第6章 第8話:沈黙の推理者、再び歩く
あらすじ:大学入学の日。千葉智也は、新たな場所へと一歩を踏み出す。広いキャンパスの中で、彼は、かつての自分を思い出す。図書館の奥の席で、一人、静かに推理を続けていた少年。その少年が、今、ここに立っている。そして、新たな推理が、静かに始まろうとしていた。これは、第一章の物語の終わりであり、そして、次の章の始まりだ。
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四月の第二週、月曜日。
千葉智也は、大学のキャンパスに、初めて足を踏み入れた。
春の陽光が、キャンパス全体を、柔らかく照らしていた。
新入生たちが、複数のグループに分かれて、それぞれの場所へと向かっていた。
智也は、その流れの中に、一人、立っていた。
人の多さに、少し圧倒される感覚があった。
だが、それは、かつての恐怖とは、異なるものだった。
以前の恐怖は、人が怖かった。
今の戸惑いは、新しい場所への、自然な緊張だった。
その違いを、智也は、ちゃんと感じることができた。
「千葉君」
声がした。
振り返ると、同じ学部の入学者名簿で見た顔の、一人の女子学生が立っていた。
「私、中村彩香といいます。同じ法情報学部に入りました。よろしくお願いします」
「千葉智也です。よろしくお願いします」
その挨拶が、自然に口から出た。
以前の智也なら、声をかけられても、顔を背けていたかもしれない。
だが、今は、自然に、返事ができた。
「あの、千葉君って、あの千葉智也さんですか。書籍の」
「はい」
「読みました。すごいと思いました。同じ学部にいるなんて、信じられない」
「ただの学生です。これからは、一緒に学ぶ仲間として、よろしくお願いします」
その言葉は、智也の本音だった。
大学では、一人の学生として、普通に学びたい。
委員長でも、推理者でもなく、ただの学生として。
その希望が、自然に、言葉になっていた。
オリエンテーションが始まる前の時間、智也は、大学の図書館を、一人で探した。
キャンパスを歩き、案内板を確認しながら、図書館へとたどり着いた。
その図書館は、高校の図書館よりも、はるかに大きかった。
複数の階にわたる、広大なスペース。
複数の読書スペースと、複数の個室の研究室。
智也は、その図書館の中を、ゆっくりと歩いた。
そして、奥の方に、高い窓から光が差し込む、静かな読書スペースを、見つけた。
その席に、座った。
窓の外には、桜の木が見えた。
その光景が、高校の図書館の奥の席から見えた、校庭の木と、どこか重なった。
場所は変わった。
だが、ここが、自分の場所だと、智也は感じた。
「やっぱり、図書館が好きですね」
自分自身に、そう呟いた。
しばらく、その席に座って、窓の外を眺めた。
この四月から、智也の生活は、複数の変化を迎えた。
大学での授業。
委員会のガイドライン草案の作成。
美優との書籍の執筆。
そして、進藤刑事の退職記念の特別講義。
それらが、全て、並行して進んでいくことになる。
忙しい日々になるだろう。
だが、その忙しさは、かつての緊張に満ちた忙しさとは、全く異なっていた。
これは、自分が選んだ、自分の意思による、忙しさだ。
その違いが、智也には、はっきりと分かった。
午後のオリエンテーションが、終わった後、スマートフォンに、美優からのメッセージが届いた。
「初日、どうだった?」
「図書館を見つけました」
「さすが。最初に図書館を探すのね」
「落ち着く場所を、確認したかったので」
「まあ、あなたらしいね。で、新しい謎は、もう見つけた?」
その質問を読んで、智也は、少し笑った。
「まだです。ただし、一つ、気になることがあります」
「何?」
「大学の図書館で、一冊の本を見つけました。タイトルは、『デジタル感情操作の心理学』。著者は、見知らぬ研究者です。その本の内容が、私たちがデイリーモーメントの事件で明かしたことよりも、さらに進んだ内容を、論じています」
「それは、問題があるの?」
「問題があるかどうかは、まだ分かりません。ただし、その本が、誰かの研究の成果であることは、確かです。そして、その研究が、シャドウ・ネットワークの活動と関連しているかどうかを、確認する必要があると感じています」
「つまり、新しい謎が、もう始まっているということね」
「かもしれません」
美優からの返信は、少し間があってから、届いた。
「じゃあ、また、一緒に追いかけよう」
「はい。いつでも」
その会話が終わった後、智也は、図書館の席で、その本を手に取った。
「デジタル感情操作の心理学」
ページをめくりながら、智也の脳内で、推理が、静かに動き始めた。
データ収集の手法。
感情誘導のメカニズム。
そして、著者の研究の、出発点。
その出発点が、どこにあるのかを、智也は、推理し始めた。
著者の名前を検索すると、複数の大学で、研究活動を行っていることが分かった。
その大学の一つは、かつて、シャドウ・ネットワークの資金流入が確認された、複数の大学の中に、含まれていた。
それは、単なる偶然かもしれない。
だが、推理者の直感が、そうではないと、告げていた。
智也は、ノートを取り出した。
新しいページを開き、以下を書いた。
**「新たな謎:『デジタル感情操作の心理学』の著者、山本健司。彼の研究の出発点と、シャドウ・ネットワークとの関係。これは、第七章の始まりかもしれない。」**
その一行が、次の物語の、最初の一歩だった。
図書館の窓から、夕暮れの光が差し込んでいた。
智也は、その光の中で、推理ノートを握りしめた。
場所は、高校の図書館から、大学の図書館へと変わった。
隣には、美優がいないが、メッセージですぐに繋がれる。
進藤刑事は、退職するが、新たな形で協力してくれるだろう。
村上准教授も、新たな研究の中で、技術的な支援を続けてくれるだろう。
そして、田島由美も、数年後に、一緒に仕事をする仲間になるかもしれない。
一人ではない。
その確認が、智也に、前へ進む力を与えた。
推理者としての旅は、高校の図書館の奥の席から始まった。
そして、今、大学の図書館の席で、新たな旅が、始まろうとしている。
場所は変わった。
仲間は増えた。
推理の対象は、広がった。
だが、変わらないものが、一つある。
**真実を明かしたいという、この欲求だ。**
それが、千葉智也を、千葉智也たらしめるものだ。
夕暮れの図書館で、智也は、静かに、推理を続けていた。
かつては、沈黙の中で、一人で。
今は、信頼の中で、仲間と共に。
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**沈黙の推理者、第六章、完。**
**第七章へ続く——**
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第6章 第8話「沈黙の推理者、再び歩く」完
【著者:鮎川美優、協力:千葉智也】




