第三十二話 新しい道
周囲が一斉にざわめき立つ。
「なん……っ」西村はむせそうになり、めんつゆを口から飛ばす。岩次郎はわずかに驚きの顔を見せたものの、腰を据えて道人の言葉に耳を傾けた。
「今の『道』がここまでやって来れたのは、決して俺の力だけじゃない。先代が亡くなって『道』の味も失われて、それでも、俺のマズい味なんかを食べに通い続けてくれた皆さんのおかげです。俺一人じゃ、とてもじゃないけど無理だった。皆さんの後ろからの支えがあったからこそ、ここまでやって来れたんです。なーんも、分かってない俺に叱咤激励しつつ、一から色々教えてくれた岩さんたちを含めて、皆さんに感謝したい気持ちでいっぱいです。あと、忘れちゃいけない、ばぁちゃんと、毎日家の事を任せっぱなしの妹の歩。そして、うちの優秀なスタッフ……って、あれ?」
道人が後ろを振り向けば、たぬ子はカウンターの下に潜り込むようにしゃがんで隠れている。
「いいえ、とんでもありませんっ」とひそめた声で左右に首をブンブンと振る。その頭には、伏せられた耳が付いているた。すっかり見慣れたそれに、道人はフッと口元を緩めた後、話を仕切り直す。
「ホント、感謝してます。けど、ここから先は自分の足で歩んでいかなきゃって思ってます。必死に先代の店を守ろうとするばっかりに、自分にとっての『道』とは何かってのが見えなくなっていました。かといって、まだ先が見えたワケじゃない。でも、それでいいんだってことに気づきました。もちろん、先代の残した伝統の味は受け継ぐつもりです。けど、俺は俺のやり方で、自分を信じて──それが、これからの『道』です!」
目を瞑り黙って聞き入っていた岩次郎は、道人の決意を聞き入れ受け止める。そして、大きく上下に頷いた。
静まっていた店内からは、パラパラと手を叩く音が上がる。
「みなさん、この店、『道』を、今後ともどうぞよろしくお願いします!」
最後に一礼してビシッと決めた道人。店内には再び大きな拍手が広がり明るい祝福ムードに包まれていく。そのタイミングの最中──、
「でっきたぁー!」
厨房の奥から、空気をも撃ち抜く鉄砲玉のような元気の良い声が飛んで来る。
「ギリセーフ! お兄ちゃーん、できたよー! ねぇー?」
「……歩、聞こえてるから」
ここ一番の大事な挨拶を台無しにされた気分で、道人は額に手をやる。
「歩ちゃん? 厨房でなんしょんや?」
「なんな、なんな、オッチャン、うどん食いながら展開についてけんで」
「歩ちゃんが、おる……」
普段、店の厨房には立つことのない歩の姿に、岩次郎たち何事かと頭にはてなを浮かべる。
呼ばれて飛び出た歩は、
「改めまして、妹の歩ですっ! 春から兄と一緒に厨房に立つことになりました! これから新しく生まれ変わったつもりで、今後よりいっそう邁進していく『道』と一緒に、どうぞよろしくお願いします!」
元気はつらつに自己紹介をしてみせた。
おぉ! と、驚きと喜びの入り混じった感嘆の声が店内から上がる。道人が挨拶をした時よりもいっそうに大きく。
道人は咳払いを一つ、
「えー、てな事なんで、うちの妹共々、よろしくお願いします」
ハイテンションに高まっている歩の頭を下にペコリと一緒にお辞儀をさせる。
「え、でも歩ちゃん学校は? 今年、卒業やっけ?」
つい先日、学生服姿で通学する歩の姿を通勤時に車から見たはずの西村が、よその子の成長は早いなぁ。と、思う。
「高校は編入ー。あそこに座ってる先生んとこに。って、同じ校内にある通信なんだけどね」
座敷席にいつの間にやら座っていた、工藤を指差す。すると皆の視線が一斉に工藤に注がれる。工藤は「人に指を差すのはやめなさい」と、口を動かしジェスチャーをして歩を注意した。隣には、もちろん玲子がいて涼やかにうどんを堪能していた。道人が工藤に、マジ来たのかよ。という顔を向ける。
