第二十七話 王都案内②
ちゃんとご学友がいて安心しました。
コーディリアはそう言って笑った。
用事があるという二人と別れ、兄妹は二番街の往来の中にいた。
「でも、流石は兄さんです。帝国議員の嫡男様に、魔術師家系のお嬢様なんて」
「たまたまだよ。あるいはサイモンさんのおかげかな」
「そうでした。サイモン様もおられましたね」
本気とも冗談ともつかないことを言って、彼女はこちらを覗き込んでくる。その背景、本来であれば立ち並ぶ店棚などが映り込む空間には、買い求めたばかりの日よけ傘の裏地が広がっている。色は白。途端にノエルの意識はそちらに吸い込まれた。
「ねえコーディリア。やっぱり辻馬車を呼ぼうか」
「もう、またそういうことを言う」
不満そうに頬を膨らませて、彼女は傘の陰に顔を隠した。
「だって、歩き辛いでしょ」
店から店へ歩いて移動するには、彼女の恰好や足回りは少し堅苦しい。疲れるし擦れるし、場合によっては転んでしまうかもしれない。そうでなくても、元来身体の弱いコーディリアである。ノエルとしては心配で心配で仕方なかった。
彼女はちらと顔を出して、
「いいんです。おかげで兄さんに贈り物もしてもらえましたし」
「贈り物なんて」
確かに日よけ傘は、歩くならせめて肌が焼けないように、とノエルが贈ったものだった。けれど、その辺で適当に買った、造りだって値段相応の物品である。
「四年ぶりに兄さんが下さったんです。贈り物と言わずしてなんと言いましょう?」
遠回しに無沙汰をなじるコーディリア。その明るい声がふいに止まって、
「……すみません。調子に乗り過ぎました」
「あ、いや」
なんと言ったものか悩む。これがラッセルやサイモンであれば、自然と気の利いた台詞が突いて出るのだろうが、ノエルにはちと難しかった。贈り物一つ――連絡の一つすらしなかったことを謝るべきだろうか。だけど、それに何の意味がある?
「ねえ兄さん、」
ばつの悪い沈黙を破ったのはコーディリアだった。
「元気でやっていましたか?」
先ほどまでのはしゃぐようなトーンではなかった。他人が聞けば今更としか思えない質問に、ノエルはできる限り軽い調子を装って答えた。
「うん。病気もしなかったし。コーディリアは?」
「それなりに。もうほとんど病に伏せるようなことはなくなりました」
「そっか。それはよかった」
「本当に――兄さんと二人きりで太陽の下を歩けるなんて、まるで夢みたい」
「夢みたいって。こっそり屋敷を抜け出して遊びに出た記憶が僕にはあるけど?」
コーディリアは首を振って、小さく笑った。
「……大手を振って大通りを歩くのは初めてですから」
言い切るなり、彼女はまた傘の内側に隠れてしまった。
――大手を振って、か。
臓腑に落ちてなお、その言葉は熱を失わなかった。焼けた石を飲み込んだようだった。果たして自分たちは本当に大手を振って歩けているのか――ノエルは思わずにはいられなかった。
――ねえ、コーディリア。
心の中だけでノエルは問い掛ける。
ねえ、コーディリア。
君は夢の向こう側に何を見ているの。
あの夜、常夜灯に照らされた道の果てに何を見たの。
――僕はあの頃ばかり見てしまうけど、もしかしたら、君は。
手を伸ばせば届く距離より、もっとずっと近くで生きてきたコーディリアだ。問えば答えてくれるという確信がノエルにはあった。だからこそ、問うことは許されなかった。兄として、人として、言わせてはいけない言葉というものがある。
そして、言ってはいけない言葉も。
「僕が、僕じゃなければな」
思わずこぼれたそれは、幾万回繰り返した、自責とも後悔ともつかない自己否定だ。ノエル・フォーチュンでなければ――ノエル・フォーチュンでなければ、コーディリアと大手を振って大通りを歩き、同じものを見て、互いに色々な言葉を宙に浮かべることができるのに。
