エニシ
「しかしお前さんが中学の時ってことはせいぜい数年前ってとこか? 俺の中ではもう三十年も前の話なんだがなあ」
「えっ、あれっ、三十年?」
そういえばオノダは転生して別の世界でゼロ歳から現在までの時間を過ごしたと言っていた。
しかしそれだと先ほどの事故の話と噛み合わなくなる。
ヒイロが知っている崩落事件が起きたのは数年前。ならば別の事故だと考えるのが自然だが、しかしトラックごと行方不明になるような事件がそう何度も起きるとも思えない。
混乱するヒイロにユーヤメが解説を加える。
「ヒイロ様、世界は各々個別の時間を持っています。世界渡りの際の感覚的な時間経過の乱れは良くあることです」
「なるほど、そういう……」
一応納得しかけたヒイロだったが、すぐに恐ろしい可能性に思い至る。
「えっ、じゃあ僕が元の世界に戻れても向こうでは凄い時間が経っているかもしれないってことですか⁉」
ヒイロがエクスキュリアで過ごした二ヶ月は決して短い時間ではない。だがヒイロにとっての二カ月が、明日香にとっては何年も――そんなこと、あって欲しくなかった。
「ご安心ください。逆です、ヒイロ様」
愕然とするヒイロに、ユーヤメは表情の乏しい顔で僅かに微笑んだ。
「世界はそれぞれ独立して各々の時間を刻んでいます。内側に入ってからの移動は当然できませんが、もし外側から確認できるマーカーがあれば話は変わってきます。このマーカーを、我々は『縁』と呼んでいます」
「エン?」
固有名詞の為か自動翻訳の術式がうまく作動しない。聞き返したヒイロにユーヤメはこくん、と人形じみた動作で首肯した。
「縁というのは人と人を繋ぐ糸のようなものとお考え下さい。そしてこのモノクルはその『縁』を観測することができます」
言いながらユーヤメは左目に嵌められた片眼鏡をコツコツとたたいて見せた。
「ウェオロルドのヒイロ様が召喚された時点からヒイロ様へと非常に強固な縁が繋がっています。召喚を受けた時、お近くにごく親しい方——ヒイロ様を強く想う方がいらしたためと思われます。ヒイロ様を発見できましたのもこの縁を観測したため。我々はその縁を頼りにヒイロ様を元の世界にお返しします」
「えっ、じゃあ!」
ユーヤメの言葉を理解して、ヒイロは息を飲む。
「はい、ご想像の通りです。お戻り頂くのはヒイロ様が召喚された時点。およそ二カ月前のニホンです」
「……っ!」
忘れもしないあの日。
『ヒイロっ!』
あの時、二人の手が触れることはなかったけれど。
……そっか、俺、ずっと明日香に守られてたんだ。
心の内が温かいもので満たされるのを感じた。
時間も世界も超えて人と人とを結ぶ糸。ユーヤメが言う「エン」とはつまり、日本語の「縁」のことだろうか。
ヒイロと明日香の間にもあって、二人を強く結んでいるというそれは、言い換えれば。
「縁を観測できるなんて、すごいですね」
「おお、おわかりですか、ヒイロ様」
気恥ずかしさを誤魔化すためのつぶやきを聞いたユーヤメの声に、僅かに喜びの色が滲む。
「え、いや。存在があやふやなものだと観測には定義が必要だとか、そんなことを……」
「おっしゃる通りです!」
縁を見通すという片眼鏡がきらりと輝いた。
「確かに存在し、世界を繋ぐほどの強度を持つにも拘わらず縁を観測することは非常に難しい。ナヴィアの観測鏡のような大型の装置ならまだしも個人で持ち運べるほどの大きさとなるとさらに困難です。その原因はまさにヒイロ様がおっしゃる通り、縁というものそれ自体の定義の困難さにあります。そこで観測鏡の作成に当たり、まず素材には占い師ならば誰もが喉から手が出るほど欲しがるかのラゼル産の星紡水晶を選びました。占術と魔術の融合ですね。ああ、そこに技術も加えなくてはなりません。ご存じのように星紡水晶は非常に高硬度な石ですがフェティリなら加工可能です。技術提供の代わりに資材を分けていただくことが出来たのは幸いでした。この素材の選択が正解だったことは後に実証されるのですが、しかしご想像の通り星紡水晶で作ったからと言ってそれだけで縁が見えるわけではありません。そこでナイクリスの映し泉とウェオロルドの月下老人のミストを元に術式を開発して縁を定義し……」
「嬢ちゃん、その話は今度にしとけ」
段々と早口になっていくユーヤメの解説に、オノダが苦笑交じりに口を挟んだ。
「……失礼を」
ユーヤメは姿勢を正すと、こほんと幼い外見に似つかわしくない咳ばらいをした。
この世界にきて僅か二カ月。魔法や術式というものを知ってはいても基礎の基礎程度しか理解しておらず、教本の受け売りをしたに過ぎないヒイロはほっと安堵の吐息を漏らす。
薄々分かってはいたが、この少女が感情に乏しいのはどうやら表情や声といった外側だけのことようだ。




