第十一話「うっかり」
翌週の月曜日の朝。
私は紺色のセーラー服を着て、学校近くの道を歩いていた。
髪は今日も赤いリボンでポニーテールに結っている。SAMAでの訓練がある日は、この髪型にすることに決めた。
朝の空気は爽やかで、道端の木々が風に揺れていた。
その時――。
タタタタッ。
後ろから小走りで近づいてくる足音が聞こえた。
誰だろう?
後ろに意識を向けながら、歩く速度を少し落とす。
「おはよう!」
明るい声。
振り返ると、ひなたが走ってきていた。
ショートカットの髪を揺らしながら、笑顔で手を振っている。紺色のセーラー服が、彼女によく似合っていた。リボンは少し緩めに結んでいて、それがひなたらしさを演出している。
「おはよう、ひなたちゃん」
私も笑顔で返した。
ひなたが隣に並んで、一緒に歩き始める。
「ねえ、美月」
ひなたが息を整えながら言った。
「その後、風魔法は発現できてる?」
その質問に、私は一瞬言葉に詰まった。
先週のSAMAでの訓練。
64パーセントの出力で風魔法を発現できた。
体が後方にスライドするほどの力。
でも――。
学校の魔法基礎実技の授業では、まだ掌にふわっと風が起きる程度しか見せていない。
正直に話すべきか。
それとも――。
逡巡していると――。
スッ。
私たちを追い越していく影があった。
猫背で、黒縁眼鏡をかけた男子生徒。
燈火くんだった。
「あっ、燈火くん、おはよう」
私は反射的に声をかけた。
燈火くんは立ち止まらず、ただ手を軽く上げただけで先に進んでいった。
「…………」
沈黙。
隣を見ると――。
ひなたが、目を見開いて固まっていた。
「ちょっと、美月!」
ひなたが私の腕を掴んだ。
「いつの間に黒沢くんを名前で呼ぶ仲になったの!?」
「え……?」
私はきょとんとした表情で、ひなたを見上げた。
何を言っているんだろう。
燈火くんを、名前で呼ぶのは――。
あ。
気づいた。
一気に、顔が熱くなった。
「あのっ、えっとっ……」
しどろもどろになる。
「ほら……先週、図書館で本を選んでもらった時に……その……」
言い訳が、うまく出てこない。
何て説明すればいいの?
SAMAでの訓練のこと?
魔獣と戦ったこと?
そんなこと、言えるわけない。
その時――。
「俺たち、図書委員だから」
前を歩いていたはずの燈火くんが、振り返って言った。
「それに同級生だし」
さも当然のように。
淡々とした口調で。
ひなたが少し戸惑ったような顔をした。
「う、うん……そうだよね……?」
いまいち納得できない表情で頷いている。
「ひなたも俺のこと燈火でいいから」
燈火くんはそう言い残して、また先に歩いていってしまった。
ひなたが首を傾げた。
「私も……友達認定されたのかも……?」
その様子を見ながら、私は別のことを考えていた。
私、いつの間に図書委員に決まったの?
でも――。
とりあえず、燈火くん呼びをごまかせた。
ホッと胸を撫で下ろす。
危なかった。
心臓が、まだドキドキしている。
教室に入り、自分の席に着く。
隣の席では、燈火くんが机に突っ伏していた。
寝ているように見える。
でも――。
眼が、薄く開かれている。
そして、私を見ている。
「美月、うかつすぎる」
小さな、でも辛らつな声。
ズキッ。
胸に刺さった。
「ごめん……」
私も机に突っ伏した。
顔を隠したかった。
恥ずかしくて、情けなくて。
「次から気をつけろ」
燈火くんの声が、少しだけ優しくなった気がした。
「……うん」
小さく返事をした。
机の冷たさが、頬に心地よかった。
午前中の授業が終わり、昼休みを挟んで――。
午後は魔法基礎実技の授業だった。
先週と同じ実技室に、クラス全員が集まる。
生徒たちの表情が、先週とは少し違っていた。
自信。
家で練習してきたのだろう。
それぞれの顔に、やる気が滲んでいた。
私は燈火くんの隣に立った。
彼は相変わらず猫背で、眼鏡の奥の目は半分閉じられている。
「出力は最小に絞れ」
燈火くんが、誰にも聞こえないような小さな声で耳打ちした。
私は前を見たまま、小さく頷いた。
分かってる。
学校では、本当の力を見せない。
それが、ルール。
出席番号順に、生徒たちが前に出ていく。
火属性の男子が、掌に炎を灯した。先週より明らかに安定している。
水属性の女子が、水流を出した。途切れることなく、滑らかに流れている。
土属性の男子が、地面を盛り上げた。先週より高く、しっかりと形を保っている。
みんな、上達していた。
そして――私の番が来た。
前に出る。
深呼吸。
両手を伸ばし、両掌を開く。
魔力を集中させる。
右掌に16パーセント。
左掌に16パーセント。
風をイメージする。
最小限の出力で。
制御して。
ふわり。
両掌から、風が吹き出した。
微かだけど、確かに。
そして、両方から。
「よし」
先生が嬉しそうに言った。
「両掌から出せるようになるとは、頑張ったな、白鳥」
周りの生徒たちが拍手してくれた。
パチパチパチ。
温かい拍手。
「すごいじゃん、美月!」
ひなたの声が聞こえた。
嬉しかった。
素直に、嬉しかった。
満面の笑顔になって、列に戻った。
次は、燈火くんの番。
彼はゆっくりと前に出た。
猫背で、弱々しそうな足取り。
両手を前に出す。
人差し指だけを立てて。
顔を顰めて、必死に集中しているように見える。
そして――。
ポタリ。
右手の人差し指から、糸のように細い水が流れ出た。
次に――。
ポタリ。
