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第二十三話 手紙②

 二人の感想を促すように言葉を切って、ノエルは視線を下げた。自分でもびっくりするくらい綺麗な嘘だった。ちらと上目に覗えば、あのアデールですら疑っている様子はない。

 それはつまり、と彼女は遠慮がちにノエルの話をまとめた。


「妹さんが好きでもないおっさんと一緒にならなければいけなくなったのは、あんたが落ちこ……学院でうまくいかなかったのが理由の一つで、だから顔を合わせ辛いってこと?」

「おっさんかどうかは知らないけど、まあそうだね」


 少なくとも、好きな人間と一緒になれなかった原因は、間違いなく自分にある。

 自分――ノエル・フォーチュンに。


「そんな妹が王都に来るってなれば、僕だって悩みくらいするさ」

『しかし、貴族とはそういうものではないか?』

「そうだね。貴族ってのは、身分ある人間ってのは、確かにそういうものかもしれない」


 アデールがこくりと頷く。魔術師家系もまた同じということだろう。


「でも妹は、ココは散々苦労してきたんだ。こうして大人になるまで。残りの半分くらいは――って、そばで見てきた兄としては思っちゃうよ」


 それは嘘偽りない本音だった。

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 気をそぞろにするのに足りる悩みだと了解してくれたのか、サイモンは黙して、それ以上は問い詰めてこなかった。一方で、アデールはまだ納得がいかないらしい。ふうんと表面上の理解は示しつつも、


「妹さんの方はどうなの」


 問われて、ノエルは答えあぐねた。「どうって」


「いや、あんたが会い辛いのはわかったけど、妹さんの方はどうなのよ」


 切れ味のある質問だった。ノエルは考え、結局は率直に、


「……さあ」

「さあって」

「ずっと会ってないし、文面でのやり取りもしてこなかったから」


 本当に自分のことを恨んでいるかもしれないし、あるいは素直に玉の輿を喜んでいるかもしれない。そうとしか答えようがないくらいに、ノエルは彼女と交流を断って久しかった。三年と少し。屋敷を出立したあの朝、二度と人生を交錯させないと誓ったあの朝以来の、長い長い断絶だった。


 一つ言えることがあるとすれば、断絶が今に至るまで続いているということだろう。


 果たしてそれが何を意味するのか――ノエルは先を考えるのが怖かった。鋼鉄の列車が走り回り、労働者ですら手紙のやり取りをする時代に、あの聡明な妹が何を思って兄の無沙汰を許しているのか。


 ――会うべきじゃないんだ。

 ――それは、彼女も理解してる。


 でも、と思ってしまう。

 それこそがノエルの、本当の悩みだった。

 自らの『でも』と彼女の『でも』。それに何と応え、何と答えるのか。


 アデールが冗談めかして、


「案外、お兄ちゃんって慕ってくれたあの頃のままかもしれないわよ?」

「そんな頃ないから……」


 脳みその外から飛来した愚かしい妄想の産物に、シリアスな考えはたちまち音を立てて瓦解した。最後に会ったときよりも一回り幼いコーディリアが、ひまわりみたいな笑顔を咲かせてお兄ちゃんと抱きついてくる。

 ……ありかもしれない。


「なんか変な想像してない?」

「し、してないよ!?」


 アデールが一歩後退った。完全に汚物を見る目だった。

 と、その表情が一瞬にして切り替わる。


「冗談はさておき、わたしはそういう風に気を遣ってくれる兄姉なんているだけで嬉しいと思うし、結婚なんて大事なことの前には会っておきたいと思うけどね」


 ノエルは目を点にした。


「らしくもない」

「失礼ね。わたしはこれでもずっと兄姉が欲しいと思ってきたんだから」


 頬を膨らませて、稀代の天才魔術師はそう言った。意外にも大罪人からの茶々は入らなかった。彼女は一枚布の先をもてあそびながら、


「今からは想像もできないと思うけど、わたしって昔は結構な病弱だったの。知ってるかしら。日がな天井を見つめてるのって、すっごく退屈で心細いのよ。だからそんなときはいつもいつも、お兄ちゃんやお姉ちゃんがいればなあ、なんて思ったものだわ」