傘に遮られた向こうから、コーディリアが声投げてきた。
「なにか言いました?」
慌ててノエルは首を振った。何でもないと言い張る彼に、そうですかと呟いてから、
「わたくしは、わたくしでよかったと思っています」
か細い独白にノエルが反応する前に、コーディリアは歩みを速めた。ノエルを置き去りにするように、二歩、三歩と前に出る。と、突として、日よけ傘を翻しながら、くるりと振り返った。
いや、それが出し抜けに感じたのは、受け取る側の――つまりノエル側の問題だろう。
「ここ、ですよね?」
言われて、ノエルはいつの間にか目的地に着いていたことに気付いた。二番街は学院の目と鼻の先。年季の入った店構えには、今風をものともしない無風流の意地が見える。
アデール推薦。辻角のゴティエが経営する、ベーカリーだった。
「ここが学院生御用達のパン屋さんですね」
傘を畳みながら、コーディリアはその外観を仰ぎ見た。
「兄さん、わたくしお腹が空きましたわ」
忙しい時間を外したおかげで、店内に他の客の姿はなかった。来客を報せるベルの音に、カウンターで作業をしていたゴティエ夫人が顔を上げた。「おや、ノエルさ、」
後ろから現れたコーディリアを見て、夫人は顎が外れてしまいそうなほどに驚いた。学院生御用達――それはつまり貴族の子息息女様御用達という意味であるが、彼らは一様にして例の魔術師衣装が常だから、服装から貴族然とした人間は珍しいのだった。
「そちらのご令嬢は」
「僕の妹です。コーディリアと言います」
「兄がいつも世話になっております」
これはこれはと夫人が丁寧に頭を下げる。家格でいえば、普段ここに足を運んでいる他の学院生の方がよほど上だから、少しだけおかしかった。
「お茶でも出しましょうか」
大慌ての夫人に、ノエルも苦笑いになった。「お構いなく」
三面に渡って設えられた陳列棚は、朝方の三分の一も埋まってはいなかった。それでも、コーディリアは決めた端から目移りしてしまうようで、最後は困惑顔になって、ノエルを呼んだ。
「どうしましょう兄さん」
「大丈夫だよ。残ったら僕の朝ご飯になるから」
結局、アデールのように山盛りのパンを抱えて店を出た。どう考えても二人で食べ切れる量ではない。コーディリアもそのことは察しているのだろう。頬が赤かった。
「やってしまいました……」
ノエルとしては笑うしかない。今日明日はパン漬け確定である。しかし、
「コーディリアが楽しんでくれたらなら、何よりだよ」
コーディリアの顔がさらに赤くなる。彼女は照れ隠しに、パンを一つ手に取った。夫人がおまけとして付けてくれた、焼き立てのクロワッサンだった。
「コーディリア、行儀が」
制止も聞かず、そのままかぷりと彼女はクロワッサンにかじりついた。
「あーもう」
「兄さんがからかうから悪いんです」
「どういう理屈……?」
「はあこれだから兄さんは。わたくし色々心配です。そのうち刺されますよ」
「……いや、そうはならないと思うけど」
こんなことを言える相手は世界で一人しかいないのだから。もちろん、口にできるわけはない。
「そうだ兄さん。お礼というわけでもないのですが、これ」
そう言って渡されたのは一枚の封だった。手紙にしても薄いし小さい。金銭ということもなさそうだった。
「なにこれ」
「開けてのお楽しみです。戻ったらすぐに開けてくださいね。でないと、わたくし困ってしまいますから」
「戻ったら、ってコーディリア?」
最後の一欠片を口に放り込むと、彼女は足を止めて、ぺこりと礼をした。そのまま、そこらで暇そうにしていた辻馬車を見つけると、別れの挨拶もないままに駆けて行ってしまった。




