オノダ
「おっ、なんだ、随分いい匂いがするな」
宇宙戦艦の中のような不思議な部屋の中、ぶん、と軽い音を立てていくつも並んだ扉の一つが開いた。
低く通る声と共に入ってきたのは真っ黒に日焼けした体格の良い男だった。
「ナヴィア、俺の分も……ってわりぃ。お客さんだったか」
「オノダさん、ちょうどいいところに。ちょっとこちらに来て下さい」
バツが悪そうに頭を掻いて引き返そうとする男をユーヤメが呼び止める。男は不思議そうな表情を浮かべつつもこちらへと歩いてきた。
「ヒイロ様、こちらは当社と契約している運び屋のオノダさん。ヒイロ様と同じくウェオロルドのニホン出身の方です」
「えっ!」
ヒイロは目を見張った。
言われてみればオノダという男は確かに自分と同じ日本人の顔をしていた。
自分以外にも異世界に飛ばされた人間がいることに驚くが、勇者の退職代行をしている会社があるのだから当然なのかもしれない。
「おお日本人か。ヒイロだな。俺はオノダ・タケシだ。よろしくな」
オノダの方も驚くと同時にヒイロに親近感を持ったらしい。差し出された手を取るとがっしりと握り返される。
久しく忘れていた、分厚くて温かい頼りがいのある大人の手だった。
「ヒイロ様は勇者として別の世界に召喚されたんです。現在帰還についてのご説明をさせていただいています」
「召喚……。そいつは災難だったな。だが安心しろ。しっかりかっちり日本に送り返してやるからよ。まあ俺がじゃなくてそこの嬢ちゃんがだがな」
ユーヤメの補足に一瞬眉を寄せた後、オノダはガハハと大きな声で笑う。ヒイロはまた一つ帰還への保証を得たような気がした。
「オノダさんも何処かに召喚されたんですか?」
ヒイロの問いにオノダは首を横に振る。
「いんや、俺のは召喚とは違うんだそうだ。崩界剥離? ってヤツらしい」
「ホウカイハクリ?」
オノダが使っているのは日本語。召喚時に付与された翻訳術式の作動の余地はないがそれでも聞きなれない言葉だった。
オノダは困ったような顔で頭を掻くと、視線でユーヤメに説明を代わるように促した。
「ヒイロ様、崩界剥離現象とは何かのきっかけで世界の一部がごく薄く剥がれる事を言います。ウェオロルドのような強力なミスト機構がある世界では滅多に起こるものではないのですけどね」
つまりは自然災害ということだろうか。
僅かでも起こる可能性があるなら恐ろしい話だ。
「あっちじゃ地震による崩落ってことになってるみたいだな。俺はトラックの運転手だったんだが、山の中走ってたらいきなり空がびかびかーってなってよ。ドッカーンってでっかい音がして、車ごと空に放り投げられた。あん時は流石に焦ったぜ」
ヒイロの脳裏に、あるニュースが蘇る。
「もしかしたらその事故、僕知ってるかもしれません。山の中で道が崩れて、巻き込まれた運転手さんもトラックも見つからなかったって。前にニュースで見ました」
中学生のころSNSでも話題になった、山頂付近の道路が大規模に崩落した大事故。
巻き込まれた大型トラックが谷底に落ち、運転手もろとも行方不明になった。
その後懸命な捜索が行われたが、トラックの残骸すら見つからなかったという。
「ああ、多分それだな。俺はともかく車の方はなあ。あんなデカいヤツが無くなるかよって話だが。まあ見つからんよな。俺達は別の世界に飛ばされてたんだからよ」
オノダはおどけたように肩をすくめた。
「ぶっ飛ばされた後、俺は別の世界で別の人間として生まれた。いわゆる転生ってやつだな」
転生。召喚とはまた違うのだろうか。
疑問が浮かぶが、オノダはまた困った顔で頭を掻いた。
「あーなんだ、難しいことはわからん。後でその嬢ちゃんにでも聞いてくれ。とにかく別の世界に別人として生まれて、普通に暮らしてたんだ。なのにある日突然前世の記憶ってのを思い出しちまった。それがまあ随分とリアルでよ。しばらくはアイデンティティってのに苦労したもんだ」
「……大変だったんですね」
オノダは笑いながら言うがその内容は決して軽いものではない。明日香の事も忘れて別の人間として何年も過ごすなど、とても耐えられるとは思えなかった。
「おいおい、そこで暗くなるなよ? 随分前の話だし、今はそれなりに楽しくやってるからな。そこの嬢ちゃん社長のおかげで相棒とも再会できたしよ」
「相棒、ですか?」
「あー。ま、そのうち紹介してやるよ」
オノダは頬を掻きながら照れくさそうに笑った。




