"氷鼠の冬ごもり"
聖女リシュアとその護衛兵士であったガートが大勢の前で毒をあおり、殉愛の心中を遂げてから一夜。
聖女を失ったグラシアの街は悲しみに包まれ、聖堂には多くの弔問客が訪れていた。
正式な葬儀は七日後。一月後には国を挙げての追悼会が、更に一年後には諸外国の王侯や教皇代理を招いての追悼大祭が執り行われることとなるだろう。
聖女の遺体は翌日埋葬される予定となっている。
――その前にことを終えなくてはならない。
壇上でガートとリシュアがあおったのは槍使いの薔薇に似せた欺死の魔法薬、"氷鼠の冬ごもり" である。
"仮死薬" と呼ばれる魔法薬がある。
一定時間生命を停止させ、後に再び命を吹き返すというものだ。魔法薬としての有用性は高く、怒膨魚の肝を用いるものをはじめとして多くの世界で様々な処方が考案されている。
ただしどれも不完全なものだ。
蘇生に失敗したり、蘇生後に後遺症が出る可能性もあり、多くの悲劇の元になった薬でもある。
「死」のミストの完全否定は、未だどの世界においてもなされていない。
これに対し"欺死薬" は「死んでいるように見せかける」薬である。
"氷鼠の冬ごもり"の名前の元である氷鼠はウェオロルドのニホンのみに住む幻獣である。
この幻獣は一年のおよそ半分を寝て過ごし、その間一切の食事を行わない。まるで死んでいるかのように眠り続け、それでいて急激な気温変化による死を自動的に回避する。
この氷鼠の疑似的な死と再生をベースに、多くの世界にある「眠り姫」のミストを混ぜ合わせて調合したのが欺死薬 "氷鼠の冬ごもり" だ。
仮死薬と違い、呼吸もしており心臓も動いているため安全性は極めて高い。ベースに"氷鼠のミストを用いているのも再生に重きを置いているため。だが当然同じ理由からその気になって調べればすぐに「生きている」ことがわかってしまう。
そこで、別の魔法を併用する。
調べればわかってしまうのなら、調べられないようにすれば良い。
二人には生体反応の観測を困難にする術式と、調べようという意欲を削ぐ術式の両方をそれぞれ多重に重ね掛けしている。
さらに念には念をということで聖女には秘匿の魔法が込められたメダルを着けてもらった。
このメダルはかつてはとある遺跡の奥深くに設置されており、遺跡発見後から数百年に渡り盗掘者から宝物庫を守り続けた強力ものだ。
ちなみに現代の基準ではメダルが守護していた宝物の全てよりもメダル自身の方がはるかに価値が高い。
欺死薬と秘匿の術式、そして大勢の前で二人が演じたミストにより、聖女の心中偽装は魔法として成立している。
監視の目もないガートの「死体」と偽装人形の入れ替えは実に速やかに行われた。
しかしリシュアの代わりは偽装人形では心もとない。
そのため死体泥棒を装って聖女の「死体」を盗み出すというのが今後の手筈となっている。
「聖女様の死体ですからね。実際に狙われても何らおかしくありません。そしてもしも盗まれてしまった場合、教会はそれを公にはしないでしょう」
それはその通りだろうとガートも思う。
盗み出してさえしまえばその後のことはすべて教会が隠蔽してくれるのだからありがたいことだ。
後に何らかの形で聖女の死体がなくなっていることが発覚しても、それはまた別のミストを生むだけ。ガートと共に彼方の地で生活するリシュア自身とのつながりは完全に断たれている。
問題は、その「死体」を盗み出すこと自体がそう簡単にはいかないだろうということだ。
「ご心配なく。当社エージェントの腕は超一流です」
落ち着きなく事務所内をうろつき回るガートに、ユーヤメの声は相変わらず平坦だった。
それもまたその通りだということも知っている。
リシュアの「死体」の側には今もアンタンという蟲人が付いている。
心中偽装の際、アンタンはリシュアに向かって放たれたクロスボウの矢を空中で掴み取って投げ返して見せた。その実力は疑いようもない。
またリシュアの話によればアンタンはユーヤメを抱えたまま宿舎の塔をよじ登り聖女の寝室に忍び込んだという。
その話を聞いた時はぎょっとしたし未だに釈然としない思いもあるが、まあ、腕は確かなのだろう。
しかしだからといってガートの心配が消えるわけでもない。
尚も落ち着きなく歩き回るガートを安心させようとしてか、ユーヤメが平坦な声で語り始めた。
「アンタンさんは元はニンジャという特殊組織の出身でしてね」
ニンジャ。
ガートもそのミストのさわりくらいは知っている。
曰く、彼らはシノビの里という隠れ里に住む暗殺を生業とする集団である。
特殊な訓練により鍛え上げられたその身体は全身が凶器。
ニンジュツという独自の魔法を使いこなし、背後から音もなく獲物に忍び寄って首を切り落とすと、煙のように消え失せる。
おとぎ話の存在だと思っていた。だがあの蟲人がニンジャだというのなら矢を空中でつかみ取ったのも納得できる。
「でも組織と相性が合わなくて、大喧嘩した上で里を飛び出してきたのだそうです」
「…………」
ガートは内心で首をひねった。ガートの知っているミストによれば、ニンジャが里を抜けることは許されなかったはず。仮に逃れたとしても「ヌケニン」という汚名を着せられ、かつての仲間から命を狙われ続けるとか。
とはいえ、ガートが把握しているのは所詮は聞きかじったおとぎ話の中のニンジャだ。本当のニンジャはまた違うのかもしれない。
「その後、実力を買われてある勇者のパーティーに所属したのですがすぐに追放されてしまいまして。つくづく馬鹿なことをしたものです。まあ私たちとしては非常に幸運だったわけですけど」
社員の優秀な経歴を紹介しているつもりらしく、ユーヤメの平坦な口調の中にはわずかに誇らしげな響きが含まれていた。
しかしガートは再び首をひねる。
パペッサ世界における勇者とは、竜、あるいはそれに匹敵する怪物を討伐した者に与えられる称号だ。
そのパーティーに勧誘されたというのが凄いことなのは、まあ、わかる。
しかしすぐに追放されてしまったのでは自慢にはなるまい。
「ああ、ご安心を。アンタンさんには確かに暗殺者として致命的な弱点があるのですが、今回のケースでそれが障害になることはありません」
ガートの様子を薄い表情で不思議そうにに見ていたユーヤメだったが、やがて合点がいったかのようにかくんと頷いた。
「あの人、人を殺すことができないんですよ」
確かに、暗殺者としてはあまりに致命的だった。