 今では台風みたいな彼女だ。昔は病弱だったという話はいまいち信憑性に欠けたが、どこか弱気な語りはノエルを殊勝な気持ちにさせて、先のような揶揄は湧き上がってこなかった。

 何より、彼女の想像が記憶と重なって。


 ――兄さんがいてくれてよかった。


「時々、本当に時々だったけど、お爺様が顔を見せてくれるだけでどれだけ嬉しかったか」


 言ってから、アデールはこちらの表情に気付き、照れたように一枚布から手を離した。


「妹さんの気持ちまではわからないけどね、気にせず会うのが兄妹ってもんじゃないのって、わたしは思っちゃうわ。あんただって、会いたいと思う気持ちがあるから悩んだりするんでしょう? 私に言わせればもったいないわよ」


 一息にまくし立てると、彼女は僅かな荷物をまとめて、今日は終わりと宣言した。異論はなかった。色々と話してしまった後ではお互い集中も続かないだろうし、そうでなくても、すでに場は試験勉強や訓練をする雰囲気ではなかったから。また明日とその背を見送り、ノエルも校舎裏を後にした。


 ――会いたい気持ちがあるから悩む、か。


 用事もなければ行く当てもない。けれど、自室でじっとしているのも我慢ならなくて、ノエルはそのまま校舎をふらついた。中期試験を忘れたわけではなかったが、机に向かったところで身になるとは思えなかった。


『妹がな。所詮、貴族などそんなものだと言えばそれまでだが』


 貴族の娘などという身分は、大貴族の末娘でもなければ、そもそも好いた相手と結婚できる方が稀なのだ。コーディリア・フォーチュンが迎えた現実もまた、特筆することのない貴族の一生の、類型の一つでしかない。そんな割り切った考えが自分の中にないといえば嘘になる。

 けれど、飲み込めない下せない。

 それを他ならぬ自分が説くことは畜生以下の所業と思えてならない。


『存外、妹想いなのだな』


 からかうようにサイモンが言う。どこか上機嫌に聞こえるのは、自分の機嫌との落差だろうか。自嘲的な気分でノエルは返した。


「たった一人の、血を分けた妹だからね」

『にしても怖がり過ぎのように私に思えるがな』


 虚を突かれたような気がした。恐怖――その単語が、身の内にある感情を的確に言い表しているように思えたからだ。


『……外にでも出るか』


 サイモンは急にそんなことを言い出した。


「……昨日あんなことになったばかりだけど」

『近場で少し引っかけるくらいなら必ずしも危険ではないかもしれん』

「引っかけるって」

『素面ではできないという話もある。迷惑ばかりかけても気が引けるしな』


 ノエルが驚いたのも無理はないだろう。いつになく優しい声音は、まったくサイモンのものとは思えなかった。まさかアデールの身の上話にセンチメンタルになったということもあるまい。散々に悪行の限りを尽くしてきた人間の精神がそんな簡単に絆されるとは思えない。


『……老婆心というやつさ』


 流されるまま場所を変えることになった。学院から十分の距離にあるその小さな酒場は、値段は少し張るが、上質な葡萄酒を提供してくれる店だった。店主と二言三言交わし、隅っこに陣取る。コーディリアの王都来訪、サイモンの態度、そして今も付け狙われているのではないかという憂慮、色々な感情が混ぜこぜになって、酒の味などわからなかったが、アルコールだけは嫌に回った。


