第4話 言ってはいけない言葉
「さあ、どうなるのでしょう。それは私ども業務の管轄外です」
表情と同様に抑揚のない声で告げられた言葉に、ヒイロは肩を落としてうつむいた。
やっぱり、そうか。
逃げ出した自分の代わりに誰かが――例えばこの少女が――エクスキュリアを救ってくれる。そんな展開を心のどこかで期待してしまっていた。
だがそんな都合のいい話はない。
ならばどんなに魅力的でもその提案に乗るわけにはいかなかった。
ヒイロがいなくなればエクスキュリアは魔族の脅威に対抗できなくなってしまう。それは沢山の人を見殺しにすることだ。
ヒイロには力がある。ならばそれを人々の為に使わなくてはならない。
困っている人がいるのなら、それを助けるのは人として当然の——
「別に、いいじゃありませんか」
「……え?」
視線を上げると蛋白石の瞳がじっと自分を見つめていた。
聞き間違いだろうか?
「あの、今なんて……?」
「世界などどうでもいいではありませんか、と申し上げました」
感情の読めない乳白色の瞳と平坦な口調で紡がれた言葉は、まるで本当に世界などどうでもいいと思っているかのようで。
「いいわけないじゃないですかっ!」
そう感じた瞬間、ヒイロは思わず叫んでいた。
声は思った以上に強く大きく出てしまった。しかし感情は収まらない。むしろ自分の声に後押しされるようにしてヒイロは更に声を荒げる。
「だって、僕がいないと世界が滅びるんですよ。そんなの、そんなのどうでもいいわけないじゃないですかっ!」
否定しなくてはならない。怒らなくてはならない。
だって、そうしないと。
そうしないと?
召喚された勇者の使命。人としての責務。
理由が形になる前に、もっと深い所にある何かに、怒ることを強要される。
しかし少女はヒイロのむき出しの感情に怯むこともなく、不思議な瞳でヒイロを見つめたまま決定的な一言を口にした。
「召喚した人間に自らの命運を背負わせるような卑しい世界など、いっそ滅んでしまえばいいんです」
「————っ⁉ 」
静かで抑揚のない声。偽悪的で身勝手な言葉。
しかし感情がこもっていないは間違いだった。
世界のためにと叫んだ自分などよりも、ずっと激しい、燃えるような感情。
「な、何……を?」
何を言っている? そう問いたださなくてはならない。
「だってそんな、そんなこと……」
そんなことない、と否定しなくてはいけない。
さっき以上の感情を込めて、さっき以上に声を荒げなくてはいけない。
「だって、それじゃあ……っ」
なのに、それができない。言葉が出てこない。
自分などより遥かに怒っている少女に、怒りをぶつけられるわけがない。
世界の為に等というあやふやでちっぽけな怒りが、世界に対して向けられた激しい怒りに敵うはずがない。
――ましてやそれが、自分の為のともなれば。
ぽろり。
「……あ、れ?」
示さなくてはいけない怒りの代わりに形になって溢れてきたのは別の感情だった。
聖剣の所持者として加護を与えられたヒイロの身体は丈夫で、普通の人間が跡形もなく吹き飛んでしまうような攻撃にも耐えることができる。
常人ならば瞬時に絶命する毒の類も小一時間程度で完全に解毒し、受けた傷は回復魔法なしでも勝手に塞がっていく。
だから最前線に立つのは至極当然なことだ。
魔物の牙や爪を受けて手足がちぎれるのも、耐えがたい毒の苦痛に侵されながらも戦うのも、当然もちろん、当たり前のこと。
…………本当に?
「あれ、な、ん、えっ?」
ぼろぼろと、感情が溢れる。頬を伝って流れ落ちる。
戦闘が終わればすぐに癒しの魔法をかけられた。その効果は凄まじく、ヒイロならば失った手足すら取り戻すことができる。
だが癒されても記憶は残る。痛みと恐怖は体ではなく心に刻まれる。
再び牙に噛まれ、爪に切り裂かれ、泥に倒れ、そしてヒイロの身体はまた傷つくために癒される。
だがそれは仕方がないこと。勇者として召喚された者の義務。
全ては世界のため。
エクスキュリアという世界を、人々を、魔王の脅威から救うため。
…………なぜ僕が?
自分一人がほんの少し我慢すれば、世界の全てが救われる。
口に合わない食事、寝付けないベッド、
貴族達との心を削られるような会話。
戦うこと、傷つくこと、死を間近に感じること、
明日香と一緒にいられないこと。
…………果たしてこれは本当に、ほんの少しの我慢だろうか?
「あ、あ……」
いつからか武勇を称えられても、大勢の人々にありがとうと言われても、まったく何も感じなくなってしまった。
その理由が今わかった。
間違っているのは僕じゃなくて世界の方。
自分では言えないその言葉を、僕はずっと、誰かに言って欲しかった。
「ヒイロ様。世界、大勢、無辜の民、そんな言葉に惑わされる必要はありません。あなたは巻き込まれただけの被害者。責任など元より一かけらもありません。エクスキュリアの民への責任は、エクスキュリアの為政者、あるいは民自身の果たすべきものです」
「うぁ、ああ、あああっ!」
気がつくこともなく求めていたものを、突如大過剰に与えられてしまえば持て余すのは当然のこと。
ヒイロができることといえば、せいぜい机の上に突っ伏して顔を隠すくらいしかない。
「お疲れさまでした、ヒイロ様。後のことは全て当社にお任せください」
追い打ちをかけるようにして、少女の感情を感じさせない声が優しく響く。
「うああ、ああッ、うぁああああああッ!」
ヒイロはしばらく顔を上げることができなかった。




