセプトへ。表向きは、AIを活用した個別最適化学習の推進です。ただし、私の取材先の一人が、その転換の背後に、外部からの強い影響があったと言っていました」
「外部の影響、ですか」
「その詳細は、まだ分かっていません。ただし、転換のタイミングが、コグニティブ・ブリッジ・リサーチの設立時期と、重なっています」
「ミライ・エデュケーション・グループ」
智也は、その名前を、ノートに書いた。
「代表者は、誰ですか」
「グループ全体の代表は、篠崎誠一郎という、六十代の男性です。業界の大物として知られていますが、メディアへの露出はほとんどない」
その名前を書いた瞬間、智也の記憶の中に、一つの場面が浮かんだ。
希薄な記憶だった。
しかし、確かに存在していた。
「美優さん、一つだけ確認させてください。篠崎誠一郎の写真はありますか」
「少し待って」
数分後、美優からメッセージが来た。
「古い写真なら、業界誌の記事にありました。送ります」
写真が届いた。
智也は、その写真を見た。
そして、記憶が、静かに蘇った。
第一章の頃の記憶だった。
まだ高校生だった智也が、警察署で進藤刑事と話した直後のことだった。
帰り際に、廊下で、一人の男とすれ違った。
その時は、何も考えなかった。
警察署に用があって来た、一般の人だと思っていた。
しかし、その男の顔が、今、画面の中の篠崎誠一郎の写真と、重なった。
完全な確信ではなかった。
三年以上前の、一瞬のすれ違いの記憶だった。
しかし、その印象の強さが、確かにあった。
あの時の男は、智也が進藤刑事と話している部屋の前を、通り過ぎた。
その一瞬の、視線の方向が、智也の記憶に残っていた。
廊下を歩きながら、その男は、智也がいる部屋を見ていた。
偶然の視線ではなく、目的のある視線だった。
「美優さん、篠崎誠一郎と警察との接点は、何かありますか」
「どういう意味?」
「彼が、警察署に出入りしていたことはありますか」
「調べてみます。何か根拠があるの?」
「根拠と言えるかどうか分かりません。ただ、記憶の中に、何かが引っかかっています」
「どんな記憶?」
「第一章の頃のことです。警察署で、一度、彼と似た人物とすれ違ったような気がして。記憶が薄いので、確証はありません」
「それは、重要かもしれない。詳しく調べます」
翌日、美優から連絡が来た。
「篠崎誠一郎は、第一章の頃、文部科学省の教育政策審議会のメンバーでした。その審議会が、当時、複数の警察関連の教育プログラムと連携していたという記録があります。警察との接点が、官庁を通じてあった可能性があります」
「つまり、公式な文脈で、警察署に出入りする理由があった、ということですか」
「そうです。ただし、なぜ彼が第一章の頃に警察署に来ていたのかは、まだ分かりません」
「木村刑事に確認してみます」
木村刑事への問い合わせは、その日の午後に行った。
「篠崎誠一郎という人物が、三年以上前に、警察署に来ていた記録はありますか」
木村刑事は、少し間を置いた後、答えた。
「確認します。ただし、なぜ今、その人物の名前が出てくるのですか」
「ヴィクトラムが言った、日本の企業グループの候補として浮かびました。そして、私の記憶の中に、その人物と思われる人物とすれ違った場面があります。第一章の頃の記憶です」
「その記憶の確度は?」
「高くはありません。ただし、確認する価値はあると思います」
「分かりました。調べてみます」
翌朝、木村刑事から連絡が来た。
その声のトーンが、普段とは少し異なっていた。
「確認が取れました」
「どのような確認ですか」
「篠崎誠一郎は、第一章の事件が起きた当時、警察庁の教育政策連携担当の顧問として、定期的に警察署に出入りしていました。当時の記録に、彼の来訪履歴があります」
「つまり、彼は、第一章の当時から、警察と関係があった」
「そうです。そして、もう一つ。篠崎が顧問として関わっていた案件の中に、学園内での非行抑制のための教育プログラムというものがあります。その案件の関連で、宮本隆司が通っていた高校の関係者と、接点があった記録があります」
