第二十二話 手紙
火が迸り、風が唸り、水が噴き、土が降る。
アデールの小さな身体の周りには、いくもの鬼火が漂っている。ご主人様を守る近衛兵のように、橙色の目を光らせている。作り物ではあるし、偽物ではあるが、どれもが実際の炎とそう変わらない。四元素論でいうところの一の要素、火の元素を用いた魔術の炎だ。
もちろん、触れば熱いし、火傷もする。
ノエルであれば睨まれただけで背を向けてしまいそうなプレッシャーに、しかし大魔術師は正面から挑んだ。彼我の決定的な差――瞬発力を生かして、懐に潜り込もうとする。弾かれたようにアデールが反応するが、ノエルの目から見ても彼に触れるには少し遅い。
進行方向に突如として現れた岩の壁を、彼は社交ダンスの要領で避けて見せた。端からそこに現れるのがわかっていたかのように、抜群のタイミングでステップを踏みターンを行う。二つ三つ四つ。いくつ出しても彼の進行を留めることはできない。
舌打ち。勘弁ならないとばかりに、アデールは両腕を振り上げ、今日初めての唱言を行った。
「圧し潰せ……!」
影が落ちる。おそらくはこちらの頭上に何かを生成したのだろうか、彼が上目遣いに確認しようとすらしないから、推測もままならない。ほう。楽しそうにほくそ笑んでいるところを鑑みるに、彼にはわかっているようだけれど。
「さすがはスュランの末裔といったところか」
「うるさい!」
両腕が振り下ろされる。
爆音。まず鼓膜が打ち鳴らされ、ついで視界が真っ白に染まった。ノエルは焦った。視覚と聴覚以外の感覚を共有していない彼には、人が無傷でいられる空間には思えなかったからだ。やがてすべてを覆いつくす白が濃密な水蒸気と知れても、高まった緊張感は解けなかった。
だって、絶対熱い!
『サイモンさん大丈夫!?』
「案ずるな」
遅延もなく声が返ってくる。どうやら心配無用だったらしい。
「アデール嬢! まだ私は健在ですぞ!」
白の向こうに声を投げる。返答は鬼火だった。もっとも、こちらの位置が掴めていないのか、それらはすべてでたらめで、当たる気配もなかった。もはや雌雄は決していた。偶然に発生した水蒸気を隠れ蓑に使い、彼が距離を詰めていく。
視界が晴れる。正面ではなく、ほんの数歩分離れた位置から、彼は飛び出した。焦燥と驚愕に歪んだアデールの顔が見えた。次なる魔術は、間に合ない。
すれ違いざま、彼は彼女の一枚布だけを器用に剥ぎ取って、振り向くと同時に宣言した。
「勝負あり、ですね。アデール嬢」
こちらの手元で巻かれた一枚布を見、ついで自分の首元のそれがなくなっていることに気付き、アデールはあらゆる罵詈雑言をこらえる悪ガキの形相になる。歯軋りが聞こえてきそうな数秒が過ぎ去り、やがてガス抜きをするみたいなため息が洩れた。「私の負けだわ」
歩み寄り、彼が恭しく一枚布を差し出す。アデールはそれをふんだくって、
「悔しいわ。しかも見た目はノエルだから三倍増しだわ」
「目に余る上達ぶりですよ。次があれば、負けているのは私かもしれません」
「おべっかはいいのよ。次があっても、次の次があってもまだ足りないわ」
学院生用の一枚布を巻き直しながら、アデールはぷんすこに届かない怒りの熱量で、自分を冷静に分析する。こういうところは一人前の魔術師なだけあって、全く年齢不相応だ。
「本当はね、障害物で動きを制限した状態で火球を飛ばす予定だったのよ。でも、実際に相手が迫ってくるとそんな余裕なくなっちゃうのよね。命がかかってなくてもこれなんだから、本番じゃちゃんと魔術が使えるかも怪しいわ」
今更説明するまでもないが、ここは王立第一魔術学校西棟の校舎裏、アデールとノエル、正確を期すならアデールとノエルの身体を借りたサイモン・クロウリーが行っているのは、喧嘩ではなく模擬戦闘である。
