第三十三話 一瞬の別れ
祭りが終われば後片付けが待っている。
夕飯を作りに歩は家の方へと戻り、店内には道人とたぬ子が残っていた。道人が洗った食器を、たぬ子が布巾で一皿ずつ丁寧に拭いていく。
あの後、岩次郎たちはうどんを食べ終えると、おはぎを茶菓子にご近所でもある常連客たちと世間話をしながら長々と居座った後、おやつなのか夕食なのか、夕方近くに再びうどんを注文をしてきたのだ。そんな事は十分に想定内の道人だったが、思った以上に玉切れするのは早かった。
「西さん、五玉か……」
『丸丸うどん』で一玉食べていた事を計算すると六玉である。胃袋の中では岩次郎の五玉を超えた。
「白川さんは新メニューの鶏の天ぷらをずっと食べていましたね。ご高齢でも歯が丈夫なのはうらやましい限りですね」
舌の中でずっと転がしていたとも言える。
「お年寄りでも噛める柔らかいササミにしてたからな。値段は上がるけど、そんなに気に入ったならまた食べてくれるし原価は取れるな、よしよし」
「一度、味をしめると止めれませんからね、しめしめですね。さすがは店主さん、戦略家ですね!」
「いや、これは歩の提案だから。俺はうどん打つ能しかないからな。って、今さりげなく親父ギャグ入れた?」
「はい?」
いつもよりも二人は会話を多く交わしていた。祭りのテンションもそのままに、ずっと喋り続けた。
「歩さんの提案した、きな粉とあんこのおはぎに、青のりも加えた三色おはぎも好評で皆さん、お持ち帰りしてましたねっ。彩の良さに特に女性客に受けていたように思います。歩さん、企画家ですね!」
「いや、ただの主婦の知恵みたいなもんだろ。それくらいは役立ててもらわなきゃな。なんせ俺に啖呵切ってまで店に立つったんだからな、使えねぇんだったら出てってもらう」
だが、文句を言っている道人も本当は家族で店を営む事に喜びを感じているのが側から見て窺えた。
(わたくしも少しはお役に立てたでしょうか?)
(いいえ)
(これは全て店主さんが自らの力で築き上げたものです)
こうして新しい『道』が生まれていくのをたぬ子は誰よりも喜び嬉しんでいた。そして、それを見届けらている事にも。
(これでこのお店は安泰でしょう)
(何も心配はありません)
(これでわたくしも……)
最後の皿拭きに心を込めて綺麗に拭う。その姿に、道人は切り上げるように声をかけるタイミングを見計らっては失い時間は過ぎていく。
「……ホントに、辞めんの?」
ぽつり、と。
「え? えぇ、はい」
「歩が入るからとかって理由なら気にしなくていいから。他にアルバイト先は見つけてんの? 困ってんじゃないの? いや、別に無理に引き止めてるつもりじゃないけど。うち、安月収だしな、んな言えたもんじゃないよな」
まるで言い訳するような言葉で、ごまかし笑いする道人に対し、たぬ子は落ち着き払った笑みで返す。
「詳しい事は諸事情により申し上げられませんとお伝えしました。なにせ、わたくしは『訳あり』ですから。忘れましたか? 店主さん?」
訳ありでも承知して雇ったのは道人の方だ。住所も電話番号も知らない。名前さえも本当かどうか確かめる術も何もない。
「……そうだった」
道人は首の後ろを掻きながら苦笑する、一体何を言おうとしているのかと、意味もなくカウンターの上にある狸の置物を手に取ると、その頭を撫でる。
そんな姿をたぬ子は耳と尻尾を下げて、沈痛に締めつけてくる胸をギュッと握る。
(名残りは置いていけません)
(わたくしは狸です)
(狸はお里へと帰ります)
(ちゃんと無事に……)
(大丈夫ですよ? 店主さん?)
たぬ子はエプロンの紐を後ろ手に解いて、勝手口の横にある棚の上へと畳んで静かに置くと、いつもとは違う玄関の方へと向いて足を進めた。そして、くるりと回ると姿勢を正して深くお辞儀をする。
「これまで大変お世話になりました。どうぞお元気でいらして下さい」
それは、一瞬の別れだった。
「たぬ子ちゃ……」
最後の言葉さえ交わす間もなく──風のようにふわりと玄関の外へと通り抜けたかと思えば、スゥと消えるように去っていった。
何だったのだろうか。
あの子は一体、誰だったのだろうか──まるで、狸に化かされていたみたいだ。
手の平にある狸の置物に視線を落として見つめたまま、しばらく道人は茫然と立ち尽くす。
──ドンッ
外の道路から何かが衝突した音と車の急ブレーキがかかる音が聞こえて、ハッと顔を上げる。店から少し離れた距離だった音に、道人は体に突き動かされるに外へと出た。
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