死体泥棒
蝋燭の炎が石壁に長い影を落とす。安置室は冷たく、香の煙が低く這うように天井に溜まっていた。
聖女の「遺体」の周りには訓練された護衛が数名。一定時間おきに規則正しく室内を巡回している。
グラシアという町、ひいてはパペッサという世界で、リシュアがどれだけ愛されていたのかはその様子だけでも明らかだった。ただ、彼らにとって聖女は様々な意味で人間ではなかったのだ。
そんな厳重な警戒態勢の中ではあるが、聖女の傍らには既に侵入者がいた。
護衛兵士たちを責めるわけにはいかない。その男ははじめからずっと聖女の傍らに在り、万が一に備えていたのだ。
翅を背にたたみ四本の腕を組んだ姿勢のまま、アンタンの身体は身じろぎひとつせずに立っていた。外骨格により姿勢を固定できるアンタンは何時間でもこの状態を維持することが可能だ。
(さて、どうしたものでゴザルかな)
ユーヤメの薬の調合が完璧であることは疑う余地もないが、しかし効果に個人差があるのが薬というものだ。もしも兵士の前で聖女が目を覚ませばかなり厄介なことになる。早めに何とかしたいところだった。
瞬時に全員を気絶させ、聖女を運び出すのは容易い。後はどれだけ「死体泥棒」の痕跡を残すかということだ。
だがちょうどその時、アンタンの鋭敏な聴覚が上階のかすかな異音を捕らえた。
複数の足音。だが正常な人間のものではない。
(なんと。本物のお出ましでござるか? しかもこれは……)
やがて物音は大きくなっていき、見張りの兵士もそれに気がつく。
外から「ドン」と扉を叩く鈍い音。
ばきばきと音を立てて霊安室の扉の隙間から腐った指がにゅるりと覗いた。
続く瞬間、扉が破れ、腐臭とともに灰色の人影がなだれ込む。
「ゾンビだとっ⁉ 馬鹿な。ここは大聖堂だぞ!」
自然発生したゾンビが聖堂を襲うことはあり得ない。ならば答えは一つ。
兵士たちは一斉に抜剣し、遺体を守る布陣を敷く。
亡者の群れの向こう、黒いローブの男が、ゆっくりと姿を現わした。
細身の体躯。杖の先端には不気味な紫光。その目は異様にぎらつき、唇には歪んだ笑み。
「退け、生者どもよ」
低く、芝居がかった声。
「死霊術師……!」
誰かの絞り出すような声に、黒ローブの喉の奥からしゃがれた笑いを漏らした。
「如何にも。我は死と生のミストの最奥に触れし者。死霊術師。名をヴァルグリム=デス=アビス=グリモワール。我が魂の新たなる器、いただきに参上した」
死霊術師。数多の世界において禁忌とされる、死と魂にまつわる邪悪なミストを魔法として操る者達。
想定を超える緊急事態に兵士たちの間に緊張が走る。そんなものに聖女の死体を渡すわけにはいかない。
アンタンのすぐ傍、つまり最も聖女の近くにいた若い兵士も剣を抜き、聖女の棺を背に守るように構えた。だが一瞬の逡巡の後兵士は剣を投げ捨てて走りだした。
「はあっはあ、怖気づいて逃げ出したか。所詮生の頸木に囚われた者よ」
死霊術師の哄笑が響く。
だが彼は逃げたのではない。ゾンビたちがいるのとは反対の扉に自分が最も近いこと、ここにいる兵士たちの中で自分の剣が最も未熟であること。それを考慮して自分がなすべきことを判断し、それに従って行動した。
つまりはこの未曽有の事態に対応するため、応援を呼びに走ったのだ。
護衛のリーダーは若き兵士の判断に心のなかで称賛を送る。これで、自分たちがやることは定まった。
力尽きるまで聖女の死体を守る。ただそれだけだ。
「さあ忠実なる僕たちよ。聖女の死体を運び出すのだ。我が新たな体、傷つけてはならんぞ」
死体の群れが、聖女に向けて進行する。
前方から迫りくる脅威に兵士の全員が身構えた時、異変は起こった。
――ドサリ。
最前列の兵士が、何の前触れもなくその場に崩れ落ちた。
「……は?」
隣の兵士が目を見開く。
だがその兵士もすぐに同じようにどさりと倒れた。後列の兵も、弩弓兵も、順に力を失うように崩れていく。
「な、何だ……?」
「術だ! 死霊術だ!」
恐慌が伝播する。勇敢な兵士たちも見えぬ呪いに対して対抗する手段はない。
更に一人、また一人。なすすべもなく倒れていく。
一時一瞬でも、聖女を守らんとしてリーダーの男は棺の前に立ちはだかる。しかし。
「がっ⁉」
如何なる呪いによってか、首筋に鋭い衝撃を感じて膝をつく。
「く、そっ……」
聖女の前で邪悪な呪いに屈するという屈辱に震えるも、なすすべもなく意識は暗闇に落ちていく。
最後まで離さなかった剣が石床に落ちて、がらんという大きな音を立てた。
立っているのは死体の群れを除けば、黒衣の死霊術師ヴァルグリム=デス=アビス=グリモワールただ一人。
「え……?」
その状況に、ヴァルグリム=デス=アビス=グリモワールは不思議そうにあたりを見回した。
兵士たちが勝手に倒れたことに困惑してしばらく呆けていたヴァルグリム=デス=アビス=グリモワールだったが、やがて事態を理解する。ゆっくりと、その唇が吊り上がっていく。
「くく……くくく……」
兵士たちは死体の兵をみて、恐怖のあまり勝手に死んだのだ。そうに違いない。
「見よ! これが死界の威光!」
高く、高く杖を掲げる。
「我が存在そのものが恐怖!我が魔力は触れずして命を刈る!」
自分以外に生者のいない空間で、ヴァルグリム=デス=アビス=グリモワールは両腕を広げ、天を仰ぐ。
「屍を統べる者の前に、全ての生者は膝を折るのだ!」
「……語らぬ死体人形相手に演説でござるか? お主、友達いないでござろう」
「ぎょわっ⁉」
無人の空間に突如響いた声に驚き、死霊術師はまるで死霊にでもあったような声を上げて飛び退いた。
声の方向は部屋の中央。さっきまで誰もいなかったそこに、一人の男が立っていた。
「な、な、なんだ貴様はっ⁉」
あわてて姿勢を立て直し、威厳を取り繕うとするが動揺を隠しきれずその声は震えている。
声に驚いたのもあるが、もう一つ。ヴァルグリム=デス=アビス=グリモワールが動揺したのは、その男の風体のせいだった。
2メートルを超す体躯。頭の半分近くを覆う複眼、口の端には横に広がる巨大な牙。
「拙者が何か、見てわからんでゴザルか?」
その横に広がる不気味な口が、ヴァルグリム=デス=アビス=グリモワールに告げる。
「お主と同じ、しがない死体泥棒にてゴザル」