「私の時代のものよりずっとうまいな」


 一口葡萄酒を飲んで、彼はそう感想を述べた。


『……お前が酔うても私は酔わんのだな』


 そちらの方が都合がいいか、とサイモンが独白する。


『なあノエル。運命の子よ。昔話をしてもいいか』 


 いつの間にか卓に突っ伏していたノエルは、顔を上げてから、それが脳内にこだまする声だと気付いた。頭上に投げるような調子で、


「昔話?」

『ああ。四百年前の、古い話だ』


 ノエルは頷く。かなり酔いが回っていて、瞼が少し重かった。

 うつらうつらするノエルに、声は滔々と語った。


『前にも話したと思うが、私にも妹が一人いてな。ヘレンといって、私に似て器量の良い妹だった。古代ヘレーネの信奉者であり研究者でもあった両親のもとで、妹は何処へ出しても恥ずかしくない聡明な娘へと育った。が、身体も、心も強くない娘でな。嫁ぐにしても何処でもいい、ただ相手の家格が良ければいい、というわけにはいかなかった。


『クロウリー家も端くれとはいえ貴族、両親共々苦心した。いっそ婿を取るか、最悪、本人が望むのであれば独り身のまま置いておいてやりたい、そんな話も冗談ではなく上がっていた、といえば、どれだけ愛されていたかわかるだろう。


『結局、私が取り計らって、半ば無理やりに、信頼できる友人のもとへ嫁がせた。私は今でもその選択が間違いだったとは思わん。けれど、それから幾度もなく、今日に至るまで幾度もなく、妹のその後の人生がどうだったのか、心安らかに逝くことができたのか、答えが出るわけもないのに考えたよ』


 ノエルは酒気を孕んだ息を卓に吐きながら、


「お嫁さんに行った後は、会ってないの?」

『逃げるように放浪の旅に出たからな。それより後は、お前も知るところだ』


 ノエルは閉口した。四百年経っても名が残っているほどの罪人だ。まさか他家へ入った妹のところへ顔を出すなどできるはずもあるまい。

 ああそうか、と思う。会えるうちに会っておけ、彼はそう言いたいに違いなかった。


「サイモンさんこそ妹想いだったんだね」


 それに比べれば、自分などは所詮自己愛の延長でしかないと思う。

 ノエルは杯の中に残っていた葡萄酒を一息に呷った。胸がかっと熱くなり、それが静まると色々なものがどうでもよくなった。気怠さのままもう一度卓に頬を擦りつける。冷たさが心地よい。


「本当を言うとね、会いたくないわけじゃないんだ。会うべきじゃないんだ、僕らは。それなのに迷っている。会ってしまったときのことを考えている。そのことが、怖いんだ」


 きっと、とノエルは思う。コーディリアもそれは同じだ。

 ココ。コーディリア。血を分けた、たった一人の妹。半身、対翼、

 運命の片端。

 素直に玉の輿を喜んでいるかもしれない?

 本当に自分のことを恨んでいるかもしれない?

 ふざけるなと思う。そんな可能性、欠片もないとわかっているくせに。万が一などあるはずもないと確信しているくせに。自分が心安らかでいられる理由を探しているだけじゃないか。それは自己愛でしかない。自らに小さな傷を作ることで、他人に強いた大きな傷の対価とする。


「ねえサイモンさん。僕はね、ずっと思ってきたよ」


 意識が落ちる。自分でも、何を言っているのか、ノエルにはもうわからない。


「僕はずっと、僕が嫌いだった……」

 

 ☆


 深夜に片足を突っ込んだ時間帯になって、店主のおっさんに起こされた。

 学院の生徒さんが酒場で酔っ払って眠り込んでいたら外聞が悪い云々。酔いの醒め切らぬ頭では、店主の北部訛りの強い帝国語は半分も聴き取れなかったけれど、言いたいことは十二分に伝わった。


