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沈黙の推理者  作者: 最後に残った形
第9章

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第9章 第8話:第九章の終焉と、冬の問い


あらすじ:デイビッド・チェンの証言により、グローバル・コグニティブ・ファンドの全容が解明され、EngageMax Analyticsの閉鎖が決定される。第九章の事件が、一つの区切りを迎える中、智也は、大学の後期試験を終え、初めての冬休みに入る。その冬休みの静けさの中で、智也は、この長い旅全体を振り返り、推理者として、そして人間として、深く変化してきた自分と向き合う。そして、その静けさの中に、また新たな問いの気配が、ひそかに芽生え始めていた。


---


十二月の後半。


東京は、本格的な冬に入っていた。


デイビッド・チェンの証言から、二週間が経過した。


その二週間で、複数の重要な動きが、急速に進展した。


まず、デイビッドの証言を基に、グローバル・コグニティブ・ファンドの実質的な運営メンバーが、複数の国で特定された。


インターポールと各国の法執行機関の連携により、その多くが、任意同行または逮捕の形で、身柄を確保された。


次に、EngageMax Analyticsのアプリ配信が、各プラットフォームから、強制的に削除された。


SDKを含む三百万のアプリへの対応は、より時間がかかる見込みだったが、主要なアプリストアは、問題のあるSDKを含むアプリの配信を一時停止する措置を取った。


そして、複数の国のデータ保護機関が、アダプティブフィード機能に関する緊急の調査を開始した。


「今回の事件の法的な決着は、長期化する見込みです」


木村刑事から、最終的な報告が届いた。


「EngageMax AnalyticsのSDKが組み込まれた全てのアプリへの対応は、技術的にも法的にも、数年単位での取り組みが必要になります。ただし、主要な組織の解体と、キーパーソンへの法的な措置は、着実に進んでいます。千葉さんの調査が、この事件の解決を、大きく前進させました」


「ありがとうございます。ただし、解決にはまだ時間がかかります。監視委員会として、引き続き、取り組みを続けます」


「その継続が、最も重要なことです。組織は解体できても、技術の問題は、制度として対応し続けなければならない。その長期的な取り組みを、あなたのような若い世代が担ってくれることを、頼りにしています」


電話を切った後、智也は、その言葉の重みを、静かに感じた。


長期的な取り組み。


それは、この旅が、一つの事件の解決で終わるものではなく、社会の継続的な課題への関与であることを、改めて示していた。


その翌日、大学の後期試験の最終日を迎えた。


情報倫理の試験。


法情報学の試験。


そして、社会認知の試験。


全て、自分自身の経験と深く結びついた内容だった。


試験を受けながら、智也は、この一学期間が、いかに密度の高いものだったかを、改めて実感した。


行動科学研究所の事件。


北条慎之介との対話。


スタンフォードへの渡航。


エドワード・クレインとの対話。


そして、EngageMax Analyticsとデイビッド・チェンの追跡。


大学の一学期間に、これほど多くのことが起きたことは、智也自身にとっても、驚くべきことだった。


全ての試験を終えた日の夕方、智也は、美優と、大学近くのカフェで会った。


「試験、どうだった?」


「おそらく、全て、問題ないと思います。今学期の授業内容が、ほぼ全て、実際の経験と重なっていたため、理解が深かった」


「それは、あなたの強みね。学びと実践が、常に、同じ方向を向いている」


「美優さんの三冊目の書籍は、進んでいますか」


「もうすぐ、第三部の草稿が完成します。年内には、全体の草稿を書き上げるつもり。来年の春には、出版できるかもしれない」


「タイトルは、変わりましたか」


「『見えない設計:デジタル時代の思考の自由と、認知的自律性の回復』に変えました。単に脅威を警告するだけでなく、回復の方法を提示することを、より明確にしたかった」


「その変化は、デイビッドとの対話が影響していますか」


美優は、少し考えた後、頷いた。


「そうかもしれない。彼の話を聞いてから、絶望への対抗手段を、より具体的に提示することが、書籍の使命だと感じるようになった。脅威を伝えるだけでは、人々を不安にさせるだけかもしれない。不安の先に、何ができるかを、示すことが重要よ」