左手の人差し指からも、同じように細い水が。
二本の糸。
か細いけど、確かに流れている。
「黒沢、よくやった!」
先生が声をかけた。
「両手から出せるようになったんだな。努力したな」
周りの生徒たちも拍手した。
「黒沢くん、頑張ってたもんね」「すごい集中力だよね」「俺も見習おう」
称賛の声。
燈火くんは照れたように頭を掻きながら、列に戻ってきた。
そして――。
ひなたの番になった。
彼女は自信たっぷりに前に出て、両手を地面に向けた。
集中する表情。
そして――。
モコモコモコ。
地面が盛り上がった。
先週より大きく、しっかりと。
まるで小さな丘のように。
「ひなたちゃん、すごい!」
私は思わず感嘆の声を上げた。
周りの生徒たちも拍手して、温かい雰囲気に包まれた。
ひなたが嬉しそうに笑って、列に戻ってきた。
私はそっと燈火くんを見た。
彼は――口の端を上げて、微笑んでいた。
相変わらず猫背で、眼鏡をかけて、陰キャを演じている。
でも、その微笑みは本物だった。
クラスの成長を、心から喜んでいるような。
授業が終わり、放課後。
私は鞄を持って帰ろうとした。
「美月」
燈火くんの声。
振り返ると、彼が立っていた。
「図書委員の仕事がある」
「え……?」
私は驚いた。
「朝のアレ、ほんとだったんだ……」
燈火くんが肩をすくめた。
「嘘は言わない」
「でも、いつ決まったの?」
「今朝、柳瀬さんから連絡があった。学校側と調整済みだって」
なるほど。
SAMAの力は、こういうところにも及んでいるんだ。
私たちは並んで廊下を歩き、図書館へと向かった。
放課後の廊下は静かで、窓から差し込む夕日が床を照らしていた。
図書館の扉を開けると――。
静寂。
本の匂い。
そして、カウンターの奥に、一人の女性が立っていた。
三十代後半くらいだろうか。
眼鏡をかけて、髪を後ろで一つに束ねている。
落ち着いた雰囲気の、知的な女性。
「こんにちは」
私たちは揃って挨拶した。
女性が微笑んだ。
「いらっしゃい。待っていたわ」
「SAMAから話は聞いてるわ」
そう言って、彼女は司書室へと私たちを招き入れた。
司書室の中は、本で埋め尽くされていた。
壁一面の本棚。
机の上にも、本が積み重なっている。
「座って」
女性が椅子を勧めてくれた。
私たちは座り、女性と向き合った。
「改めて自己紹介するわ」
女性が言った。
「私は如月詩織。この学校の司書教諭よ」
如月先生――。
優しそうな、でもどこか神秘的な雰囲気を持つ人。
「そして」
如月先生が続けた。
「SAMA所属の魔法使いでもあるの」
やっぱり。
「私の属性は……《転写と完全記憶》」
その言葉に、私は息を呑んだ。
「そんな属性の魔法が……」
「ええ」
如月先生が頷いた。
「私は、一度見たものを完全に記憶できる。そして、それを別の媒体に転写できるの」
そう言って、彼女は一冊の本を手に取った。
ページをパラパラとめくり、すぐに閉じる。
そして――。
手を空中にかざした。
淡い光が溢れる。
その光が形を成し――。
そこに、本のページが浮かび上がった。
文字も、挿絵も、全て完璧に再現されている。
空中に投影された、本のページ。
「すごい……」
私は見入った。
「これが私の固有魔法《記憶投影》」
如月先生が説明した。
「見たものを記憶し、それを光として投影する。本だけじゃなく、風景や人の顔、あらゆるものを記録できるわ」
「それで……転写は?」
燈火くんが尋ねた。
如月先生が別の紙を取り出した。
白紙。
そこに手をかざすと――。
さっきの本のページが、紙の上に現れた。
文字も挿絵も、全て。
まるで印刷したかのように、完璧に。
「《記憶転写》。記憶したものを、物理的な媒体に転写する魔法よ」
如月先生が微笑んだ。
「特異属性と言われているけど……実用性は、あまり高くないの」
「そんなことないです」
私は言った。
「すごく便利じゃないですか。本をコピーできるし、記録も残せるし……」
「ありがとう」
如月先生が優しく笑った。
「でも、戦闘には向かないのよ。だから、私はこうして学校で司書をしながら、SAMAの記録係を務めているの」
「記録係……?」
「ええ。SAMAでの訓練や戦闘の様子を記憶して、記録として残す。後進の教育資料にするためにね」
なるほど。
だから、ここに配置されているんだ。
「美月さん、燈火くん」
如月先生が真剣な目で私たちを見た。
「これから、あなたたちは厳しい訓練を受けることになる。でも、困ったことがあったら、いつでも私に相談して」
「はい」
私たちは揃って頷いた。
「ここは、あなたたちの安全な場所よ。学校では、普通の高校生として過ごしてほしい」
如月先生の言葉が、胸に染みた。
「ありがとうございます」
私は深くお辞儀をした。
図書館を出て、燈火くんと並んで廊下を歩く。
「また、増えたね」
私が言った。
「何が?」
「秘密を知ってる人」
燈火くんが小さく笑った。
「そうだな。でも、悪いことじゃない」
「うん」
私も笑った。
「みんな、優しいから」
夕日が、廊下を赤く染めていた。
私の世界は、少しずつ広がっている。
SAMAでの訓練。
柳瀬さん、藤崎さん、そして如月先生。
そして、何より――。
隣を歩く、燈火くん。
これから、どんな未来が待っているのか。
分からないけど――。
きっと、大丈夫。
そう思えた。
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