第9片「日常から離れて」
「……木材触りてぇ……」
遠征八日目。
ルーヴェリア王国西部街道。
焚き火の前で、ノア・フェルンは死んだ目をしていた。
「副長、それもう禁断症状だろ」
向かいでダグが呆れたように言う。
「違う」
「いや完全にそうだって」
「木を削りたいだけだ」
「それを禁断症状って言うんだよ」
ノアは真顔だった。
今回の遠征は半月予定。
街道沿いに出没した魔獣討伐と護衛任務を兼ねている。
騎士団としては珍しくない。
だが。
ノアにとって問題だったのは。
「……木、削れねぇ……」
そこだった。
木材成分が足りない。
削れない。
組めない。
黒白六連が止まったままだ。
あの赤をどう使うか、まだ答えが出ていない。
考えたい。
触りたい。
木の感触が恋しい。
「副長」
「なんだ」
「今、“あの娘に会いてー”みたいな顔してたぞ」
「してない」
即答だった。
「木材の顔だ」
「木材の顔ってなんだよ」
ノアは焚き火を見つめる。
……まぁ、確かに。
工房には行きたい。
ヴィルトのおやっさんとも話したい。
新しい端材も見たい。
フルールにも、
『まだ赤で悩んでんの!?』
とか笑われたい。
「……」
そこまで考えて。
ノアは少しだけ眉を寄せた。
「副長?」
「いや別に」
考えるのをやめた。
面倒だった。
◇
一方その頃。
グリンウッド工房。
「……ノア、最近来ないね」
夕方。
削り屑を掃きながら、フルールがぽつりと呟く。
ヴィルトが木材を運びながら振り返った。
「あぁ、遠征中だろ」
「そうだけどさー」
フルールは箒を動かしながら、なんとなく工房入口を見る。
誰も来ない。
別に当たり前だ。
遠征なのだから。
それなのに。
なんとなく落ち着かなかった。
いつもなら。
非番の日になると。
「おーい、おやっさーん!」
って声が聞こえる。
勝手に木材漁って。
木組みの話して。
気づいたら夕方までいる。
それが。
ない。
「……静か」
「工房なんだから普通だろ」
「なんか違うんだよー」
ヴィルトは少しだけ娘を見る。
そして。
にやっと笑った。
「寂しいか?」
「え?」
「ノアが来なくて」
「そ、そんなんじゃないし!」
フルールは慌てて否定した。
だが。
少しだけ否定が弱かった。
ヴィルトは何も言わず笑っていた。
◇
さらに数日後。
工房に一人の男が訪れた。
ヴィルトの得意先。
家具を卸している商家の関係者だった。
「実はぜひ娘さんを、と」
縁談。
フルールはぽかんとした。
ヴィルトはもっとぽかんとしていた。
「いや急だな!?」
「以前からぜひと」
「いやいやいや」
ヴィルトは頭を掻く。
娘を無理に嫁に出す気はない。
だが。
長い付き合いの得意先でもある。
完全に無下にもできない。
「……まぁ、筋だけは通すか」
ヴィルトはため息を吐いた。
「会うだけ会うぞ」
「別にいいけど……」
フルールはぼんやり答えた。
なんだろう。
全然気が乗らない。
◇
そして。
縁談当日。
フルールは珍しく静かだった。
「お前ほんと分かりやすいな」
馬車の中でヴィルトが苦笑いする。
「別にー」
「顔死んでるぞ」
「生きてる」
窓の外を見る。
夕方。
そして。
明日はノアが帰ってくる予定の日だった。
「……」
なんだろう。
変な感じだ。
縁談相手の話も全然頭に入らない。
ただ。
『あー、ノア帰ってくるんだ』
そればかり考えていた。
そして。
案の定。
縁談はまとまらなかった。
理由は単純。
フルールが全く笑わなかったからだ。
◇
帰り道。
夕暮れ。
王都の石畳が赤く染まっている。
「悪かったな」
ヴィルトが苦笑いする。
「別に」
「お前、露骨すぎんだよ」
「そう?」
「普段もっと笑うだろ」
フルールは少しだけ考える。
……そうかもしれない。
その時だった。
向こうから騎士団の一団が歩いてきた。
夕陽の中。
鎧。
剣。
疲れた顔。
そして。
見慣れた赤髪。
「あ」
フルールの顔がぱっと明るくなる。
ノアもこちらに気づいた。
「……ん」
少し驚いた顔。
「ノア!」
フルールが駆け寄る。
「帰ってたんだ!」
「一日早く終わった」
ノアはかなり疲れていた。
でも。
フルールを見た瞬間。
妙に肩の力が抜けた。
「なんかカッコいいね、ノア!」
「疲れた」
「お勤めお疲れ様!」
「うん」
短いやり取り。
でも。
なんだか安心する。
フルールは自然に笑っていた。
さっきまでの沈んだ気分が嘘みたいに。
ヴィルトがそれを見て苦笑いする。
(分かりやす過ぎんだろこいつ……)
「一日早かったんだね」
「あぁ。なんとかな」
ノアは小さく息を吐く。
そして。
「早く木組み触りたい」
ぶれなかった。
フルールが吹き出す。
「あはは! やっぱりそれなんだ!」
「木材足りねぇ」
「禁断症状じゃん」
「違う」
「絶対そう!」
ノアは否定した。
だが。
本当にそれだけだっただろうか。
工房へ行けなかった。
木材を触れなかった。
……フルールにも会えなかった。
「……」
ノアは少しだけ考えかけて、
そしてやめた。
面倒だった。
その時。
ヴィルトが笑いながら言う。
「じゃあこのままウチ来るか!? 飯食ってけ!」
「ありがてー……」
本気でありがたそうだった。
フルールが笑う。
「じゃ、急いで帰ろ!」
そう言って。
自然にノアの手を引いた。
夕暮れの道。
二人は並んで歩く。
ヴィルトは少し後ろから、その背中を見ていた。
「……ったく、こいつら」
誰にも聞こえないように呟く。
夜風が吹く。
遠くで祭りの残り火が揺れていた。
そして。
どこかでセレナが。
「星、そういうの好きなのよ」
次回、第10片「笑顔の理由」
お楽しみに!




