第二十六話 王都案内
白むような日差しの中から現れたコーディリアは、簡素な白の装いをしていた。飾りっ気のないドレスを胸元で絞り、楚々としたスカートを直線的に流している。いわゆる帝国様式というやつで、ヘレーネ時代の信仰――つまり自然的な美しさを貴ぶ精神が、現代に復古して生まれたファッションの一つだと言われている。
事実、その純一無雑な身なりは、神世に生きる処女のよう。
「コーディリア・フォーチュンと申します」
まず往来の人々が、次に喫茶店の客や給仕が、見慣れない彼女の姿に目を留めた。そこに男女の差異はなかった。ドレスは彼女の身体を魅せるために作られていたが、醸し出された魅力の中に、猥雑なものは一切含まれていなかったからだ。
二人も――ノエルと共に待っていたアデールとラッセルも、これには感嘆した。
「……本当にノエルの妹さん?」
「これはお美しい」
二人とも、今日は野暮ったい魔術師衣装ではなかった。アデールは商家の娘風の軽装、ラッセルはいかにも貴族のご子息といった正装である。説明するまでもないが、友人の妹に会うためのお洒落ではなくて、例の連中の目を欺くことを目的としたある種の変装である。
「ところでお兄様。その恰好は」
もちろん、二人が変装をして、ノエルがしない道理はない。
「王都に立ち寄った風来坊、をイメージしてみたよ」
目深に被ったとんがり帽子をちょいと上げて、ノエルは自らの服装をそう一括した。なるほど、確かにとんがり帽子も、丈の長い外套も、王都に住まい暮らす人間が出掛ける際にする恰好ではない。けれど、どこか擦れたその装いは、好意的に解釈しても旅人ではなくて、
「上等な浮浪者って感じよね」
「アデール嬢」
そう窘めながらも、ラッセルは否定しなかった。
「サイモンさんにも手伝ってもらってね」
『我ながら中々の仕事をした』
ノエルの弾んだ声音と、サイモンの満足げな独白を聞けば、察しも付こう。この変装は、ノエルと生粋の風来坊であるサイモンの感性が爆発した結果だった。
そして、感性は遺伝なのかもしれない。それを聞いたコーディリアは微笑んで、
「とてもお似合いですわ」
アデールがすげえ顔をした。
「兄妹って、こういうものなの?」
ラッセルが渋面を作り、小声で答えた。「俺に聞くな」
このような奇妙な邂逅が果たされた理由は、もちろんアデールにあった。試験勉強を手伝ってやったこと、首飾りの一件について黙認していること、先日パンを一欠片譲ってやったこと。ノエルの会おうとしている女性が、以前話に出た妹であると知った彼女は、幾千の理由を並べ立てて迫った。
紹介しろ。
もっとも、アデールの横暴だけが理由というわけではない。隣にいたラッセルも面白がっている節があったし、ノエル自身、彼女にサイモン以外の、生身の人間の知人を紹介出来たらなとは思っていたのである。
「セグネイトンから乳母と二人、それは大変な旅路であったでしょう」
「いえ、田舎者ですから、見るものすべてが新鮮で、楽しい旅でありました」
「ねえねえ、そのせぐねいとん? ってどんな場所なの」
茶を囲んで話し込む三人を眺めながら、不安を圧して紹介した甲斐があったとノエルは心中で頷いた。スュランの次期当主であるアデールとの縁も、議員を親に持つラッセルとの縁も、これから先王都で暮らしていくことになる彼女の助けになるに違いない。
「ほう。ご結婚相手とはルークラフト伯爵のことだったのですか」
ラッセルの驚愕に、ノエルは考え事をやめて、カップを運ぶ手を止めた。
「なに、有名人なの?」
「有名も何も、ルークラフト家といえば七十年戦争以来の名門も名門でな。当主のジェームズ殿は女王陛下の側近で、懐刀と呼ばれるほどに信頼を寄せられている御仁だ」
ラッセルはうむうむと頷いて、
「そうか伯爵が。もう三十も過ぎて幾らか経つ。身を固められるのであれば帝国民としては喜ばしいことだ。いやはや、これは誠に良縁ですな」
ええ、とコーディリアが微笑を浮かべる。その完璧な笑みに、ノエルは後ろめたさを感じて、目を逸らした。逃げ込むように会話に割り入る。
「ねえラッセルさん、その伯爵様は信頼できる人?」