見て学べということらしい。
明後日に迫った実践魔術の中期試験、その対策という体。
確かに教本を読み漁っても、二人から丁寧にご指導いただいても、さっぱりできなかった身だ。正攻法は落ちこぼれにとっては回り道なのかもれず、四百年前と現在、時を越えた奇才天才のやり取りが上質な見本であるという意見にも異存はない。
が、どう見ても好きでやってるよなと思うノエルである。
サイモンからすればスュラン家の人間と手合わせできる機会、先日の一件で実践魔術ならぬ戦闘魔術に傾倒しているアデールからすれば一段飛ばしに上達できるチャンス。わからないでもないのだけれど、そう雲の上の攻防をされてしまうと魔術以前に何が起こっているからすら定かではなくて、当然、得るものもとんとない。
それに、と二人の感想戦を遠くに聞きながら思う。
――ココのことが気になり過ぎていまいち頭に入ってこない……。
「というわけだな。どうだノエル。理解は深まったか」
『へ』
「へ、ではない。さてはお前聞いていなかったな」
『……いや、そんなことは』
自然と口調が弱弱しくなってしまったのは、もちろん彼の言葉が図星だからである。問いかけが降って湧いたように感じられるほどには、ノエルは二人の会話を聞き流していた。
アデールが呆れた様子で肩をすくめる。
「そんな気はしてたわ。ここに来る前から上の空って感じだったし」
「そうでしょうか? 先ほどまでの講義などは珍しく集中しているように見受けられましたが」
「それ集中してたんじゃなくて、脇目も振らずぼうっとしてたんじゃない?」
なんと、と彼が驚く。やはり図星である。
「朝一番はいつになく元気に見えたけど、なんかあった?」
何気ない調子でアデールが問う。水底のノエルに代わって、彼が答える。
「特別なことはありませんでしたな。ただ、言われてみると、落ち着きがなかった気もしますな、妙にそわそわしていたというか。特にお二人と別れてからは」
「ふむ」
「てっきり、臆病風に吹かれて、話したことを後悔しているかと思っていましたが……」
アデールが考え込む。限りなく具合の悪い話題だった。ノエルは誰にも見えない空間でぴょこぴょこ跳ねながら、話の風向きを変えようと声を大にする。
『別に何もないよそれよりもさ僕が悪かったからもう一戦お願いできな、』
「手紙ね」「手紙ではないでしょうか」
どうしてこう察しがいいのだろうと頭を抱える。
アデールがあれ、と不思議そうな顔をして、
「ではないでしょうか、って。あんたも読んだんじゃないの?」
「……!!」
その一言にノエルの冴えない頭が閃いた。しかし、
「ご冗談を。他人様の手紙を盗み見るような、品性のない人間に落ちぶれたつもりはありません」
「大罪人のくせに?」
「大罪人でもです」
変なところで律義というか、潔癖症な大罪人だった。
――本当に変なところで……。
「仕方ないわね。じゃあ本人に説明してもらいましょう。ノエルに代われる?」
案の定、そういう流れになった。カニかエビのように水底に必死でへばりつこうかとも思ったが、それこそ不審の種、諦めて彼と場所を代わる。
激しい運動をした後の身体は、いつもより重たく感じた。
「おー、こうやって見ると結構違うわね」
「そうかな」
「うん。んで、アデール様の助力を無碍にするほどの便りってのは、一体どんな内容だったの?」
こうなるともう抵抗は無益である。知的好奇心の強い二人だ。手紙の内容を知らずして帰してはくれないだろうし、下手な芝居を打ったり目に見える嘘を吐いた日には、何をされるかわかったものではない。
小さく息を吸い、吐く。
大丈夫、と自分に言い聞かせる。
