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玉璽と掃除刑

最下層から中層まで、登りで二時間ほど。


その間、フラチーが黙ることは一秒たりともなかった。


「この精霊灯は第四期の量産型ですわね。紋様の彫りが浅い。先生方の中期の仕事は少し雑なのです」


「ケントシー、足音が雑。荷物を運ぶ者がそんな歩き方では品がありませんわ」


「あら、この壁面の渦紋は見事。第三期の工匠の署名入りですわ。ほら、ここ」


見える。紋様の隅に、こびとの手形みたいな丸い刻印がある。七千年前の誰かがここに手を押しつけた。それは確かに見事だったが、今の俺にはもっと差し迫った問題がある。


バックパックの中で、ごとん、と玉璽が揺れた。


「なあ」


フラチーの講義を遮った。


「こんな高そうなもの俺に預けて大丈夫か? 落としたらどうなる?」


フラチーが足を止める。金色の瞳が上を向いた。真剣に考えている。考えているということは、まだ答えが決まっていないということだ。それ自体がかなり怖い。


「打ち首でしょうか」


「いやいやいや」


「打ち首は重すぎますか? わたくしの国では軽い方なのですけれど」


「重い軽いの話してない。予備とか替えとかないのかって聞いてる」


フラチーが顎に指を当てた。また考えている。


「無印の民からの反発があるようですので、大目に見ましょう。打ち首は取りやめです」


「ありがとうございます」


「代わりに、このダンジョンを掃除してもらうことにしましょうか」


「ダンジョン掃除の刑なんてどこの州でも聞いたことないよ」


「あなたの国に刑罰がないのなら、新設するだけのことですわ」


「新設しないで」


フラチーは聞いていなかった。すでに歩き出している。その背中は完全に「決定済み」の空気を纏っていて、俺の意見が反映される余地はどこにもなかった。


ダンジョン掃除刑。即興で制定。帝国の立法って、こんなに軽いのか。


---


中層に着いた。


通路の奥から、重い足音。紫の光が揺れている。紫印の番獣。大型。


剣は握れないが、ポーターとして数多くの戦闘を間近で見てきた。走る、滑り込む、体のどこかに玉璽を押しつける。金印を仮押しすれば、フラチーの勅令が通る。


もう何度もやった。身体が最適ルートを覚えはじめている。


角だらけの獣の額に、玉璽を──押しつけた。


金色の光が灯った。


フラチーの勅令が通る直前。獣が首を振り、その角が玉璽にぶつかった。


手の中で、ぱきん、と音がした。


玉璽が縦に割れていた。石の角印に亀裂が走り、二つに砕けている。仮印を押す面が完全に潰れていた。もう使えない。


背後から、フラチーの声。


「あーあ」


どこか楽しげだった。


(今「あーあ」って言った? 楽しそうに?)


打ち首。掃除刑。その両方が頭を横切った。


「とりあえず床から磨いてもらいましょうか」


「……マジで言ってる?」


フラチーは微笑んでいた。帝国式の、有無を言わせない微笑み。


---


三千五百年層。


こびと族が中期に集めた品物が堆積する寺院区画。天井にはかつて精霊灯が並んでいた痕跡があるが、七千年分の埃に埋もれて光を失っている。


俺はバックパックから布を引き抜き、床を拭いていた。


ポーターの仕事には荷下ろし先の清掃も含まれる。届けた先が汚ければ荷物が傷む。だから掃除はプロの領域だ。膝をついて、端から端まで、一筆書きみたいに無駄なく拭いていく。


