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沈黙の推理者  作者: 最後に残った形
第9章

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第9章 第4話:レナからの返答と新たな真実


あらすじ:コメントを送ってから数日が経ったある夜、レナ・ホールから返答が届く。その返答は、智也とサラが期待していた以上に、詳細で、誠実なものだった。レナは、自分が置かれている状況の全てを、既に把握していた。そして、脱出の方法を、ずっと探していた。彼女の証言は、グローバル・コグニティブ・ファンドとデイビッド・チェンの関係を、より明確に照らし出すと同時に、これまで見えていなかった、第九章の問いの真の核心を、智也に突きつけた。


---


コメントを送ってから、四日が経過した。


その間、智也は、通常の大学生活を送りながら、返答を静かに待っていた。


大学の授業。委員会の定例作業。美優との書籍の打ち合わせ。


それぞれが、日常の一部として、着実に続いていた。


返答が届いたのは、水曜日の深夜のことだった。


差出人のアドレスは、レナの大学時代のアドレスではなく、見知らぬプロバイダーの、匿名性の高いアドレスだった。


本文は、英語で書かれていた。


**「千葉智也さん、サラ・チェン博士へ。私は、レナ・ホールです。このアドレスから送信しているのは、通常のメールが監視されている可能性があるためです。あなた方のコメントを読みました。特に、現在のアダプティブフィード機能が、私の論文で警告したリスクを実現している可能性があるという指摘は、私にとって、非常に重要な意味を持ちます。なぜなら、私は、その可能性を、ずっと知っていたからです。知りながら、どうすることもできないでいました。私は、あなた方に、全てを話したいと思います。ただし、その前に、一つだけ確認させてください。デイビッド・チェンという名前を、ご存知ですか。」**


智也は、その文章を、三度読み返した。


「私は、その可能性を、ずっと知っていた。知りながら、どうすることもできないでいた」


その言葉が、智也の心に、重くのしかかった。


エドワードと同じだ。


長い間、矛盾を抱えながら、外からの助けを待っていた。


すぐに、サラに転送した。


「レナから、返答が来ました」


サラの反応は、数分後に届いた。


「読みました。彼女は、本物です。監視を恐れて、匿名アドレスから送ってきている。そして、デイビッドの名前を確認しようとしている。これは、私たちがどこまで知っているかを確認しながら、同時に、話す準備ができているというサインだと思います」


「同感です。デイビッドの名前は知っていると、返信します。そして、対話を求めます」


智也は、慎重に返信を書いた。


**「レナ・ホール博士へ。ご返信ありがとうございます。デイビッド・チェンの名前は、知っています。彼とグローバル・コグニティブ・ファンドの関係についても、ある程度、把握しています。あなたが話してくださる内容を、全て聞く準備があります。安全な形での対話を、ご提案いただけますか。千葉智也」**


返信は、翌朝に届いた。


**「対話に応じます。ただし、以下の条件をお願いします。第一に、私の安全の保証。第二に、EngageMax Analyticsの他の従業員への影響を、最小限にすること。私と同様に、知らずに関わってしまったエンジニアたちが、複数います。彼らを守ることが、私の最優先事項です。第三に、デイビッド・チェンについての情報は、私の証言を法的に保護した上で、使用すること。これらの条件を受け入れていただければ、全てを話します。」**


その条件を読んで、智也は、レナという人物の誠実さを、確信した。


自分自身の安全よりも、従業員たちの保護を、最優先事項として挙げている。


それは、自分の利益を最大化しようとする人間の言葉ではない。


「木村刑事に、この条件を伝えます。レナが求めている保護の体制を、整えていただけるかどうか、確認します」


木村刑事への連絡は、その日の昼に行った。


「レナ・ホールから、対話の申し出がありました。彼女の条件は、自身の安全の保証、従業員への影響の最小化、そして、証言の法的保護です」


「その条件は、対応可能です。EngageMax Analyticsの従業員については、既に、サイバー犯罪対策部門が、被害者と加害者の区別を、慎重に行う方針で、動いています。レナ自身の法的な保護についても、自発的な情報提供者として処理することが、可能です」


「わかりました。その旨を、レナに伝えます」


「一つだけ、確認があります。デイビッド・チェンについて、どこまで情報を把握していますか」


「グローバル・コグニティブ・ファンドの顧問であること、複数の研究者のリクルーターとしての役割を果たしていること、レナをEngageMax Analyticsの設立に導いた可能性があることです」


「それに加えて、以下の情報をお伝えします。デイビッド・チェンは、現在、国際的な指名手配の対象になっています。彼は、グローバル・コグニティブ・ファンドの資金洗浄に、直接関与していた疑いがあります。彼の逮捕は、この事件全体の解決における、最重要課題の一つです」