「ねえサイモンさん」


 酒場の外に出ると、夏のしっとりした風が頬を撫でた。


『どうした』

「僕、変なこと言ってなかった?」

『いいや。黙って聞いていると思ったらいつの間にか眠っておったでな』


 ならばいいかとノエルは思う。

 久しぶりに酒に飲まれたからか、それとも尿と一緒に諸々が排出されてしまったのか、妙に晴れ晴れしい気分だった。天には初夏の星座。無音の闇に包まれた街に人影はなく、等間隔に設置された常夜灯の明かりだけが点々と続いている。


「帰ろうか」


 会話もなく通りを行く。始めの数歩こそ千鳥足気味だったが、流れる夜風と共に酒気は抜けていった。学院の門が見える頃には、手足の先にも頭の奥にも、酩酊はなかった。

 だから、門前に佇む人影に、ノエルはすぐに気付くことができた。


 待ち伏せされたのか、と身構えたのは一瞬だった。通りの微かな灯りに浮かび上がったシルエットは年頃の女性のそれで、しかもこちらに気付いている様子もなかったからだ。女性はぴんと背を伸ばし、長い髪を垂らして、学院内をじっと眺めているようだった。


 誰かを待っているのだろうか。

 にしては尋常ではない雰囲気である。そもそも逢瀬にしても遅過ぎる時間帯だ。

 遠目にもわかる張り詰めた空気に、ノエルは気が引けた。立ち止まり、どうしたものかと考えあぐねる。声をかけるか、それとも何気ない風を装って脇を通り過ぎるか。

 サイモンがぽつりと、


『十七、八ほどに見えるが、こんな時間に何用だろうな』


 本当にね、そう返答しかけて、固まった。


 ――十七、八。


 まさかと思う。残っていた僅かな酔いなどひとたまりもなかった。ノエルは息をするのも忘れて、女性のシルエットを走査した。何もわからなかった。遠過ぎて、光の当たり加減が悪過ぎて、輪郭以上のものは何一つ見て取れなかった。

 

 と、その輪郭が、シルエットが、気配が、

 まったく気まぐれに、こちらを向いた。

 向こうからだって、こちらの姿形は判然としないだろうに、女性は縫い留められたように動きを止めた。


「……ああ」


 ため息が洩れた。ほとんどうめき声に近いため息だった。

 ココ。コーディリア。血を分けた、たった一人の妹。

 三年と少し。自分にとっては一瞬だったその時間は、成長期の彼女にどれだけのものを与えたのだろうか。小さかったココ。愛らしかったココ。彼女が今自分の目の前に現れたとすれば、どれくらいの背丈で、どのくらいまで髪を伸ばしているのだろうか。


 しばしの後、ノエルは迷いに迷って、重たい一歩を踏み出した。耳の内側で誰かが何かを言っていた。女性が居住まいを正し、淑女然として会釈をする。会釈を返しながら、自分の中にあった疑念が確信に変わっていくのを、ノエルはどうすることもできず見守るしかなかった。


 互いの姿が見える距離まで来て、ノエルは足を止めた。しばらくは何も言えなかった。言いたいことがあり過ぎたし、言えないこともあり過ぎた。平静を装うので精いっぱいだった。

 夜風が抜けていく。

 先に言葉を発したのは彼女の側だった。


「兄さん……」


 今年で十八、世間から見れば一端の淑女なのだろうか、ノエルの目にはまだまだ少女としての無邪気さが残っているように見える。父親譲りの艶のある黒髪。母親譲りの意思の強そうな瞳。彼女は自ら発した呼びかけに、堰を切ったように涙を溜めていたが、やがてそれらを振り切って、きつく結ばれた口元を緩めた。

 笑顔が浮かんでいた。


 三年と少し。

 乙女にとっては永遠にも近い歳月を忍んだ花の、

 それは、夜開性の笑みだ。


「兄さん……!!」


 飛び込んでくる。夜露にも似た涙の粒がノエルの胸を濡らし、その声がノエルの胸を震わせた。


「ずっと、ずっと会いたかった……!!」


 彼女は名を、コーディリア・フォーチュンといった。

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