「ああ。常に帝国の為に尽力されてきた、いや、今も尽力されている忠臣と呼んで差し支えない方だ。これ以上の縁談となれば王室に迎えられるくらいしか思いつかん」
しかも、と彼は言った。
「伯爵は学院の出身でな」
「なに、魔術師なの、そのお偉いさん?」
「というわけでもない。が、魔術に対する理解は魔術師並みと言って差し支えないだろう。ほら、前も話題に上がった機関列車の軍事転用、ああいったことを推し進めていらっしゃるお方でな」
ふうんとアデール。言いたいことを、コーディリアの手前我慢してくれているらしい。ラッセルはそれにも気付かぬ上機嫌で、
「栄えある学院に通う魔術師、その妹君の嫁ぎ先としてこれほど相応しい家もあるまい。ううむ。よかったよかった」
コーディリアの縁組よりも、ルークラフト家当主の妻帯に喜んでいるらしかった。昔気質な貴族らしい――つまり彼らしい反応だとノエルは思った。貴族ばかりの学院でも、ここまで帝国第一に物事を見る人間は中々いない。
「ふふ、なんだか恐れ多い気がしてきますわ。わたくし、お兄様と違って、魔術のこともまだまだ不勉強ですし」
「わたしに言わせればみんな等しく不勉強よ。コーディリアさんが気にすることはないわ」
「アデール様にそう言っていただけると心強いです。そうだ、アデール様の目から見て、学院での兄の暮らしぶりはどうですか。きちんと魔術修養に励めていますでしょうか」
ごぷっ、とアデールはホットチョコでむせ返った。
「そ、そそそそうね。ノエルは、ノエルはまあ、よくやってる方だわ?」
疑問形だった。コーディリアはくすりと笑って、
「とアデール様は仰っているのですが、どうでしょうラッセル様」
ラッセルは微笑み、少し考えるような素振りをしてから、
「虚栄心から自分を大きく見せようとするものも少なくない中で、ご令兄は素朴に学業に専念されていまする。わたくしめも見習いところでありますな」
「まあ」
「お世辞が過ぎるよラッセルさん」
「いやいや。お主ほど飾らぬ学院生もおらんだろう」
「飾らぬ、ですか。セグネイトンにいた頃から変わっていないようで、わたくし安心いたしました」
「昔からこのような性質だったのですかな」
「ええ、幼い頃から。フォーチュン家の跡取りや貴族といった肩書よりも、一人間として――あるいは兄としての自分を大切にされていたような気がします」
買い被りが過ぎた。単にそれらの肩書が子供心に窮屈だったというだけの話だ。ノエルは恥ずかしくなって、
「ねえココ。からかうようなことを言うのはやめてさ、」
彼女はぴしゃりと、
「お兄様、ココと呼ぶのはおやめくださいと先日も言ったではありませんか」
「あ、ごめん」
やり取りを見ていたラッセルが声に出して笑った。兄妹二人分の視線を受けて、首を振る。
「いや、仲睦まじくて羨ましいと思いましてな。私にも弟妹がおりますが、こうはいきません」
そんな、と照れたようにコーディリアがカップに口をつける。自分も茶を飲むふりをして、ノエルはその愛らしい仕草を眺めた。大人ぶっていても――いや、歳を経て大人びても、こういうところは変わりないらしい。
と、ふいに横目にこちらを窺ってきた彼女と視線がぶつかった。
「……!!」
慌てて視線をカップに戻すコーディリア。
「まるで恋人のようですな」
たぶん、ラッセルにとっては冗談のつもりだったのだろう。
しかし、その一言でコーディリアは表情を消した。カップの中身を――まだ温かいだろう紅茶を見つめる目が、急速に冷めていく。
「……お戯れを、ラッセル様」
あるいは、それはノエルの錯覚だったのかもしれない。
「わたくし、輿入れを控えた身ですの。変な噂が立っては困りますわ」
「それもそうでしたな。これは失礼いたしました」
気付けば、コーディリアは如才ない笑みを浮かべて、ラッセルの詫びに応じていた。不穏な影は一つなく、ラッセルもまた違和感を持った様子はない。
「そうよ。こんな綺麗方に向かってなんてことを言うの」
「……アデール、それどういう意味?」
それからは他愛もない世間話がほとんどだった。ノエルが肝を冷やすようなことは二度と起こらず、小一時間もしたところで、茶会はつつがなく解散の運びとなった。