「デイビッドが逮捕されれば、グローバル・コグニティブ・ファンドの活動も、実質的に停止できるということですか」


「その可能性があります。彼は、ファンドの科学的な正当性を担保する役割を果たしていました。彼がいなければ、ファンドは、新たな研究者を取り込む能力を、大幅に失います」


その情報が、智也の推理を、大きく前進させた。


デイビッド・チェンを特定し、逮捕することが、第九章の最大の課題だった。


そして、レナの証言が、その鍵になる可能性がある。


木村刑事との会話を終えた後、智也は、レナへの返信を書いた。


**「レナ博士の条件を、全て受け入れます。自身の安全の保証、従業員への影響の最小化、証言の法的保護、全て対応可能です。対話の場所と時間を、ご指定ください。または、オンラインでの対話も、可能です。千葉智也」**


翌日の夜、レナから、返信が届いた。


**「オンラインでの対話を、希望します。来週の火曜日、日本時間の午後七時はいかがでしょうか。その時間に、私はサンフランシスコのオフィスを離れ、安全な場所から接続します。対話には、サラ・チェン博士にも、参加していただきたいと思います。」**


「来週の火曜日。了解しました」


その返信を送った後、智也は、美優に状況を報告した。


「レナとの対話が、来週の火曜日に実現します」


「本当に?それは、大きな前進ね」


「彼女は、従業員たちの保護を、最優先事項として求めました。その点に、彼女の誠実さを感じます」


「あなたと同じね。かつて、あなたも、美優を守るために、警察に行った。自分よりも、相手を守ることを、優先した」


その指摘が、智也の心に、静かに響いた。


確かに、第一章で警察署に向かった動機は、美優を守るためだった。


レナも、同じような動機から、動こうとしている。


「その共通点が、対話の基盤になるかもしれません」


「そうね。では、来週の火曜日の対話に向けて、準備を進めましょう。何を聞くべきか、考えておく必要があるわ」


「はい。サラ博士とも、事前に打ち合わせます」


その週末、智也とサラは、オンラインで対話の準備を行った。


確認すべき事項を、一つ一つ、丁寧に整理した。


グローバル・コグニティブ・ファンドとEngageMax Analyticsの具体的な関係。


デイビッド・チェンがレナに対して、どのようなアプローチをしたのか。


アダプティブフィード機能に組み込まれた、具体的な認知操作のメカニズム。


現在も稼働中のシステムの、実際の規模と影響範囲。


そして、レナが知っている、デイビッドの現在の所在地や、活動の詳細。


それらを、対話の中で、適切に引き出すための、順序と方法を、慎重に設計した。


火曜日の夜。


智也は、自室のパソコンの前に座った。


サラも、スタンフォードの研究室から、接続していた。


美優も、別のウィンドウで、監視役として参加していた。


定刻の午後七時に、画面の向こうに、レナ・ホールが現れた。


四十代と思われる女性。


短い茶色の髪。眼鏡をかけた、知的な目。


その目には、疲弊と、それでも消えない、研究者としての鋭さが、混在していた。


「千葉さん、サラ博士、はじめまして」


彼女の日本語は、流暢だった。


「日本語を話されるのですか」


「日本の大学で、二年間、共同研究をした経験があります。その時に、学びました」


「そうでしたか。では、日本語で進めましょう」


「お願いします」


レナは、深呼吸をした後、話し始めた。


「どこから話すべきか、整理してきました。最初から、全て話します」


「お願いします」


「デイビッドに出会ったのは、私が博士課程の学生だった頃です。彼は、私の指導教官の一人として、私の研究を深く理解し、強く支持してくれた。私が、認知的自律性の研究を、本当に社会に役立てたいと思っていることを、誰よりも理解してくれた、と感じていました」


「その後、彼は大学を去りましたね」


「はい。七年前のことです。彼は去る前に、私に、こう言いました。『学術の世界では、私たちの研究は、読まれるだけで、実装されない。産業界に入って、内側から変えていく方法を、選ぼうと思う。あなたも、一緒に来ないか』と」


「その提案を、すぐに受け入れたのですか」


「いいえ。二年間、考えました。そして、最終的に、決意しました。なぜなら、デイビッドの言葉が、正しいと感じたからです。私の研究は、論文として発表されても、実際の技術に反映されなければ、意味がない。そう思っていました」


「EngageMax Analyticsを設立したのは、その後ですか」


「そうです。デイビッドが、グローバル・コグニティブ・ファンドを紹介してくれました。初回の面談で、ファンドの担当者は、私の研究への深い理解を示し、その研究を社会に実装するための支援をしたいと、言ってくれました」


「その面談の時点で、ファンドの本当の目的を、知っていましたか」


「全く、知りませんでした。担当者の言葉は、非常に理念的で、教育的な内容でした。認知的自律性の保護が、現代社会にとっていかに重要かを、私自身が研究していた内容よりも、深く語ってくれた。それが、逆に、信頼感につながってしまいました」