「その変化は、書籍をより強いものにするはずです」


「そうだといいけど。あなたは、冬休みに、何をする予定?」


「初めて、特に何も予定していない冬休みです」


「それは、珍しいね」


「はい。委員会の活動は続けますが、新たな事件の調査は、今のところ、始まっていません。純粋に、休む時間が持てるかもしれない」


「それは、必要なことよ。ずっと走り続けてきたんだから」


「そう思います。ただし、休んでいると、何か気になることが出てきそうな予感も、しています」


美優は、笑った。


「あなたって、本当に変わらないね。休もうとしながら、既に次の問いを、心のどこかで探している」


「それが、私の在り方なので」


「まあ、それがあなたの強みでもあるから」


カフェを出た後、智也は、一人で、近くの公園を散歩した。


冬の夜の公園は、静かだった。


枯れた木々の枝が、街灯の光の中に、黒いシルエットを描いていた。


その静けさの中で、智也は、この長い旅全体を、ゆっくりと振り返った。


第一章の始まり。


高校の教室で、田中陸斗の転落死の話を耳にした、あの朝。


あの時の自分は、誰とも話せず、人間不信の状態にあった。


美優からの声かけに、なかなか返事ができなかった。


それが、今では、世界中の研究者や捜査機関と連携して、国際的な問題に取り組んでいる。


その変化の大きさを、改めて感じた。


だが、その変化の中で、変わらなかったものも、ある。


推理者としての本能。


真実を知りたいという欲求。


人間を理解したいという欲求。


それらは、第一章から今まで、一度も、薄れていない。


そして、もう一つ、変わらなかったものがある。


田中陸斗への思いだ。


第一章の始まりに、命を絶った一人の学生への思いが、今も、この旅を動かし続けている。


「陸斗さん、今、どこかで見ていますか」


智也は、冬の夜空に向かって、心の中で呟いた。


あなたの死から始まった旅が、これほど大きくなった。


あなたの死が、世界を変えることに、繋がりました。


それが、あなたへの最善の追悼になっているかどうか、私には分かりません。


でも、あなたのことを、忘れていません。


これからも、忘れません。


公園から帰る途中、スマートフォンが振動した。


サラからのメッセージだった。


「千葉さん、良いニュースがあります。マーカスが、新しい研究プロジェクトを立ち上げました。認知的自律性を守るためのオープンソースツールの開発です。複数の大学から、研究者が集まっています。デイビッドが若い頃に言っていた言葉、認知の多様性こそが人間の最大の強みという理念を、技術として実現しようとするプロジェクトです。あなたも、参加しませんか?」


その知らせが、智也の心に、温かい喜びをもたらした。


マーカスが、本来の研究に戻っている。


そして、その研究が、デイビッドの最初の理念を引き継ぐ形で、前進している。


この旅で出会った複数の人物が、それぞれの形で、前を向いている。


「参加します。来学期から、オンラインで貢献できることを、検討します」


返信を送った後、智也は、家路についた。


冬の空気が、頬に冷たかった。


その冷たさが、心地よかった。


自分がここにいることを、体で感じることができた。


家に帰り、推理ノートを開いた。


冬休みの最初のページに、以下を書いた。


**「第九章、終わった。デイビッドの証言により、グローバル・コグニティブ・ファンドの解体が始まった。EngageMax Analyticsの閉鎖が決定された。十五億人のユーザーへの影響については、長期的な取り組みが続く。完全な解決には、まだ時間がかかる。しかし、核心には、届いた。」**


**「この冬休みに、初めて、特に予定のない時間が生まれた。その静けさの中で、この旅全体を振り返ることができた。第一章から第九章まで。変わったこと。変わらなかったこと。両方が、今の自分を形成している。」**


**「田中陸斗のことを、今日も思い出した。彼への思いが、この旅を動かし続けている。それは、これからも変わらない。」**


**「マーカスの新しいプロジェクトへの参加が決まった。認知的自律性を守るためのオープンソースツールの開発。デイビッドの最初の理念が、技術として実現されようとしている。それが、この旅の一つの結実だと感じる。」**


ページを一枚めくった。


真っ白なページが、そこにあった。


まだ、何も書かれていない。


その白さが、次の問いへの、純粋な準備状態を示していた。


推理者の旅は、終わらない。


問いが続く限り、旅は続く。


そして、問いは、常に、続く。


なぜなら、世界は常に動いており、人間は常に、何かを求めており、その求めの中に、常に、解明されていない謎が、生まれ続けるからだ。


その真っ白なページを前に、智也は、ペンを置いた。


今夜は、書かない。


今夜は、ただ、この静けさの中に、いることにしよう。


次の問いは、明日以降に任せよう。


その選択も、また、成長の一つだった。


かつての自分は、問いを止めることができなかった。


だが、今は、問いを一時的に休めることができる。


休めることが、次の問いをより深くする、という確信があるからだ。


冬の夜は、静かだった。


推理ノートの白いページが、街灯の光の中に、微かに輝いていた。


その白さが、次の章への、静かな扉だった。


**沈黙の推理者、第九章、完。**


**第十章へ続く——**


---

第9章 第8話「第九章の終焉と、冬の問い」完


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