智也は、その言葉を聞いて、思考が急速に動くのを感じた。
宮本隆司。
第一章で、田中陸斗に接触し、ゲームの罰を与えていた男だ。
意識不明の状態で発見され、その後長く回復しなかった。
「つまり、篠崎は、第一章の頃から、ゲームが行われていた学校周辺に、何らかの形で関与していた可能性がある」
「まだ推測の段階ですが、その可能性は、否定できません」
「篠崎が、ゲームの設計に関与していたということですか」
「それを示す証拠は、まだありません。ただし、ヴィクトラムの証言が出れば、より明確になると思います」
智也は、電話を切った後、長い沈黙の中に入った。
もし篠崎が、第一章のゲームと繋がっているとすれば、この旅は、最初の場所に戻ってくる。
田中陸斗の死が、単なる事件の始まりではなく、より大きな構造の末端で起きた出来事だったとすれば。
その構造の頂上に、篠崎誠一郎がいるとすれば。
「この旅は、第一章から、ずっと同じ場所を、より深く掘り下げてきたのかもしれない」
智也は、静かにそう思った。
その夜、美優に全てを話した。
美優は、黙って聞いていた。
全てを聞き終えた後、彼女は言った。
「それが本当なら、書籍は、今のままでは出せない」
「どういう意味ですか」
「田中陸斗の死が、第一章の始まりとして書いた。しかし、もし篠崎がゲームに関与していたなら、田中の死の背景は、私たちが書いたものよりも、ずっと大きかったことになる。それを書かずに出版することは、誠実ではない」
「刊行を遅らせますか」
「少し待つ。ヴィクトラムの証言が出てから、篠崎との関係が確認されてから。それから判断する」
「分かりました」
「智也」
美優が、名前を呼んだ。
「何ですか」
「あなたは、今、何を感じていますか」
智也は、正直に答えた。
「驚きよりも、繋がりへの、静かな感慨があります。第一章の廊下で、あの男と、一瞬すれ違った。あの時、何かを感じていたはずですが、高校生の私には、言語化できなかった。今なら、あの感覚を言葉にできる気がします」
「どんな言葉ですか」
「この人は、この場所にいるべきではないのに、いる、という感覚です」
「それが、推理者の直感だったのかもしれない」
「そうかもしれません。ただ、当時の私には、それを追う力がなかった。今は、ある」
「それが、三年以上の旅で得たものね」
「そうです」
二人は、しばらく沈黙した。
その沈黙の中に、この旅全体の重さが、静かに存在していた。
ノートに、智也は書いた。
**「篠崎誠一郎という名前が浮かんだ。第一章の廊下での記憶が、今ここで意味を持つ。あの時感じた違和感を、当時の私は言語化できなかった。しかし、その感覚は確かにあった。」**
**「もし篠崎が、第一章のゲームと繋がっているなら、この旅は最初の場所に戻ってくる。田中陸斗の死が、より大きな構造の末端だったとすれば。その構造を、最後まで追うことが、私の使命だ。」**
**「美優が書籍の刊行を待つことにした。それは、誠実な判断だ。完全な真実を書くために、もう少し時間がかかる。しかし、時間をかけることが、この書籍を本物にする。」**
**「次のステップ。ヴィクトラムの証言を待つ。篠崎とゲームの関係を、別の証拠から確認する。木村刑事と共に、第一章の頃の記録を、改めて精査する。」**
**「この旅は、第一章から始まり、第一章に戻ってくる。その円環の意味を、まだ完全には理解できていない。しかし、理解しようとすることをやめない。それが、推理者の在り方だ。」**
窓の外に、初夏の夜空が広がっていた。
星が、いくつか見えた。
その光が、遠い過去から届いているように、智也には感じられた。
第一章の廊下。
あの一瞬のすれ違い。
それが今、星の光のように、意味を持って届いてきていた。
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第11章 第6話「見えていなかった顔」完