「いつから、疑問を持ち始めましたか」


「設立から一年後です。ファンドの担当者から、アダプティブフィード機能の実装仕様を変更するよう、求められました。変更の内容は、ユーザーのエンゲージメント時間を、最大化する方向への調整でした」


「それは、あなたの研究が警告していたリスクを、意図的に引き起こす方向への変更ですね」


「その通りです。私は、その変更に、強く反対しました。しかし、担当者は、契約書の内容を提示して、変更への同意を迫りました。そして、デイビッドも、変更を受け入れるよう、私に説得しました」


「デイビッドは、その時、何と言いましたか」


レナは、その問いを聞いて、複雑な表情をした。


「彼は、こう言いました。『レナ、私たちは、まだ、内側から変える段階にある。今は、ファンドの要求に従うことで、信頼を積み上げる必要がある。信頼が積み上がれば、やがて、私たちが本当にやりたいことができるようになる』と」


「それは、まるで、理念を維持するための現実的な妥協、という論理ですね」


「そうです。その論理に、私は、半分、説得されてしまいました。しかし、その後も、変更の内容は、ますます、私の研究の理念から離れていった。そして、ある時点で、私は、理解しました。デイビッドの言葉は、嘘だった。彼は、最初から、ファンドの目的を知っていた。そして、私を取り込むために、私の信頼を利用した」


「その認識を得た時、どう感じましたか」


レナの目に、涙が浮かんだ。


「長年の友人に、裏切られた感覚でした。しかし、それ以上に、自分が怒りを感じたのは、私自身の研究が、最悪の形で使われてしまったという事実でした。認知的自律性を守るための研究が、その自律性を奪うための道具に変えられた。それが、最も耐えられないことでした」


「その後、どうしようとしましたか」


「抜け出す方法を、探し続けました。ただし、契約上の制約と、デイビッドを通じた監視が、常にありました。独断で行動すれば、従業員たちが、法的な問題に巻き込まれる可能性がありました。そして、デイビッドが何を持っているか、正確には分からなかった。だから、外からの、正当な形での支援を、待っていました」


その言葉が、エドワードの言葉と、完全に重なった。


「外からの支援を待っていた。その言葉は、私がこれまで出会った複数の人物から、聞いてきた言葉です」


「他にも、同じような状況の人がいたのですか」


「はい。シグマ・ファンデーション、行動科学研究所、AcademicMind。複数の組織の中で、同じように、内部から疑問を持ちながら、抜け出せないでいた人々に、出会ってきました」


「そのような人たちは、どうなりましたか」


「全員が、最終的に、真実を語ることを選びました」


レナは、その言葉を聞いて、静かに頷いた。


「デイビッドについて、知っていることを、全て話します。彼の現在の活動、グローバル・コグニティブ・ファンドとの関係、そして、彼が取り込んだ他の研究者たちについても」


「ありがとうございます。では、全て、聞かせてください」


その後の二時間、レナは、知っている全てのことを、詳細に語った。


デイビッドの現在の活動拠点。


グローバル・コグニティブ・ファンドの資金フローの詳細。


EngageMax Analytics以外にも、同様の形で取り込まれた、複数の研究者の名前。


そして、アダプティブフィード機能の認知操作の、具体的な仕組みと、その影響の規模。


その全てが、木村刑事とインターポールに共有された。


対話が終わった後、智也は、深く息を吐いた。


「レナ、勇気ある証言を、ありがとうございます」


「千葉さん、一つ聞いていいですか」


「何ですか」


「あなたは、なぜ、こんなに多くの事件を、解決し続けているのですか。これほど多くの危険を、冒して」


智也は、少し考えた後、答えた。


「第一章の始まりに、一人の学生が亡くなりました。その死が、全ての出発点でした。その死を、無駄にしたくないという気持ちが、今も、私を動かしています」


「その学生の名前は、何ですか」


「田中陸斗、といいます」


「彼のことを、今も覚えているのですね」


「ずっと、覚えています。そして、これからも、忘れません」


画面の向こうで、レナが、静かに頷いた。


「わかりました。私も、この証言が、誰かの役に立てることを、願っています」


対話が終わった後、智也は、ノートを開いた。


**「レナ・ホールとの対話が終わった。彼女は、全てを語ってくれた。デイビッド・チェンへの証言、EngageMax Analyticsの内部構造、グローバル・コグニティブ・ファンドの活動。これで、第九章の解決に向けた、最も重要な一歩が、踏み出された。」**


**「レナに田中陸斗の話をした。彼女は、静かに頷いた。第一章の始まりが、第九章の今も、私を動かしている。その連続性が、この旅の本質だ。一つの死から始まった問いが、世界を動かす力を持つ。その事実を、改めて、噛みしめた。」**


夜が深まっていた。


だが、智也の心は、明るかった。


第九章の核心に、ついに、辿り着いた。


---

第9章 第4話「レナからの返答と新たな真実」完


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