一時間で寺院の半区画を仕上げた。


柱の根元を拭いた時、布の下から金色の紋様が浮かび上がった。細い線が柱を這い上がり、壁面に分岐し、天井へ走る。寺院全体を覆う刻印回路だった。


拭く。拭く。壁が光る。柱が光る。天井が光る。三千五百年分の埃の下から、金色の回路が息を吹き返していく。


フラチーの目が変わった。


「……第三期の統合印。先生方の技術の最盛期ですわ」


声が小さくなっている。女王の声ではなかった。学者の声。王印をこびと族から学んだ生徒の声。


フラチーが光る壁面に手を触れた。指先が金色の線をなぞる。その顔は、帝国の女王というよりも、七千年前の教室に迷い込んだ子供に見えた。


「……綺麗」


小さな声。俺に聞かせるつもりはなかったのだろう。


聞こえた。ポーターの耳は荷物の異音を拾うように出来ている。


---


「では、行きましょうか」


「どこに」


「玉璽を取りに。最下層の保管室です」


「振り出しかよ!」


二時間かけて登った分を、また降りる。叫びは通路に虚しく響いた。


「けど、どうやって行くんだ。また二時間かけて降りるのか?」


「ちょうどいい穴が空いています」


さっき俺が落ちてきた崩落の亀裂。あの時は死ぬかと思った穴を「ちょうどいい」と言った。


フラチーが躊躇なく穴の縁に立つ。


「──風よ、わたくしを受け止めなさい」


金色の光がフラチーの足元から脈打ち、精霊の風がドレスの裾を膨らませた。ふわりと降りていく。優雅。完全に優雅。穴の闇の中に金色の光が遠ざかっていく。


俺はロープを柱に結んで降り始めた。壁面を蹴りながら、少しずつ。風の余波で身体が揺れる。手が滑る。堪える。最後の数メートルでロープの長さが足りなくなった。


落ちた。


「ぐえっ」


背中から地面に激突した。二度目。この穴で二度目。


フラチーが、見下ろしていた。


「不埒。もう少し優雅に降りられないのですか」


「……無理です」


地面にうつ伏せのまま答えた。


---


最下層。保管室。フラチーが眠っていた玉座の部屋の隣。


扉が開いた。


大量の玉璽が、ぐちゃあ、と積み上がっていた。


石製、金属製、木製。角印、丸印、楕円印。大小さまざま。どれにも金色の紋章が刻まれている。千を超えるかもしれない。


そしてそのすべてが、整理されていない。箱に入っていない。棚に並んでいない。ラベルもない。目録もない。床の上に、山のように、ただ積んである。


額に汗が浮かぶ。ポーターとして。荷物管理のプロとして。


(下手……! 片付けが……! 圧倒的に、下手……!)


こびと族の七千年分のコレクション。フラチーはこびと族を「先生」と呼ぶ。さすが先生と呼ぶだけある。変なところが似ている。


フラチーが玉璽の山に手を入れ、一つを選び取った。重さを確かめ、印面を回して確認し、満足げに頷く。


「では、行きましょう」


一個だけ。


「まってまってまって、おかしい」


「何がです?」


「なんで一個だけなんだよ。二個でも三個でも持っていけばいいじゃん」


「不埒。わたくしに玉璽を二個も持てと言うのですか?」


「俺が持つ! ポーターを何年やってると思ってんだ!」


バックパックを開いた。玉璽を詰め始める。一個、二個、三個。緩衝材代わりに布を挟み、重心が偏らないように左右対称に配置する。四個、五個、六個。プロの荷造り。背負い、出口に向かった。


一歩、踏み出した。


部屋の境界を越えた瞬間。


『シンニュウシャハッケン。ハイジョシマス』


金属質の声が壁から響いた。赤い光が点滅する。壁の隙間から小型の自動守護兵が飛び出してきた。金印の紋章が胸部に刻まれている。二体、三体、四体。両腕を掴まれた。両脚を掴まれた。床に押さえつけられた。


「なんなんだよこの部屋!」


フラチーが部屋の中から、涼しい顔で見下ろしていた。にやにやしている。


「一度に大量の玉璽を持ち運ぶことが許されるとでもお思いですか? これだから無印の民は」


知ってたんだろう。こうなることを知っていて、止めなかった。


「反省が足りないようですね。まずはその無礼な口を改めなさい」


一拍。


「わたくしのことは、女王陛下と呼ぶのです」


選択肢はゼロだった。金印の守護兵が四方から押さえつけている。フラチーの勅令だけがこいつらを止められる。


「女王陛下! はやくこいつらなんとかしろよ女王陛下!」


「よろしいでしょう」


「──解放しなさい」


金色の光が守護兵の胸部を走り、手が離れた。


フラチーが玉璽を一個だけ差し出した。一個だけ。


「さあ、上に参りましょう。ケントシー」


五個を部屋に戻し、一個だけを受け取った。黙って先頭に立つ。プロのポーターとして、荷物管理の完敗を噛みしめながら。


---


通路を歩いていた。


玉璽が一個、バックパックの中で揺れている。


このままでは詰む。玉璽を壊すたびに掃除刑。あの穴から飛び降りて最下層まで往復。一個しか持ち出せない。壊すのは時間の問題だ。石だぞ。戦闘で使えば割れる。


この女王は強い。勅令は絶対で、このダンジョンの半分は彼女の領土みたいなものだ。俺一人じゃ逃げられない。交渉もできない。


誰かと手を組まないと、このままダンジョン掃除刑が永遠に続く。


天井から、微かに埃が落ちた。


この階の近くに、誰かがいる。

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