「それよりも! みなさん、茹でたての釜揚げうどんもぜひご賞味下さい! ほら、お兄ちゃん!」
「分かってるっ」
言われずともすでに道人は厨房へと入っている。兄を口うるさく急かすのは相変わらずだ。そんな光景がこれからは続くのだろうと、道人はうんざりする。
道人から受け取った熱々の釜揚げうどんをたぬ子と歩が客席へと次々に運んでいく。
「釜揚げかぁ、そういや今までなかったなぁ」
「道さんの時はしよったけどの。うまくタイミングが合わんと客は待たされるし、店は回転率が悪なる。何よりも釜揚げは腕が試されるきんの」
「この麺のエッジが重要なんやでな。ここにめんつゆが絡むきんな」
「道ちゃんは出汁はよう受け継いどったけど、麺はどちらかというと苦手やったようじゃの、代わりに冬場はしっぽくうどん出っしょったわ。道ちゃんも代を受け継いでから色々試行錯誤してやんじょったんや。道人と同じようなこと言よったわい。やっぱし、親子じゃのぅ」フンッと鼻で笑って岩次郎は昔を懐かしむ。
「マジ? なんだよ、知らねぇぞ、俺」
カウンターから道人が身を乗り出す。ことごとく今日は決まらない自分を悔しがる。
「どれ、おまえの味とやらを食うてみるかの。まぁ、マズても食わなここしか手打ちうどん屋ないきん辛抱せなのぅ」
「それを言うなっ」
いつもの皮肉のこもった嫌味を言いつつ、岩次郎は嬉しそうに楽しんでうどんを味わっていた。一方、
「センセー、きつねうどん」
工藤の元へと、二人分のきつねうどんを道人は運ぶ。
「……一人前でいい。分けて食うから」
ギブアップ気味に分けて食べると言った工藤を玲子が不服に睨む。そんな玲子は長く艶のある髪を一つにまとめ、ガッツリと食う気満々に気合を入れていた。
「彼女に負けてんじゃねーよ。食細いなぁ」
「フツーは一杯だろ。おまえ、いくらなんでもやり過ぎだ。けど、大学時代のうどん屋巡りで食った、このかけうどんの味、完全によみがえった。懐かしいな」
先輩に無理矢理、連れ回されたうどん屋巡りツアーで、最後に締めで食べたかけうどんだった。道人の担任にならなければ、そのままただの昔の思い出として記憶の淵へと自然に消えていったことだろう。
「センセー、歩のこと、よろしくお願いします」
「あぁ。結局、歩ちゃんが店に立つの許したんだな。おまえでも根気負けしたか?」
「それもあっけど。この店は両親が残してくれて、歩のものでもあるから。なんか、すっごい大事なこと忘れてた気がする。それに、長男が店を継ぐとか古いってやつだろ?」
「さすが鳴瀬くんは応用力を身に付けるのが早い。花丸満点だ」と、今日も道人の頭をガシガシと撫でる。道人は嫌がりながら、「ホント、頼んだぞっ」念に念を押す。
淡々ときつねうどんをすすっていた玲子が、厨房を見やって「あの子は?」と、とてもアバウトな質問だったが、道人は内容を聞かずともピンときたように「あぁ」と答える。
「実は、今日を切りに辞めるんだ。恥かしがって挨拶はなしになったけど、岩じぃたちは残念がるだろうなぁ」
店の奥で裏方作業に徹して、せっせと食器を洗っているたぬ子の姿を、どこか遠い目で道人はぼんやりと見つめる。
「名前は?」
「へ? ……たぬ子ちゃん」
不意に尋ねられて、一瞬止まってしまう。何でもない質問に、何か引っ掛かるものを感じたのを確かめようとする間もなく、
「お兄ちゃーん、注文入ったよー! 早くぅー!」
歩に急かし呼ばれて、厨房へと戻る。
店内はそこかしこで客たちが楽しそうに賑う笑い声で満ち溢れていた。
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