――隠し立てるようなものではないのだから、本来は。
それでも懐中の手紙を誰かの目に晒すことはためらわれて、ノエルは口上で、自らの身の上と今度のいきさつを説明することにした。
「実はね、手紙には妹の縁談が決まったって書いてあったんだ」
『妹』
「縁談」
「うん。僕の二つ下でコーディリアって言うんだけどね。僕に似ず器量の良い子でさ、その辺を見込まれたのか、さる大貴族様の目に留まったんだって」
アデールの表情が曇る。いまいち納得できないという顔で、
「なによ、めでたい話じゃない」
それのどこか困る話なのと言わんばかりだ。一方で、生まれも育ちも純粋な貴族であるサイモンの反応は少し違った。
『しかし二つ下というと……』
「十七だね。今年で十八になる」
『だよな……』
遠慮がちに口を濁らせるサイモンの、次の句をノエルは継いだ。
「行き遅れ、とまではいかないけど、まあ早くはないね」
貴族の娘は大抵が十八になるまでに結婚する。もちろん、個人同士の結婚というよりは家同士の結びつきを強める意味合いが強く、だから十を過ぎたくらいで、数度顔を合わせた程度の相手と一緒になる、ということも別段珍しいものではない。容姿が整っているなど、女性として求められる才覚に恵まれている娘は、表現は悪いが飛ぶように売れる。逆説的に、適齢期も終わりまで残っている娘にはどこかしら欠陥があるのだ、などとささやかれたりもする。
「といってもね、結婚が遅れたのはココが原因じゃないんだ。うちは田舎の三流貴族なんだけど、それなりに古い家でね。過去には栄えていた時期もあったんだって。僕や妹はともかく、両親はそういった時代に憧れるところがあるみたいで」
ああ、とサイモンが先んじた。
『玉の輿を狙いに狙ったんだな』
そういうことだった。器量が良ければ飛ぶように売れ、という文言は一面の事実ではあるが、あくまでそれは同程度の家格に限った話。田舎の三流貴族が数百年前の栄華を取り戻す――気宇壮大な夢の実現に必要な縁がどの程度のものなのか、ノエルは知らないし知ろうとも思わないが、断った縁談が十や二十できかないことは使用人伝手に耳に挟んでいた。
断片的な会話から話の内容を察したアデールが訝しげに、
「でも、それならますますめでたいだけじゃない。あんたが頭を抱える理由がどこにあるの?」
「持って回った言い方になっちゃったね。問題はここからでさ、その大貴族様――ルークラフト家の旦那様ってのが王都住まい、しかも陛下の側近であらせられるらしいんだよ。伝統的にそういう人たちの結婚には陛下の許可がいるって話で」
『建国の物語に由来する王冠への誓約ってやつだな。それなら私の時代からあるものだ』
「そうそう、だから一度女王陛下にもお目見えしなければならないらしくって」
「女王陛下って。そうなると」
アデールが振り向く。直接見えるわけはなかったが。
そこまで至れば、気が気でない理由は明白である。
「そうなんだ。今は機関列車があるからね。駅舎のある都市まで馬で二日三日。あとは半日もかからないだろうから、そう遠くないうちに着くだろうね。下手をすれば、手紙を書いた日のうちに荷物をまとめて、もう着いてる頃だったりして」
手紙を書き終えた父が、すでに支度を済ませている妹を見て驚く。数日前の屋敷の光景が目に浮かぶようだった。手紙ならわたくしが兄さんに渡してきましょうか。彼女なら、そんな冗談を言ったかもしれない。
「とどのつまり、妹と顔を合わせたくなくてね」
嘘をつくコツは、たっぷりの真実に、ちょっとだけ混ぜることだという。
「僕の学院入りも妹の結婚と同じ理由でさ。僕がもう少しうまくやっていれば、彼女はもう少し自由に嫁ぎ先を選べたはずなんだ。そう考えると、どうもね」




